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言志四録 / 言志後録 第六十五条 雨沢の澇

古人謂天下事過則有害。雨澤非不善也。過多則澇。其爲害也與旱同。今有意爲善。而任心自是者。皆雨澤之澇也。余亦往往見若人。然非他人也。不可不自警。

新字:古人謂天下事過則有害。雨沢非不善也。過多則澇。其為害也与旱同。今有意為善。而任心自是者。皆雨沢之澇也。余亦往往見若人。然非他人也。不可不自警。

書き下し

古人謂ふ、天下の事過ぐれば則ち害有りと。雨沢は善からざるに非ざるなり。過多なれば則ち澇す。其の害を為すや旱と同じ。今意有りて善を為し、而して心に任せて自ら是とする者は、皆雨沢の澇なり。余も亦往往にして若き人を見る。然れども他人に非ざるなり。自ら警めざるべからず。

現代語訳

古人は、天下の事は度を越すと害があると言った。雨の恵みはよくないものではない。しかし多すぎれば洪水になり、その害は日照りと変わらない。いま、意気込んで善をなそうとし、自分の心のままに自分こそ正しいと思い込む者は、みな雨の恵みが洪水になったようなものである。私もしばしばそういう人を見かける。しかしそれは他人事ではない。自らを戒めなければならない。

解説

善いことでも度を越せば害になることを、雨にたとえた一条です。雨は本来恵みですが、降りすぎれば洪水となり、日照りと同じ被害をもたらす。同じように、意気込んで善を行おうとし、自分の判断を疑わずに押し通す人は、善意がかえって周囲を苦しめる。一斎はそういう人をよく見かけると言いつつ、「他人に非ざるなり」と、自分自身の問題として引き受けているところに味わいがあります。正しさへの確信が強いほど、行き過ぎに気づきにくいものです。改革や改善を進める立場にある人が、自分の善意が周囲にとって洪水になっていないかを振り返るきっかけになる言葉です。

この章句が説くこと

過ぎたるの害善意独善自戒

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