講孟余話 / 滕文公下 第九章
欲我亦正人心、息邪說、距詖行、放淫辞、以承三聖者、全章ノ主意此一節ニ在、此一節又正人心ノ三字ニ帰ス、是乃チ孟子終身自ラ任スル所玆ニアリ、抑此章禹ノ抑洪水周公ノ兼夷狄驅猛獸、孔子ノ成春秋ヲ以テ孟子自ラ比ス、而シテ朱子注シテ云ク、蓋邪說横流、壞人心術、甚於洪水猛獸之災、慘於夷狄簒弑之禍、故孟子深懼而力救之、ト、此言深ク味フヘシ、且當今ノ事ヲ以テ是ヲ証センニ、群夷競來ル、国家ノ大事トハ云トモ、深憂トスルニ足ラズ、深憂トスヘキハ人心ノ正カラサルナリ、苟モ人心タニ正ケレハ、百死以テ国ヲ守ル、其間勝敗利鈍アリト云トモ、未タ遽カニ国家ヲ失フニ至ラズ、苟モ人心先ツ不正ナラハ、一戰ヲ待タスシテ国ヲ擧テ夷ニ從フニ至ルヘシ、然レハ今日最モ憂フヘキ者ハ、人心ノ不正ナルニ非スヤ、近年來外夷ニ對シ国体ヲ失スルコト少ナカラズ、其茲ニ至ル者、恐ナカラ幕府諸藩ノ將士、皆其心不正ニシテ、国ノ爲ニ忠死スルコト能ハサルニ由ル、然レハ孟子今日ニ生ルヽ共、亦正人心ノ三字ノ外一句モアルコトナシ、此類ヲ以テ推スニ、洪水猛獸ノ人民ヲ害スル甚シト雖トモ、洪水ハ抑ユヘシ、猛獸ハ驅ルヘシ、夷狄簒弑誠ニ憎ムヘシト云トモ、夷狄ハ兼ヌヘシ、簒弑ハ誅スヘシ、人正苟モ正シキ時ハ、四ツノ者少モ憂ルニ足ラス、苟モ人心不正ナル時ハ、何ヲ以テ洪水ヲ抑ヘンヤ、何ヲ以テ猛獸ヲ驅ランヤ、何ヲ以テ夷狄ヲ兼子ンヤ、何ヲ以テ簒弑ヲ誅センヤ、天地晦瞑人道滅絕ス、誠ニ寒心ヲナスヘキコトナリ
新字:欲我亦正人心、息邪説、距詖行、放淫辞、以承三聖者、全章ノ主意此一節ニ在、此一節又正人心ノ三字ニ帰ス、是乃チ孟子終身自ラ任スル所玆ニアリ、抑此章禹ノ抑洪水周公ノ兼夷狄駆猛獣、孔子ノ成春秋ヲ以テ孟子自ラ比ス、而シテ朱子注シテ云ク、蓋邪説横流、壊人心術、甚於洪水猛獣之災、惨於夷狄簒弑之禍、故孟子深懼而力救之、ト、此言深ク味フヘシ、且当今ノ事ヲ以テ是ヲ証センニ、群夷競来ル、国家ノ大事トハ云トモ、深憂トスルニ足ラズ、深憂トスヘキハ人心ノ正カラサルナリ、苟モ人心タニ正ケレハ、百死以テ国ヲ守ル、其間勝敗利鈍アリト云トモ、未タ遽カニ国家ヲ失フニ至ラズ、苟モ人心先ツ不正ナラハ、一戦ヲ待タスシテ国ヲ挙テ夷ニ従フニ至ルヘシ、然レハ今日最モ憂フヘキ者ハ、人心ノ不正ナルニ非スヤ、近年来外夷ニ対シ国体ヲ失スルコト少ナカラズ、其茲ニ至ル者、恐ナカラ幕府諸藩ノ将士、皆其心不正ニシテ、国ノ為ニ忠死スルコト能ハサルニ由ル、然レハ孟子今日ニ生ルヽ共、亦正人心ノ三字ノ外一句モアルコトナシ、此類ヲ以テ推スニ、洪水猛獣ノ人民ヲ害スル甚シト雖トモ、洪水ハ抑ユヘシ、猛獣ハ駆ルヘシ、夷狄簒弑誠ニ憎ムヘシト云トモ、夷狄ハ兼ヌヘシ、簒弑ハ誅スヘシ、人正苟モ正シキ時ハ、四ツノ者少モ憂ルニ足ラス、苟モ人心不正ナル時ハ、何ヲ以テ洪水ヲ抑ヘンヤ、何ヲ以テ猛獣ヲ駆ランヤ、何ヲ以テ夷狄ヲ兼子ンヤ、何ヲ以テ簒弑ヲ誅センヤ、天地晦瞑人道滅絶ス、誠ニ寒心ヲナスヘキコトナリ
書き下し
「我も亦人心を正し、邪説を息め、詖行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承けんと欲す」。全章の主意此の一節に在り。此の一節又「正人心」の三字に帰す。是れ乃ち孟子終身自ら任ずる所茲にあり。抑々此の章、禹の洪水を抑へ、周公の夷狄を兼ね猛獣を駆り、孔子の春秋を成すを以て、孟子自ら比す。而して朱子注して云ふ、「蓋し邪説横流して人の心術を壊ること、洪水猛獣の災ひより甚しく、夷狄簒弑の禍ひより惨し。故に孟子深く懼れて力めて之れを救ふ」と。此の言深く味ふべし。