講孟余話 / 告子下 第十一章
禹以四海爲壑、今吾子以鄰國爲壑、前章五覇ノ五命ニ言ルコトアリ、云ク勿曲防ト、此章丹之治水、以鄰國爲壑ハ、乃チ防ヲ曲ルノ治方ナリ、何ソ大禹ノ水ヲ治ル、四海ヲ以テ壑トシ天下共ニ其沢ヲ被ルト、年ヲ同シテ語ルコトヲ得ンヤ、此義萬事ニ就テ考フヘシ、獨リ水ノミナラズ、聞ク、肥後ノ靈感公ノ罪人ヲ他国ヘ追放スルコトヲ停メラレタルモ亦此意ナリト、又吾曾テ水府ニ遊ヒ、桑原幾太郞ヲ訪フ、桑原余カ爲メニ云フ、諸藩ノ士ヲ觀ルニ、太氏東奥ヘ夷船ノ見ヘタルハ、筑紫ニハ患ヘス、北陸ヘ夷人ノ來リタル、南海ニハ憂ヘサル者多シ、何ソ自ラ小ニシ自ラ私スルノ甚シキヤ、凢ソ神州ニ生レタル者ハ、切ニ此念ヲ除去シ、共ニ神州ヲ憂ヒ、四海同胞ノ如クアリ度コトナリ、况ヤ夷虜ノ害、獨リ東ノミニシテ西ハ關ラス、獨リ北ノミニシテ南ハ關ラサルニ非ズ、一旦事変起ラハ東西ヲ分ツコトナク、又南北ヲ限ルコトナシ、神州一同ニ大患ナリ、思ハサルヘケンヤト、余乃チ起テ謝ス、今ニシテ思フニ、亦此章ノ義ト通スルナリ、又五命ノ内勿遏糴ト云モ、同ク此義也、隣国凶荒ノ時、我国ノ餘米ヲ閉テ糶ラズ、或ハ隣国ノ流民我国ニ來ルヲ追拂フノ類、実ニ隣國ヲ以テ壑トスト云ヘシ、隣国ハ自ラ隣国ノ主アリ、我何ソ隣國ノ民ヲ憂フルニ暇アランヤト云ハ、一通リ聞ヘタル說ナレトモ、已ニ能ク我民ヲ養フ、其餘ヲ以テ隣國ノ民ニモ及ホスト云ハ、実ニ王者ノ道ト云ヘシ、是平素ノ心懸ケニアルコトナリ、政ヲ執ル者思ハサルヘケンヤ
新字:禹以四海為壑、今吾子以鄰国為壑、前章五覇ノ五命ニ言ルコトアリ、云ク勿曲防ト、此章丹之治水、以鄰国為壑ハ、乃チ防ヲ曲ルノ治方ナリ、何ソ大禹ノ水ヲ治ル、四海ヲ以テ壑トシ天下共ニ其沢ヲ被ルト、年ヲ同シテ語ルコトヲ得ンヤ、此義万事ニ就テ考フヘシ、独リ水ノミナラズ、聞ク、肥後ノ霊感公ノ罪人ヲ他国ヘ追放スルコトヲ停メラレタルモ亦此意ナリト、又吾曽テ水府ニ遊ヒ、桑原幾太郎ヲ訪フ、桑原余カ為メニ云フ、諸藩ノ士ヲ観ルニ、太氏東奥ヘ夷船ノ見ヘタルハ、筑紫ニハ患ヘス、北陸ヘ夷人ノ来リタル、南海ニハ憂ヘサル者多シ、何ソ自ラ小ニシ自ラ私スルノ甚シキヤ、凢ソ神州ニ生レタル者ハ、切ニ此念ヲ除去シ、共ニ神州ヲ憂ヒ、四海同胞ノ如クアリ度コトナリ、況ヤ夷虜ノ害、独リ東ノミニシテ西ハ関ラス、独リ北ノミニシテ南ハ関ラサルニ非ズ、一旦事変起ラハ東西ヲ分ツコトナク、又南北ヲ限ルコトナシ、神州一同ニ大患ナリ、思ハサルヘケンヤト、余乃チ起テ謝ス、今ニシテ思フニ、亦此章ノ義ト通スルナリ、又五命ノ内勿遏糴ト云モ、同ク此義也、隣国凶荒ノ時、我国ノ余米ヲ閉テ糶ラズ、或ハ隣国ノ流民我国ニ来ルヲ追払フノ類、実ニ隣国ヲ以テ壑トスト云ヘシ、隣国ハ自ラ隣国ノ主アリ、我何ソ隣国ノ民ヲ憂フルニ暇アランヤト云ハ、一通リ聞ヘタル説ナレトモ、已ニ能ク我民ヲ養フ、其余ヲ以テ隣国ノ民ニモ及ホスト云ハ、実ニ王者ノ道ト云ヘシ、是平素ノ心懸ケニアルコトナリ、政ヲ執ル者思ハサルヘケンヤ
書き下し
