講孟余話 / 滕文公下 首章
志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元、書ヲ読ムノ要ハ、是等ノ語ニ於テ反復熟思スヘシ、志士トハ志達アリテ節操ヲ守ル士ナリ、節操ヲ守ル士ハ、困窮スルハ固ヨリ覚悟ノ前ニテ、早晩モ飢餓シテ溝谷ヘ轉死スルコトヲ念テ忘レズ、勇士ハ戰場ニテ擊死スルハ固ヨリ望ム所ナレハ、早晩モ首ヲ取ラル共顧ミサルコトヲ念テ忘レス、苟モ士ト生レタラン者ハ、志士勇士トナラスンハ、耻ヘキノ甚シキ者ナリ、今吾輩囚繫ニ陷リ、將ニ身ヲ終ントス、是レ宜シク志士ノ節操ヲ心掛クヘシ、溝壑ヲサヘ忘レサレハ、生ヲ囹圄ニ終ルトテ、少モ頓着ハアルマシ、却テ本望トスル所ナリ、此志一タヒ立テ、人ニ求ムルコトナク世ニ願フコトナク、昂然トシテ天地古今ヲ一視スヘシ、豈愉快ナラスヤ、吾学茲ニ進マハ、事ニ臨ンテ亦豈勇士ナル者ニ後レンヤ、
新字:志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元、書ヲ読ムノ要ハ、是等ノ語ニ於テ反復熟思スヘシ、志士トハ志達アリテ節操ヲ守ル士ナリ、節操ヲ守ル士ハ、困窮スルハ固ヨリ覚悟ノ前ニテ、早晩モ飢餓シテ溝谷ヘ転死スルコトヲ念テ忘レズ、勇士ハ戦場ニテ撃死スルハ固ヨリ望ム所ナレハ、早晩モ首ヲ取ラル共顧ミサルコトヲ念テ忘レス、苟モ士ト生レタラン者ハ、志士勇士トナラスンハ、耻ヘキノ甚シキ者ナリ、今吾輩囚繋ニ陥リ、将ニ身ヲ終ントス、是レ宜シク志士ノ節操ヲ心掛クヘシ、溝壑ヲサヘ忘レサレハ、生ヲ囹圄ニ終ルトテ、少モ頓着ハアルマシ、却テ本望トスル所ナリ、此志一タヒ立テ、人ニ求ムルコトナク世ニ願フコトナク、昂然トシテ天地古今ヲ一視スヘシ、豈愉快ナラスヤ、吾学茲ニ進マハ、事ニ臨ンテ亦豈勇士ナル者ニ後レンヤ、
書き下し
「志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪ふを忘れず」。書を読むの要は、是等の語に於て反復熟思すべし。志士とは志達ありて節操を守る士なり。節操を守る士は、困窮するは固より覚悟の前にて、早晩も飢餓して溝谷へ転死することを念ひて忘れず。勇士は戦場にて撃死するは固より望む所なれば、早晩も首を取らるるとも顧みざることを念ひて忘れず。苟も士と生れたらん者は、志士勇士とならずんば、恥づべきの甚しき者なり。今吾輩囚繋に陥り、将に身を終へんとす。是れ宜しく志士の節操を心掛くべし。溝壑をさへ忘れざれば、生を囹圄に終ふるとて、少しも頓着はあるまじ、却つて本望とする所なり。此の志一たび立ちて、人に求むることなく世に願ふことなく、昂然として天地古今を一視すべし。豈愉快ならずや。吾が学茲に進まば、事に臨んで亦豈勇士なる者に後れんや。
現代語訳
「志ある士は、自分の屍が谷間に捨てられることを忘れず、勇ある士は、自分の首を失うことを忘れない」。書を読む肝要は、こうした言葉を繰り返し深く考えることにある。志士とは、高い志があって節操を守る士である。節操を守る士は、困窮するのはもとより覚悟のうえで、いずれ飢えて谷間に倒れ死ぬことを心に置いて忘れない。勇士は、戦場で討ち死にするのはもとより望むところだから、いずれ首を取られても顧みないことを心に置いて忘れない。かりにも士として生まれた者が、志士・勇士とならないなら、これほど恥ずべきことはない。いま我々は牢につながれ、ここで一生を終えようとしている。だからこそ志士の節操を心がけるべきだ。谷間に倒れることさえ忘れずにいれば、牢獄で生涯を終えるとしても少しも気にかけることはない。むしろ本望とするところである。この志がひとたび立てば、人に求めることも世に願うこともなく、胸を張って天地と古今を見渡すことができる。なんと愉快ではないか。我々の学問がここまで進めば、事に臨んで勇士に後れを取ることがあろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
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葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
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論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
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史記 刺客列伝是に於て太子豫め天下の利き匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得、之を百金に取り、工をして薬を以て之を焠かしめ、以て人に試むるに、血縷を濡らし、人立ちどころに死せざる者無し。乃ち装して荊卿を遣らんと為す。燕国に勇士秦舞陽有り。年十三にして人を殺す。人敢て忤視せず。乃ち秦舞陽をして副と為さしむ。荊軻待つ所有り、与に倶にせんと欲す。其の人遠きに居りて未だ来たらず。而して為に行を治む。頃之、未だ発せず。太子之を遅しとし、其の改悔せんことを疑ひ、乃ち復た請ひて曰く、「日已に尽きたり。荊卿豈に意有らんや。丹請ふ、先づ秦舞陽を遣るを得ん」と。荊軻怒り、太子を叱して曰く、「何ぞ太子の遣るや。往きて返らざる者は、豎子なり。且つ一匕首を提げて不測の彊秦に入る。僕の留まる所以の者は、吾が客を待ちて与に倶にせんとすればなり。今太子之を遅しとす。請ふ辞して決せん」と。遂に発す。太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。易水の上に至り、既に祖して、道を取る。高漸離筑を撃ち、荊軻和して歌ひ、変徴の声を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前みて歌を為りて曰く、「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」と。復た羽声を為して慷慨す。士皆目を瞋らし、髪尽く上りて冠を指す。是に於て荊軻車に就きて去り、終に已に顧みず。遂に秦に至り、
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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