講孟余話 / 盡心上 第五章
余足利末路ノ史ヲ讀ム每ニ、其勇義ノ人多キニ感シ、又其君ヲ見ルコト逆旅主人ノ如ク、其大節大義ニ關ケタル人多キヲ哀シム、余因テ當時勇義ノ士ヲ分テ二等トシ、ハ全節傳トシ、山中鹿之助幸盛ノ如ク、始終一主ノ爲ニセシ人ヲ收メ、一ハ一節傳ト云テ、後藤又兵衞基次ノ勇義ト云トモ、初メ黑田ニ仕へ、又細川ニ仕へ、後遂ニ大坂城ニ入リ節ヲ尽ス、此類ノ人ヲ收メ、二傳ヲ以テ世祿ノ士ヲ諷セント欲ス、未タ及フコト能ハス、是ヲ源平ノ時ニテ言ハ、斉藤別當実盛ノ如キ、白髪ヲ染テ北陸ニテ戰死セシハ勇々シケレトモ、關東ノ旧臣ニテアリナカラ、義朝ノ沒落ニ死スルコト能ハズシテ叛テ平氏ニ事タレハ、一節ノ人ナリ、上總五郞忠光ノ如キハ、平家滅亡ノ後八年マテ其志ヲ変セズ、利刄ヲ懷ニシテ賴朝ヲ刺サントセシハ、事成ラスト云トモ、眞ニ全節ノ人ト云ヘシ、是等ノ処学問思弁ノ入ル所也、郷里無學ノ一善人ニテハ覺束ナシ、此章本文已ニ明ニシテ、朱註又尽セリ、故ニ姑ク言外ノ余意ヲ論ス、第六章
新字:余足利末路ノ史ヲ読ム毎ニ、其勇義ノ人多キニ感シ、又其君ヲ見ルコト逆旅主人ノ如ク、其大節大義ニ関ケタル人多キヲ哀シム、余因テ当時勇義ノ士ヲ分テ二等トシ、ハ全節伝トシ、山中鹿之助幸盛ノ如ク、始終一主ノ為ニセシ人ヲ収メ、一ハ一節伝ト云テ、後藤又兵衛基次ノ勇義ト云トモ、初メ黒田ニ仕へ、又細川ニ仕へ、後遂ニ大坂城ニ入リ節ヲ尽ス、此類ノ人ヲ収メ、二伝ヲ以テ世禄ノ士ヲ諷セント欲ス、未タ及フコト能ハス、是ヲ源平ノ時ニテ言ハ、斉藤別当実盛ノ如キ、白髪ヲ染テ北陸ニテ戦死セシハ勇々シケレトモ、関東ノ旧臣ニテアリナカラ、義朝ノ没落ニ死スルコト能ハズシテ叛テ平氏ニ事タレハ、一節ノ人ナリ、上総五郎忠光ノ如キハ、平家滅亡ノ後八年マテ其志ヲ変セズ、利刄ヲ懐ニシテ頼朝ヲ刺サントセシハ、事成ラスト云トモ、真ニ全節ノ人ト云ヘシ、是等ノ処学問思弁ノ入ル所也、郷里無学ノ一善人ニテハ覚束ナシ、此章本文已ニ明ニシテ、朱註又尽セリ、故ニ姑ク言外ノ余意ヲ論ス、第六章
書き下し
余足利末路の史を読む毎に、其の勇義の人多きに感じ、又其の君を見ること逆旅の主人の如く、其の大節大義に闕けたる人多きを哀しむ。余因りて当時勇義の士を分ちて二等とし、一は全節伝とし、山中鹿之助幸盛の如く、始終一主の為めにせし人を収め、一は一節伝と云ひて、後藤又兵衛基次の勇義と云へども、初め黒田に仕へ、又細川に仕へ、後遂に大坂城に入りて節を尽くす、此の類の人を収め、二伝を以て世禄の士を諷せんと欲す。未だ及ぶこと能はず。是れを源平の時にて言はば、斎藤別当実盛の如き、白髪を染めて北陸にて戦死せしは勇々しけれども、関東の旧臣にてありながら、義朝の没落に死すること能はずして叛きて平氏に事へたれば、一節の人なり。上総五郎忠光の如きは、平家滅亡の後八年まで其の志を変ぜず、利刃を懐にして頼朝を刺さんとせしは、事成らずと云へども、真に全節の人と云ふべし。是等の処学問思弁の入る所なり。郷里無学の一善人にては覚束なし。此の章本文已に明らかにして、朱註又尽くせり。故に姑く言外の余意を論ず。第六章
現代語訳
