武教講録 / 財寳器物・大節を守るため日々の小恣を忍ぶ
靑砥藤綱が松明を買て錢を尋ね、岡左内が常に金銀を玩び娯みとし、事に臨ては君に獻納し朋輩に賑施せし類、皆善く儉吝の辨を示したると云べし、是等の佳話古今に夥しき事なれば、右の書中へ採錄せんと欲す、亦少しく先師の遺意を奉ずるに足らんか、守死於全道の語上篇にも是あり、是れ論語泰伯篇に守死善道と云語より出たる者也、守死とは死を徒らにせず持詰て居るとなり、全道は即ち善道と同意にして、武士の一死は或は泰山より重く、或は鴻毛より輕きを以て、其道を善くして全道に於て一死を致し、平生の小恣を忍て忠孝の大節を立ると也、大節に於て苟も欠くるとあれば、假令一死を潔ふすと云へども全道と云べからず、武士たる者は元日より大晦日迄、日夜朝暮、動靜語默、常に一死を以て心上に措て、扨其一死を又徒らに成らぬ如く持詰る、譬へば、悍馬を引留て立つるが如し、而して眞に心一死を存する人に非れば守るの一字は合點行ぬとなり、南燕の封孚曰、行年七十惟求死所耳と、求の一字叉守の字と相煦して其味を悟るべし、
新字:青砥藤綱が松明を買て銭を尋ね、岡左内が常に金銀を玩び娯みとし、事に臨ては君に献納し朋輩に賑施せし類、皆善く倹吝の弁を示したると云べし、是等の佳話古今に夥しき事なれば、右の書中へ採録せんと欲す、亦少しく先師の遺意を奉ずるに足らんか、守死於全道の語上篇にも是あり、是れ論語泰伯篇に守死善道と云語より出たる者也、守死とは死を徒らにせず持詰て居るとなり、全道は即ち善道と同意にして、武士の一死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽きを以て、其道を善くして全道に於て一死を致し、平生の小恣を忍て忠孝の大節を立ると也、大節に於て苟も欠くるとあれば、仮令一死を潔ふすと云へども全道と云べからず、武士たる者は元日より大晦日迄、日夜朝暮、動静語黙、常に一死を以て心上に措て、扨其一死を又徒らに成らぬ如く持詰る、譬へば、悍馬を引留て立つるが如し、而して真に心一死を存する人に非れば守るの一字は合点行ぬとなり、南燕の封孚曰、行年七十惟求死所耳と、求の一字叉守の字と相煦して其味を悟るべし、
書き下し
靑砥藤綱が松明を買て錢を尋ね、岡左内が常に金銀を玩び娯みとし、事に臨ては君に獻納し朋輩に賑施せし類、皆善く儉吝の辨を示したると云べし、是等の佳話古今に夥しき事なれば、右の書中へ採錄せんと欲す、亦少しく先師の遺意を奉ずるに足らんか、守死於全道の語上篇にも是あり、是れ論語泰伯篇に守死善道と云語より出たる者也、守死とは死を徒らにせず持詰て居るとなり、全道は即ち善道と同意にして、武士の一死は或は泰山より重く、或は鴻毛より輕きを以て、其道を善くして全道に於て一死を致し、平生の小恣を忍て忠孝の大節を立ると也、大節に於て苟も欠くるとあれば、假令一死を潔ふすと云へども全道と云べからず、武士たる者は元日より大晦日迄、日夜朝暮、動靜語默、常に一死を以て心上に措て、扨其一死を又徒らに成らぬ如く持詰る、譬へば、悍馬を引留て立つるが如し、而して眞に心一死を存する人に非れば守るの一字は合點行ぬとなり、南燕の封孚曰、行年七十惟求死所耳と、求の一字叉守の字と相煦して其味を悟るべし、
現代語訳
青砥藤綱が松明を買って銭を探したこと、岡左内が常に金銀をもてあそんで楽しみとし、事に臨んでは君に献納し朋輩に施し与えた類は、みな倹吝の弁をよく示したものと言えます。これらの佳話は古今に夥しいので、右の書の中に採録しようと思います。これもまた少しは先師の遺意を奉ずるに足りるでしょうか。「死を全道に守る」の語は上篇にもあります。これは『論語』泰伯篇の「死を守りて道を善くす」という語から出たものです。守死とは、死を無駄にせず、持ち詰めていることです。全道は善道と同意で、武士の一死は、ある時は泰山より重く、ある時は鴻毛より軽い、その道を善くして、全道において一死を致し、平生の小さなわがままを忍んで、忠孝の大節を立てるということです。大節においていやしくも欠けることがあれば、たとえ一死を潔くしたと言っても、全道とは言えません。武士たる者は、元日から大晦日まで、日夜朝暮、動静語黙、常に一死を心の上に置いて、しかもその一死をまた無駄にならぬよう持ち詰める。たとえば、暴れ馬を引き留めて立たせるようなものです。そして真に心に一死を存する人でなければ、「守る」の一字は合点がいかないということです。南燕の封孚が「行年七十、ただ死に場所を求めるのみ」と言ったのも、「求」の一字が「守」の字とあい響き合って、その味わいを悟るべきです。