講孟余話 / 盡心上 第八章
此章古ノ賢王善ヲ好ンテ勢ヲ忘ルヽヲ推シテ、其賢士道ヲ樂ンテ人ノ勢ヲ忘ルヽヲ知リ、終ニ古ノ賢士ヲ借テ今ノ賢士ヲ勸ルニ帰スル也、大氏賢者ノ樂ム所ハ道ノミ、好ム所ハ善ノミ、勢位利祿一モ心ニ入ルコトナシ、忘ルヽトハ、厭フニ非ス、慕フニ非ス、其間ニ意アルコトナキノ謂也、是レ孟子ノ常談ニシテ、又萬章下篇第八章、友ヲ論スルノ義ト併セ考フヘシ、此章、上二章ノ耻ノ字ヲ承テ世ノ奔競ノ士無廉無耻ノ徒シ、且下章囂々ノ意ヲ起スナリ
新字:此章古ノ賢王善ヲ好ンテ勢ヲ忘ルヽヲ推シテ、其賢士道ヲ楽ンテ人ノ勢ヲ忘ルヽヲ知リ、終ニ古ノ賢士ヲ借テ今ノ賢士ヲ勧ルニ帰スル也、大氏賢者ノ楽ム所ハ道ノミ、好ム所ハ善ノミ、勢位利禄一モ心ニ入ルコトナシ、忘ルヽトハ、厭フニ非ス、慕フニ非ス、其間ニ意アルコトナキノ謂也、是レ孟子ノ常談ニシテ、又万章下篇第八章、友ヲ論スルノ義ト併セ考フヘシ、此章、上二章ノ耻ノ字ヲ承テ世ノ奔競ノ士無廉無耻ノ徒シ、且下章囂々ノ意ヲ起スナリ
書き下し
此の章古の賢王善を好んで勢を忘るるを推して、其の賢士道を楽しんで人の勢を忘るるを知り、終に古の賢士を借りて今の賢士を勧むるに帰するなり。大抵賢者の楽しむ所は道のみ、好む所は善のみ、勢位利禄一も心に入ることなし。忘るるとは、厭ふに非ず、慕ふに非ず、其の間に意あることなきの謂なり。是れ孟子の常談にして、又萬章下篇第八章、友を論ずるの義と併せ考ふべし。此の章、上二章の恥の字を承けて世の奔競の士・無廉無恥の徒を規し、且つ下章囂々の意を起すなり。
現代語訳
この章は、昔の賢い王が善を好んで自分の権勢を忘れたことを推し広げて、その時代の賢い士が道を楽しんで相手の権勢を忘れたことを知らせ、最後は昔の賢士を借りて今の賢士を励ますことに帰着する。おおむね賢者の楽しむのは道だけであり、好むのは善だけであって、権勢や地位、利益や俸禄は一つも心に入ることがない。忘れるとは、嫌うのでもなく、慕うのでもなく、その間に心を置くことがないという意味である。これは孟子がふだんから語ることで、萬章下篇第八章の、友を論じる意味と合わせて考えるべきである。この章は、前の二章の恥の字を受けて、世の出世争いをする士や、恥知らずの者たちを戒め、さらに次の章の「囂々」の意味を引き起こしている。
解説
この章句が説くこと
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