私は足利の末期の歴史を読むたびに、勇気と義気のある人が多いことに感じ入り、また主君を旅籠の主人のように見て、大きな節義に欠けた人が多いことを悲しむ。そこで私は当時の勇義の士を二つに分け、一つを「全節伝」として、山中鹿之助幸盛のように終始一人の主君のために尽くした人を収め、もう一つを「一節伝」として、後藤又兵衛基次は勇義の人ではあるが、初めは黒田に仕え、また細川に仕え、のちについに大坂城に入って節を尽くした、こうした類の人を収め、二つの伝によって代々俸禄を受ける武士を戒めたいと考えている。まだ手をつけられていない。これを源平の時代で言えば、斎藤別当実盛のように、白髪を染めて北陸で戦死したのは勇ましいが、関東の旧臣でありながら、源義朝の没落のときに死ぬことができず、背いて平家に仕えたのだから、一節の人である。上総五郎忠光のように、平家が滅んで八年たってもその志を変えず、鋭い刃を懐にして頼朝を刺そうとしたのは、事は成らなかったが、まことに全節の人というべきである。こうした所こそ学問と思索が必要な所である。郷里の学問のない善人では心もとない。この章の本文はすでに明らかで、朱子の注も尽くしている。だから、しばらく言外の余った意味を論じたのである。第六章。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『講孟余話』盡心下 第三十一章大氐此の人、小用すれば小誉あり、小害あり、大用すれば大誉あり、大害あり。其の器量又大小数等あり。然れども其の言はざるを以て之れを餂ることは則ち一なり。言を以て之れを餂る者も亦三数等あり。便佞は論ずるに足らず。又利口喋々、才能を示さんと欲する者あり、是れ曹参・張釈之の取らざる所、其の薄情悪むべし。又侃々諤々、鯁直を耀かさんと欲する者あり、是れ或は可にして未だ全く可ならず、畢竟国の為にするの志、身の為にするの私に勝ち得ず。抑々余が如き、正直国を憂ふるを以て自ら任ず。一二の同志、亦或は其の真心能く然るを許すものあり。然れども自ら反省するに、遂に言を以て之れを餂るの私心未だ全く銷尽せず、豈に甚だ慙づべきの甚しきに非ずや。凡そ穿窬は其の悪顕明、人得て之れを咎め、官得て之れを罪す。之れを餂るは其の情隠微、人皆之れを喜び、官皆之れを愛す。然らば則ち之れを餂るの愧恥たる、士自ら是れを知るに非ずんば、義気将に天地の間に滅絶せんとす。是れ吾が党の任なり。
-
『講孟余話』盡心上 第九章凡そ士たる者、何程困窮すると云へども、遂に士の覚悟は失はず、又顕達すると云へども、富貴に淫して平生の志を亡失することなく、治を致し民を沢し民の素望に協ふなり。余当今を歴観するに、達して道を離れざる者少なし。貧賤の際・少壮の日、書を挟み経を講ずる時の議論と、廟堂に登り政事に従ふの功業と、大抵は相当らず。然れども是れ必ず已むを得ざるの由もあるべければ、吾必ずしも論ぜず。但し窮して義を失はざるに至りては、切に吾が身上の事なり、励まざるべけんや。吾甲寅以来、身を関するに木を以てし、体を縛するに索を以てす。檻輿三百里を走り、狴犴六百日を渉る。今日禁錮稍紓ぶと云へども、足門径を出でず、親近の外敢へて他人に接せず、亦窮と云ふべし。然れども其の志に至りては、松本一邑に一二の奇傑を生じ、以て忠孝の首め天下の唱へとならんことを欲す。果して義を失はざるか、亦失ふこと多きか、自ら信ずること能はず。故に孟子を把りて玩索して其の当否を質さんと欲す。
-
