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講孟余話 / 告子下 第十五章

又余野山獄ニ在ル時、友人土谷松如居易堂集明遺臣俟斎徐枋著ヲ貸シ示ス、其中ニ與潘生次耕書アリ、才ヲ生シ才ヲ成スト云コトヲ論ス、大意謂ラク、天ノ才ヲ生スル多ケレトモ、才ヲ成スコト難シ、譬ハ春夏ノ草木花葉欝蒼タルガ如キ、是才ヲ生スル也、然トモ桃李ノ如キハ、秋冬ノ霜雪ニ逢テ皆零落凋傷ス、獨リ松柏ハ然ラ、雪中松柏愈靑々タリ、是才ヲ成ス也、人才モ亦然リ、小年輕銳、欝蒼喜フヘキ者甚衆シ、然トモ艱難困苦ヲ経ルニ從ヒ、英氣頽敗シテ一俗物トナル者少カラス、唯眞ノ志士ハ此処ニ於テ愈々激昂シテ、遂ニ才ヲ成ス也、故ニ霜雪ハ桃李ノ凋ム所以、即チ松柏ノ実スル所以ナリ、艱苦ハ輕銳ノ頽ルヽ所以、即チ志士ノ激スル所以ナリトアリ、是又全文ヲ諳セス、大意斯ノ如シ、今吾不才ト云トモ、象山ノ徒ニシテ、又徐氏ノ文ヲ読ム、豈桃李ニ伍シテ松柏ニ咲ハレンヤ、當ニ琢磨淬勵シテ連城干將トナラヘキノミ、是此章ニ於テ感アル所也、抑入則無法家拂士、出則無敵國外患者、國恒亡、ト云ニ至テハ、一轉シテ国家ノ事ニ入ル、尤モ思ヲ致スヘシ、余乃チ云ク、内ニ法家拂士アレハ、敵国外患ニ因テ国隨テ興リ、法家拂士ナケレバ、敵國外患ニ因テ國隨テ亡フ、今ヤ敵國外患ナキニ非ス、法家拂士ノ有無ハ国家興亡ノ界ナリ、豈寒心セサルコトヲ得ンヤ

新字:又余野山獄ニ在ル時、友人土谷松如居易堂集明遺臣俟斎徐枋著ヲ貸シ示ス、其中ニ与潘生次耕書アリ、才ヲ生シ才ヲ成スト云コトヲ論ス、大意謂ラク、天ノ才ヲ生スル多ケレトモ、才ヲ成スコト難シ、譬ハ春夏ノ草木花葉欝蒼タルガ如キ、是才ヲ生スル也、然トモ桃李ノ如キハ、秋冬ノ霜雪ニ逢テ皆零落凋傷ス、独リ松柏ハ然ラ、雪中松柏愈青々タリ、是才ヲ成ス也、人才モ亦然リ、小年軽鋭、欝蒼喜フヘキ者甚衆シ、然トモ艱難困苦ヲ経ルニ従ヒ、英気頽敗シテ一俗物トナル者少カラス、唯真ノ志士ハ此処ニ於テ愈々激昂シテ、遂ニ才ヲ成ス也、故ニ霜雪ハ桃李ノ凋ム所以、即チ松柏ノ実スル所以ナリ、艱苦ハ軽鋭ノ頽ルヽ所以、即チ志士ノ激スル所以ナリトアリ、是又全文ヲ諳セス、大意斯ノ如シ、今吾不才ト云トモ、象山ノ徒ニシテ、又徐氏ノ文ヲ読ム、豈桃李ニ伍シテ松柏ニ咲ハレンヤ、当ニ琢磨淬励シテ連城干将トナラヘキノミ、是此章ニ於テ感アル所也、抑入則無法家払士、出則無敵国外患者、国恒亡、ト云ニ至テハ、一転シテ国家ノ事ニ入ル、尤モ思ヲ致スヘシ、余乃チ云ク、内ニ法家払士アレハ、敵国外患ニ因テ国随テ興リ、法家払士ナケレバ、敵国外患ニ因テ国随テ亡フ、今ヤ敵国外患ナキニ非ス、法家払士ノ有無ハ国家興亡ノ界ナリ、豈寒心セサルコトヲ得ンヤ

書き下し

又余野山獄に在る時、友人土屋松如、居易堂集明の遺臣俟斎徐枋の著を貸し示す。其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり、才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずること多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず、雪中松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少からず。唯真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。是れ又全文を諳ぜず、大意斯くの如し。今吾不才と云へども、象山の徒にして、又徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に笑はれんや。当に琢磨淬励して連城・干将となるべきのみ。是れ此の章に於て感ある所なり。抑も「入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ」と云ふに至りては、一転して国家の事に入る。尤も思ひを致すべし。余乃ち云く、内に法家払士あれば、敵国外患に因りて国随ひて興り、法家払士なければ、敵国外患に因りて国随ひて亡ぶ。今や敵国外患なきに非ず、法家払士の有無は国家興亡の界なり。豈に寒心せざることを得んや。

現代語訳

また私が野山獄にいたとき、友人の土屋松如が、明の遺臣徐枋(俟斎)の著書『居易堂集』を貸してくれた。その中に「潘次耕に与える書」があり、才を生むことと才を成すことを論じていた。大意はこうである。天が才を生むことは多いが、才を完成させることは難しい。たとえば春や夏に草木の花や葉が鬱蒼と茂るのは、才を生むことである。しかし桃や李のようなものは、秋冬の霜や雪にあうと皆散り傷む。ただ松と柏はそうではなく、雪の中でいよいよ青々としている。これが才を成すことである。人の才もまた同じで、若くて鋭く、茂って喜ばしい者はたいへん多い。しかし艱難辛苦を経るにつれ、英気がくずれて一人の俗物となる者が少なくない。ただ真の志士は、ここでいよいよ奮い立ち、ついに才を成すのである。だから霜雪は桃李が枯れるわけであり、同時に松柏が実るわけである。艱苦は若い鋭さがくじけるわけであり、同時に志士が奮い立つわけである、と。これもまた全文を暗記していないが、大意はこのとおりである。今、私は不才ではあるが、象山の門人であり、また徐氏の文も読んだ。どうして桃李の仲間となって松柏に笑われてよかろうか。ただ自らを磨き鍛えて、連城の玉や干将の剣となるべきだけである。これがこの章について感じるところである。そもそも「国内に法を守る家臣や諫める士がなく、国外に敵国や外患がない国は、いつも滅びる」というに至っては、話が一転して国家のことに入る。最も深く考えるべきである。私はそこで言う。内に法家払士がいれば、敵国外患によって国はかえって興り、法家払士がいなければ、敵国外患によって国はそのまま滅ぶ。今や敵国外患がないわけではない。法家払士がいるかどうかが国家の興亡の分かれ目である。どうして寒心せずにいられようか。

解説

松陰は、明の遺臣徐枋の手紙から「霜雪は桃李を枯らし、松柏を実らせる」という言葉を引きます。同じ苦難が、ある者をくじき、ある者を鍛える。才を生むのはたやすく、才を成すのは難しいという指摘です。そして自分は象山の弟子として松柏の側に立つと誓います。後半では孟子の「法家払士無く、敵国外患無き者は国恒に亡ぶ」を、外国船が迫る当時の日本に引きつけ、外患がある今こそ諫める臣がいるかどうかが興亡を分けると警告しました。個人の逆境も組織の危機も、それを生かす人がいるかどうかで結果が変わるという視点です。

この章句が説くこと

逆境成長志士外患諫言

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