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・財寳器物・倹約と吝嗇は義と利で見分ける財寳器物は衣食居と事相渉るを以て、上篇に於て已に略其要義を述ぶ、今又、兩篇及び下の與受の篇に通じて一論あり、三篇に於て宜しく儉吝の辨を知るべし、俗人は儉約の一段強さを吝嗇と心得る者多し、殊に知らず、儉約と吝嗇とは判然として兩事なり、儉は義を主とす公也、身に奉ずるの衣食財器を儉約し、儲畜となし、君上の用に供し、朋輩の難を救ひ、下賤の貧を恤むとなり、吝は利を主とす私也、人に與ふる衣食財器を吝嗇し、人より取るには邪欲深く邪智を用ひ、終に己が奢侈飲食の資とするか、守錢虜となりて死するかなり、二つの者の辨は古人已に論じ盡したれども、余尚餘暇あらば儉吝辨と云一書を作り、古今の事實を列擧し、兩條の似て非なる者を辨ぜんと欲す、前漢の文帝、後漢の光武は儉と云べし、後漢の靈帝、唐の德宗は吝と云べし、又織田信長角力を賞するには煨栗三を以てし、將士の功に報ゆるには國郡の封を惜まず、黑田孝高は魚肉をば味噌漬にして貯たれども、日根野備中が返金をば辭して受けず、其他、
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『武教講録』・行住坐臥・小事で争わず内を忘れる大勇を持つ但し死は一生の終にして、人の死せんとする其言ふや善きの例しにて、子孫も遺誡と號して是を守る事なれば、其結要とすべき所を遺命するも一の敎道たるべきのみと、是等の論實に前人未發の說にして、平生に覺悟ある人に非ずんば安ぞ善く此に及んや、又行の一事に就て說あり、不礙傍人、不爲非禮、不出過言、の三語、血氣の勇者は遽かに聽ては服せざる事也、血氣の勇者は兎角道中にて行人に礙り、非禮過言をなし、終には大不覺を取り面目を失ふ事多き者なり、此風幕士の下卒などに多し、然ども、是固より半季居の雇奴原がゆすりの爲にするとなれば、論ずるに足らず、但堂々たる藩士として、却て彼輩と曲直を爭ふの癖ある者あり、是前の三語を深味せざるなり、凡そ藩士は隨分謹厚にして、非禮過言を愼みむ戒ることこそ誠に長者の風にして、却て大國の武威も顯るゝなれば、是即ち大勇の所なり、其大勇の根元は、外に出るより內を忘れ、門を出るより敵を見る如きにあり、夫已に內を忘れ敵を見るの心膽定むる時は、傍人皆我轂內にあるとなれば、前の三語を守りて復た小節小事を校ふるに足らず、若し事に臨み、萬々理勢の止むべからざる者ある時は、直に我が大勇を奮發して萬人立所に辟易せざるとなし、豈徒に下卒輩を敵とせんや、必ず藩士の武風を天下に振耀して已まんのみ、是程の事なれば容易に小節小事の爲めに振ふべきに非ず、此事本論ずるに足るとなしと雖ども、少壯血氣の士動すれば事を誤るとある者なれば、玆に論ず、佩用具、不離利器、嚴夜戒、不忘不虞之戒、
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『武教講録』・衣食居・奢りを戒め物への執着を離れる商賣町人は是にても苦しからず、荷も武士の籍に居る者として蒐る所行あらば、誠に恥か敷事に非ずや、惣て衣食住共に、武士たる者は、早晩も郡山御籠城か嚴島御渡海の時の事を以て心に存せば、天晴武士と云べし、因て憶ふ、余野山獄にある時、家兄より水戸景山公甲寅春の壁書とて寫し贈らる、披き見るに云く、飯を得る毎に兵粮の粗々敷を思ひ、衣を得る毎に甲冑の窮屈を思ひ、居宅を搆ふるに陣中の不自由を思ひ、起居の安きに山野の苦を思ひ、父母妻子同居し兄弟親族と交るに遠國離居の時の悲歎を思ひやりて、今日の無事安穩を大幸とせば何ぞ奢の念を生ぜんと、因て是を同囚に示して獄舍の艱苦を泳ふるの一規に當つ、噫是亦此篇の訓と併せ考ふべし、外叔久保翁、衣食住儉素を好み、特に古器物名書畫等一も儲るとなく、盖し其志將さにするとあらんとす、余又曾て京師の梅田源次郎に聞くとあり、熊澤了介先生の家、懸物僅に二幅あり、一は源廷尉弓流しの圖也、一は「筑波山葉山蕃山蕃けれど思ひ入るにはさはらざりけり」の歌なり、並に深く自ら警戒せらるゝ所あり、其他絶て一幅なしとぞ、實に後學の景仰すべきとなり、余亦器物書畫に於て素より翫好あるとなし、然ども、蘇東坡寶繪堂記に、譬之煙雲之過眼、百鳥之感耳、豈不欣然接之、去而不復念也、の語に至ては甚吾心に合す、白樂天詩に、亦莫戀此身、萬劫煩惱根、亦莫厭此身、一聚虛空塵と云も、同一の見解なり、武士たる者此見解なくては討死は出來ぬなり、而して俗士乃ち器物書畫さへ念慮に橫はる位にて、安ぞ煩惱虛空の眞理を了悟するとを得んや、家宅之廣狹用所、尤可守武式と云と、余年來此事に心ありと雖ども未だ家宅を起すとを得ず、
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