『講孟余話』滕文公下 首章「志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪ふを忘れず」。書を読むの要は、是等の語に於て反復熟思すべし。志士とは志達ありて節操を守る士なり。節操を守る士は、困窮するは固より覚悟の前にて、早晩も飢餓して溝谷へ転死することを念ひて忘れず。勇士は戦場にて撃死するは固より望む所なれば、早晩も首を取らるるとも顧みざることを念ひて忘れず。苟も士と生れたらん者は、志士勇士とならずんば、恥づべきの甚しき者なり。今吾輩囚繋に陥り、将に身を終へんとす。是れ宜しく志士の節操を心掛くべし。溝壑をさへ忘れざれば、生を囹圄に終ふるとて、少しも頓着はあるまじ、却つて本望とする所なり。此の志一たび立ちて、人に求むることなく世に願ふことなく、昂然として天地古今を一視すべし。豈愉快ならずや。吾が学茲に進まば、事に臨んで亦豈勇士なる者に後れんや。
-
『慎思録』巻之六士人の勇を好むや、忠義なる者有り、血気なる者有り。忠義なる者は君子の道なり。血気なる者は衆人の事なり。二者の差等は、大小高下懸絶すと雖も、各成功の益有り。主将たる者は、偏廃すべからず。然れども士或は忠義の勇無ければ、則ち血気の勇有りと雖も、危きに臨みて命を授くること能はずして、節を失ふ者有り。血気の勇を好む者は、或は一朝の忿に其の身を忘れて、以て其の親に及ぼす。戒めざるべけんや。
-
『講孟余話』盡心下 第十九章余平素行篤敬ならず、言忠信ならずと云へども、天性甚だ柔懦迂拙なるを以て、平生多く人と忤はず、又人の悪を察すること能はず、唯だ人の善のみを見る。故に宗族郷党より朋友故旧に至るまで、多く余を怒嫉する者あらず。然れども幼より山鹿氏の兵を業とし、武士道を心掛け、死を以て常に心に当つる故、事変に感激する毎に、往々身家を顧みず危難を冒し狂妄を為すを以て、前の三等の小人最も深く余を憎む。而して余未だ曾て顧みず、却つて自ら古人を以て以て自ら比するに至る。是れ亦咲ふべきのみ。
-
『講孟余話』盡心上 第二十六章権の一字是れ中を執るの法にして、全章の帰宿なり。余常に謂へらく、聖人の道は人倫を明らかにするにあり、明らかにするの工夫は是れ権の功なり。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の五つの物、親・義・別・序・信の五つの事、是れ人倫なれば、後漢の趙苞の如く、三国の徐庶の如く、不幸にして人倫の変に遇ひたる時は、軽重を衡り、或いは仕を辞して親に随ひ、或いは国に殉じて家を顧みざる、皆時と勢とに因りて義を生ずる、是れ権なり。故に徒らに忠孝の道を学びて、権の字に心付かざれば、不忠不孝に陥ること多し。余常に是れを憂ふ。故に古今人倫の変に遇ひて、或いは善く権して其の義を全うし、或いは権すること能はずして其の義を闕く類の事蹟を類輯して一書となし、略論断を加へて、自ら観省に備へんと欲す、未だ及ぶに暇あらず。然れども已に変と云へば千差万別、始めより定体なし、又一言の尽くす所に非ず。且つ往古の死例を以て、将来の万変を制せんとするは迂闊拘泥の至りならずや。云く、「故きを温ねて新しきを知る」は孔門の学則なり。死例を活用すれば、思ひを広め智を発するの一助ともなるべし。其の要に至りては、欒共子の所謂(小学内篇通論引)「之の在る所は則ち死を致す」の意に原づきて是れを思はば、権の義に於て思ひ已に半ばに過ぎん。第二十七章。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る