且つ当今の事を以て是れを証せんに、群夷競ひ来る、国家の大事とは云へども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る、其の間勝敗利鈍ありと云へども、未だ遽かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべき者は、人心の不正なるに非ずや。近年来外夷に対し国体を失すること少なからず。其の茲に至る者、恐れながら幕府諸藩の将士、皆其の心不正にして、国の為めに忠死すること能はざるに由る。然れば孟子今日に生るるとも、亦「正人心」の三字の外一句もあることなし。此の類を以て推すに、洪水猛獣の人民を害する甚しと雖も、洪水は抑ふべし、猛獣は駆るべし。夷狄簒弑誠に憎むべしと云へども、夷狄は兼ぬべし、簒弑は誅すべし。人心苟も正しき時は、四つの者少しも憂ふるに足らず。苟も人心不正なる時は、何を以て洪水を抑へんや、何を以て猛獣を駆らんや、何を以て夷狄を兼ねんや、何を以て簒弑を誅せんや。天地晦瞑人道滅絶す。誠に寒心をなすべきことなり。
現代語訳
「私もまた人の心を正し、邪説をやめさせ、偏った行いを防ぎ、でたらめな言葉を退けて、禹・周公・孔子の三聖人の後を継ぎたいのだ」。章全体の主旨はこの一節にあり、この一節はさらに「人心を正す」の三字に帰着する。これこそ孟子が生涯自らの任とした所である。そもそもこの章は、禹が洪水を治め、周公が異民族を併せ猛獣を追い払い、孔子が『春秋』を作ったことに、孟子が自らを比べている。朱子は注して「思うに、邪説がはびこって人の心を壊すのは、洪水や猛獣の災いよりひどく、異民族の侵入や臣下が君主を殺す禍いよりも痛ましい。だから孟子は深く恐れて力を尽くして救おうとしたのだ」と言う。この言葉は深く味わうべきである。いまの事態でこれを証明すれば、外国が次々に押し寄せているのは国家の大事ではあるが、深く憂えるほどのことではない。深く憂えるべきは、人の心が正しくないことである。人の心さえ正しければ、皆が百度死んでも国を守るから、その間に勝ち負けや不利があっても、すぐに国を失うことにはならない。人の心がまず正しくなければ、一戦も交えないうちに国を挙げて外国に従うことになるだろう。とすれば、いま最も憂えるべきは人の心が正しくないことではないか。近年、外国に対して国の体面を失うことが少なくない。こうなったのは、恐れながら幕府や諸藩の武士たちが、みな心が正しくなく、国のために忠を尽くして死ぬことができないからである。だから孟子が今日に生まれても、やはり「人心を正す」の三字のほかに一句もないだろう。この類で推し量れば、洪水や猛獣が民を害するのはひどいが、洪水は治められるし、猛獣は追い払える。異民族の侵入や君主殺しはまことに憎むべきだが、異民族は従えられるし、君主殺しは誅することができる。人の心が正しければ、この四つは少しも憂えるに足りない。人の心が正しくなければ、何によって洪水を治め、猛獣を追い払い、異民族を従え、君主殺しを誅することができようか。天地は暗くなり、人の道は滅びてしまう。まことに背筋の寒くなることである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』閔公二年 衛の懿公、鶴を好む冬、十二月、狄人衛を伐つ。衛の懿公鶴を好み、鶴に軒に乘る者有り。將に戰はんとす。國人の甲を受くる者皆曰く、「鶴を使へ。鶴實に祿位有り、余焉んぞ能く戰はん」と。公石祁子に玦を與へ、甯莊子に矢を與へ、守らしめて、曰く、「此を以って國を贊けよ。利を擇びて之を爲せ」と。夫人に繡衣を與へて、曰く、「二子に聽け」と。渠孔戎に御し、子伯右と爲り、黃夷前驅し、孔嬰齊殿す。狄人と熒澤に戰ひ、衛の師敗績し、遂に衛を滅ぼす。衛侯其の旗を去らず、是を以って甚だしく敗る。狄人史華龍滑と禮孔とを囚へ、以って衛人を逐ふ。二人曰く、「我は、大史なり。實に其の祭を掌る。先んぜずんば、國得可からざるなり」と。乃ち之を先んぜしむ。至れば、則ち守に告げて曰く、「待つ可からざるなり」と。夜國人と出づ。狄衛に入り、遂に之に從ひ、又諸を河に敗る。
