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講孟余話 / 盡心上 首章

又案スルニ、殀壽不貳ト云ヘハ、人多クハ殀ノ字ニノミ目ヲ付ル、說右ニ云カ如シ、余今壽ニ因テ貳フ者ヲ云ハン、今世学問ヲスル者、己レノ年少ヲ恃ミ、何事モ他日他年ト推延ル者アリ、殊テ知ラス、人生一世間、如白駒隙、假令百年ノ命ヲ全クス共、誠ニ暫時ノ間也、况ンヤ五七十ナラスシテ死スル者、世ニハ甚多シ、加之朝露ノ如キノ命モテ、測リ難キノ禍災患難ヲ待ツ、実ニ一日モ覚束ナキ浮世ニテ、何ソ他日他年ニ推延へ、壽ヲ恃テ疑貳猶豫スヘケンヤ、時ニ在坐ノ人、高洲生瀧之允、年二十二、佐佐木生梅三郞、年十七、玉木生彥介、年十六、而シテ余年二十七、故ニ是ヲ云テ以テ相勵ス

新字:又案スルニ、殀寿不貳ト云ヘハ、人多クハ殀ノ字ニノミ目ヲ付ル、説右ニ云カ如シ、余今寿ニ因テ貳フ者ヲ云ハン、今世学問ヲスル者、己レノ年少ヲ恃ミ、何事モ他日他年ト推延ル者アリ、殊テ知ラス、人生一世間、如白駒隙、仮令百年ノ命ヲ全クス共、誠ニ暫時ノ間也、況ンヤ五七十ナラスシテ死スル者、世ニハ甚多シ、加之朝露ノ如キノ命モテ、測リ難キノ禍災患難ヲ待ツ、実ニ一日モ覚束ナキ浮世ニテ、何ソ他日他年ニ推延へ、寿ヲ恃テ疑貳猶予スヘケンヤ、時ニ在坐ノ人、高洲生滝之允、年二十二、佐佐木生梅三郎、年十七、玉木生彦介、年十六、而シテ余年二十七、故ニ是ヲ云テ以テ相励ス

書き下し

又案ずるに、殀寿貳はずと云へば、人多くは殀の字にのみ目を付くる、説右に云ふが如し。余今寿に因りて貳ふ者を云はん。今世学問をする者、己れの年少を恃み、何事も他日他年と推し延ぶる者あり。殊に知らず、「人生一世の間、白駒の隙の如し」、仮令百年の命を全くすとも、誠に暫時の間なり。況んや五七十ならずして死する者、世には甚だ多し。加之朝露の如きの命もて、測り難きの禍災患難を待つ。実に一日も覚束なき浮世にて、何ぞ他日他年に推し延べ、寿を恃みて疑貳猶予すべけんや。時に在坐の人、高洲生滝之允、年二十二、佐々木生梅三郎、年十七、玉木生彦介、年十六、而して余年二十七、故に是れを云ひて以て相励ます。

現代語訳

また考えてみると、「若死にか長生きかに迷わない」と言えば、人の多くは若死にの字にばかり目をつける。その説は右に述べたとおりである。私は今、長生きをあてにして迷う者のことを言おう。今の世で学問をする者の中には、自分の若さをあてにして、何事も後日、来年と先延ばしにする者がいる。まったく知らないのだ。「人の一生は、白い馬が戸のすき間を走り過ぎるのを見るようなものだ」。たとえ百年の命を全うしても、まことにわずかの間である。まして五十、七十にならずに死ぬ者は世にたいへん多い。そのうえ朝露のようなはかない命で、予測できない災難を待ち受けているのである。実に一日も心もとない浮世で、どうして後日や来年に先延ばしし、長生きをあてにして迷いためらっていてよかろうか。そのとき座にいたのは、高洲滝之允二十二歳、佐々木梅三郎十七歳、玉木彦介十六歳、そして私は二十七歳であった。だからこれを言って互いに励まし合ったのである。

解説

松陰は「殀寿貳はず」の後半として、若さをあてにして学びを先延ばしにする者を戒めます。人の一生は白馬が戸のすき間を過ぎるように短く、しかも明日をも知れない、だから「いつか」ではなく今学べというのです。最後に、その場で講義を聞いていた若者たちの名と年齢を書き留めています。十六歳の玉木彦介は士規七則を贈られた従弟です。二十七歳の松陰自身も、この三年後には刑死します。若い聞き手に向けた言葉が、書き手自身の運命と重なって読めるところに、この一節の重みがあります。

この章句が説くこと

先延ばし時間無常若者学問

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