「禹は四海を以て壑と為す。今吾子は隣国を以て壑と為す」。前章五覇の五命に言へることあり、云く「防を曲ぐること勿れ」と。此の章、丹の水を治むる、隣国を以て壑と為すは、乃ち防を曲ぐるの治方なり。何ぞ大禹の水を治むる、四海を以て壑とし天下共に其の沢を被ると、年を同じくして語ることを得んや。此の義万事に就きて考ふべし。独り水のみならず。聞く、肥後の霊感公の罪人を他国へ追放することを停められたるも亦此の意なりと。又吾曾て水府に遊び、桑原幾太郎を訪ふ。桑原余が為めに云ふ、「諸藩の士を観るに、大抵東奥へ夷船の見えたるは、筑紫には患へず、北陸へ夷人の来りたる、南海には憂へざる者多し。何ぞ自ら小にし自ら私するの甚しきや。凡そ神州に生れたる者は、切に此の念を除去し、共に神州を憂ひ、四海同胞の如くあり度きことなり。況や夷虜の害、独り東のみにして西は関らず、独り北のみにして南は関らざるに非ず。一旦事変起らば東西を分つことなく、又南北を限ることなし、神州一同に大患なり。思はざるべけんや」と。余乃ち起ちて謝す。今にして思ふに、亦此の章の義と通ずるなり。又五命の内「糴を遏むること勿れ」と云ふも、同じく此の義なり。隣国凶荒の時、我が国の余米を閉ぢて糶らず、或いは隣国の流民我が国に来るを追ひ払ふの類、実に隣国を以て壑とすと云ふべし。隣国は自ら隣国の主あり、我何ぞ隣国の民を憂ふるに暇あらんやと云ふは、一通り聞えたる説なれども、已に能く我が民を養ひ、其の余を以て隣国の民にも及ぼすと云ふは、実に王者の道と云ふべし。是れ平素の心懸けにあることなり。政を執る者思はざるべけんや。
現代語訳
「禹は四方の海を水の捨て場とした。今あなたは隣国を水の捨て場にしている」。前の章で五覇が交わした五つの誓約に「堤防を曲げて水を他国へ流してはならない」とあった。この章で白圭(丹)が隣国に水を流して治水したのは、まさに堤防を曲げるやり方である。どうして大禹が四方の海に水を導き、天下がともにその恵みを受けた治水と、同列に語ることができようか。この道理は万事について考えるべきで、水だけの話ではない。聞くところでは、肥後の霊感公が罪人を他国へ追放するのをやめさせたのも、この意味だという。また私はかつて水戸に遊び、桑原幾太郎を訪ねた。桑原は私のためにこう言った。「諸藩の武士を見ると、たいてい東北の沖に外国船が見えても九州の者は心配せず、北陸に外国人が来ても南海の者は気にかけない者が多い。なんと自分を小さくし、自分のことだけを考えることのはなはだしいことか。およそ日本に生まれた者は、ぜひこの考えを捨て去り、ともに日本を憂え、国中が兄弟のようでありたいものだ。まして外国の害は、東だけで西は関係ない、北だけで南は関係ないというものではない。いったん事が起これば東西の別なく、南北の限りもなく、日本全体の大きな災いとなる。考えずにいられようか」。私はすぐに立ち上がって礼を言った。今思えば、これもこの章の意味と通じている。また五つの誓約のうち「穀物の買い入れを妨げてはならない」というのも同じ意味である。隣国が凶作のとき、自国の余った米を閉ざして売らず、あるいは隣国から流れてきた民を追い払うたぐいは、まさに隣国を水の捨て場とするものである。隣国には隣国の主がいるのだから、自分が隣国の民まで心配する暇はないというのは、一応もっともらしい説だが、自国の民をよく養ったうえで、その余りを隣国の民にも及ぼすことこそ、実に王者の道というべきである。これは日ごろの心がけにかかっている。政治を執る者は考えずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・告子章句下白圭曰く、「丹の水を治むるや、禹より愈れり。」孟子曰く、「子過てり。禹の水を治むるは、水の道なり。是の故に禹は四海を以て壑(たに)と為せり。今吾子は鄰國を以て壑と為す。水逆行する、之を洚水と謂う。洚水とは洪水なり。仁人の惡む所なり。吾子過てり。」
