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講孟余話 / 盡心上 第九章

獨善ノ義、滕文公下篇第四章ニ、入則孝、出則悌、守先生之道、以待後之学者ト云ヒ、本篇下章ニ、其子弟從之、則孝弟忠信ト云フ、合セ考フヘシ、盖シ獨善ト云ハ、頑然獨處、世ニ接セサルノ謂ニ非ス、特ニ兼善天下ニ對シテ、其及フ所ノ小ナルヲ云ノミ、然ラスンハ子弟從之、待後之学者、皆獨善ノ事ニ非サルカ、何ソ其然ラン、余野山獄ニ於テ、同囚冨永德有隣カ爲メニ名字說ヲ作ル、云ルコトアリ、有獨善之志、而後有兼善之業、又云フ、大舜自爲耕稼陶漁、乃有都君之称、孔子困於魯衞陳蔡、乃有三千之徒ト、有隣ハ倔強ノ士、議論相下ラズ、然トモ深ク此說ヲ以テ至言トス、盖シ余有隣ト平生ノ志茲ニアルヲ以テ也、今ヨリ三五年ノ後、必ス微效ヲ見スニ至ラン

新字:独善ノ義、滕文公下篇第四章ニ、入則孝、出則悌、守先生之道、以待後之学者ト云ヒ、本篇下章ニ、其子弟従之、則孝弟忠信ト云フ、合セ考フヘシ、盖シ独善ト云ハ、頑然独処、世ニ接セサルノ謂ニ非ス、特ニ兼善天下ニ対シテ、其及フ所ノ小ナルヲ云ノミ、然ラスンハ子弟従之、待後之学者、皆独善ノ事ニ非サルカ、何ソ其然ラン、余野山獄ニ於テ、同囚冨永徳有隣カ為メニ名字説ヲ作ル、云ルコトアリ、有独善之志、而後有兼善之業、又云フ、大舜自為耕稼陶漁、乃有都君之称、孔子困於魯衛陳蔡、乃有三千之徒ト、有隣ハ倔強ノ士、議論相下ラズ、然トモ深ク此説ヲ以テ至言トス、盖シ余有隣ト平生ノ志茲ニアルヲ以テ也、今ヨリ三五年ノ後、必ス微効ヲ見スニ至ラン

書き下し

独善の義、滕文公下篇第四章に、「入りては則ち孝、出でては則ち悌、先王の道を守り、以て後の学者を待つ」と云ひ、本篇下章に、「其の子弟之れに従へば、則ち孝弟忠信」と云ふ、合はせ考ふべし。蓋し独善と云ふは、頑然独処し、世に接せざるの謂に非ず。特に「兼ねて天下を善くす」に対して、其の及ぶ所の小なるを云ふのみ。然らずんば「子弟之れに従ふ」「後の学者を待つ」、皆独善の事に非ざるか、何ぞ其れ然らん。余野山獄に於て、同囚富永徳有隣が為めに名字説を作る。云へることあり、「独善の志有りて、而る後に兼善の業有り」。又云ふ、「大舜自ら耕稼陶漁を為して、乃ち都君の称有り。孔子魯・衛・陳・蔡に困しみて、乃ち三千の徒有り」と。有隣は倔強の士、議論相下らず。然れども深く此の説を以て至言とす。蓋し余有隣と平生の志茲にあるを以てなり。今より三五年の後、必ず微効を見すに至らん。

現代語訳

独善の意味は、滕文公下篇第四章に「家では孝行し、外では年長者に従い、先王の道を守って、後の学者を待つ」と言い、本篇の次の章に「その子弟がこれに従えば、孝行・従順・誠実・信義の人となる」と言うのと合わせて考えるべきである。思うに独善とは、かたくなに一人で引きこもり、世に交わらないことを言うのではない。ただ「天下をあわせて善くする」に対して、その及ぶ範囲が小さいことを言うだけである。そうでなければ、「子弟がこれに従う」「後の学者を待つ」は、みな独善のことではないことになってしまう。どうしてそんなことがあろうか。私は野山獄で、同囚の富永有隣のために名と字の説を作ったが、その中でこう言った。「独善の志があってこそ、兼善の事業がある」。またこうも言った。「大舜は自ら耕し、焼き物を作り、漁をして、そこで人が集まって都ができたという称をえた。孔子は魯・衛・陳・蔡で苦しんで、そこで三千人の弟子をえた」と。有隣は強情な人で、議論では互いに譲らなかったが、この説だけは深く至言だとした。思うに、私と有隣のふだんの志がここにあるからである。今から三年、五年の後には、必ずささやかな成果を見せるに至るだろう。

解説

松陰は「窮すれば独り其の身を善くす」の独善を、世間から離れて自分だけ清く生きることではないと読みます。家で孝を尽くし、道を守って後の学ぶ者を待ち、弟子を育てることも独善の内であり、ただ天下全体に及ぶ兼善に比べて範囲が小さいだけだというのです。野山獄で同囚の富永有隣に贈った「独善の志ありて而る後に兼善の業あり」という言葉には、舜や孔子も小さな場から始めたという確信がこもっています。三年、五年後に成果を見せるという結びは、のちの松下村塾を予告するかのようです。

この章句が説くこと

独善兼善教育富永有隣志

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