-
史記 項羽本紀項王乃ち海春侯大司馬曹咎等に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ、則ち漢挑戦せんと欲するも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる毋きのみ。我十五日にして必ず彭越を誅し、梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち東し、行くゆく陳留・外黄を撃つ。外黄下らず。数日にして、已に降る、項王怒り、悉く男子の年十五已上をして城東に詣らしめ、之を阬にせんと欲す。外黄の令の舎人の児年十三、往きて項王に説きて曰く、「彭越彊ひて外黄を劫かす、外黄恐る、故に且く降りて、大王を待つ。大王至りて、又皆之を阬にせば、百姓豈に帰心有らんや。此より以東、梁の地十余城皆恐れ、肯へて下る莫からん。」と。項王其の言を然りとし、乃ち外黄の当に阬にすべき者を赦す。東して睢陽に至る、之を聞きて皆争ひて項王に下る。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑みて戦はんとす、楚の軍出でず。人をして之を辱めしむること、五六日、大司馬怒り、兵を汜水に渡す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の貨賂を得たり。大司馬咎・長史翳・塞王欣皆汜水の上に自剄す。大司馬咎は、故の蘄の獄掾、長史欣も亦故の櫟陽の獄吏、両人嘗て項梁に徳有り、是を以て項王之を信任す。是の時に当たりて、項王睢陽に在り、海春侯の軍敗るると聞き、則ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項王至る、漢の軍楚を畏れ、尽く険阻に走る。是の時、漢の兵盛んにして食多く、項王の兵罷れて食絶ゆ。漢陸賈を遣はして項王に説き、太公を請はしむ、項王聴かず。漢王復た侯公をして往きて項王に説かしむ、項王乃ち漢と約し、天下を中分し、鴻溝以西を割く者を漢と為し、鴻溝よりして東なる者を楚と為す。項王之を許し、即ち漢王の父母妻子を帰す。軍皆万歳を呼ぶ。漢王乃ち侯公を封じて平国君と為す。匿れて肯へて復た見えず。
-
『呻吟語』内篇・存心・如何ぞ他を縱容し得んや人心は是れ個の猖狂自在の物、隕身敗家の賊なり。如何ぞ他を縱容し得んや。
-
『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
-
史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
-
『呻吟語』外篇・治道・人を我に體す先王の政を為すは、全く人心の上に在りて工夫を用ふ。其の人心を體するは、我が心の上に在りて工夫を用ふ。何者ぞ。同然の故なり。故に先王は人を我に體して、民心得られ、天下治まる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る