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『講孟余話』滕文公下 第九章「我も亦人心を正し、邪説を息め、詖行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承けんと欲す」。全章の主意此の一節に在り。此の一節又「正人心」の三字に帰す。是れ乃ち孟子終身自ら任ずる所茲にあり。抑々此の章、禹の洪水を抑へ、周公の夷狄を兼ね猛獣を駆り、孔子の春秋を成すを以て、孟子自ら比す。而して朱子注して云ふ、「蓋し邪説横流して人の心術を壊ること、洪水猛獣の災ひより甚しく、夷狄簒弑の禍ひより惨し。故に孟子深く懼れて力めて之れを救ふ」と。此の言深く味ふべし。且つ当今の事を以て是れを証せんに、群夷競ひ来る、国家の大事とは云へども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る、其の間勝敗利鈍ありと云へども、未だ遽かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべき者は、人心の不正なるに非ずや。近年来外夷に対し国体を失すること少なからず。其の茲に至る者、恐れながら幕府諸藩の将士、皆其の心不正にして、国の為めに忠死すること能はざるに由る。然れば孟子今日に生るるとも、亦「正人心」の三字の外一句もあることなし。此の類を以て推すに、洪水猛獣の人民を害する甚しと雖も、洪水は抑ふべし、猛獣は駆るべし。夷狄簒弑誠に憎むべしと云へども、夷狄は兼ぬべし、簒弑は誅すべし。人心苟も正しき時は、四つの者少しも憂ふるに足らず。苟も人心不正なる時は、何を以て洪水を抑へんや、何を以て猛獣を駆らんや、何を以て夷狄を兼ねんや、何を以て簒弑を誅せんや。天地晦瞑人道滅絶す。誠に寒心をなすべきことなり。
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『講孟余話』盡心上 第四十四章余此の章に因りて一議あり。癸丑甲寅の変に当たりて、余同志と国家天下を憂ひ、共に論じて云く、「身を修めて而る後に家を斉へ、而る後に国を治め、而る後に天下平らかなりと云ふは、一定の論なれども、是れは尋常の事にて、非常を論ずる所以にあらず。且つ今日の事、天下相互に維持するの形勢なれば、天下正論有志の士と謀り、上列侯より下大夫士庶に至るまで、心を協へ、力を戮せ、相共に幕府を諫争し、天朝を尊奉し、外夷を撻伐せんこと然るべし。是れ則ち成己成物、修身・斉家・治国・平天下、一斉に並び下るの工夫、今日の急務なり」とて、東西奔走し、一日も寧処せざりしに、天下吾と志を同じくする者亦少なからず。奈何せん、俗論の輩交々其の議を沮みて云く、「自国だに治まらぬに、争でか天下の列藩と事を謀らんや。争でか幕府を諫争せんや。争でか天朝を尊奉せんや。又争でか外夷を撻伐せんや。宜しく先づ内自ら治むべし」と。此の説遂に頑乎として国是となれり。然れども余を以て思ふに、是れ皆身家を惜しみ、妻子を顧み、分毫も天下国家を憂ふる心なき不忠不孝の徒の言にして、其の徒却つて吾が輩を側目して云く、「事を好むは浪人の常にして世禄の臣の志に非ず」と。噫、天下浪人少なくして世臣多し。是れ其の今日の晦盲否塞を致す所以なるか。悲しいかな、悲しいかな。
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