講孟余話 / 告子下 第十章
本注林氏曰、按史記、白圭能薄飮食、忍嗜欲、與童僕同苦樂、樂觀時変、人棄我取、人取我與、以此居積致富、其爲此論、盖欲以其術施之國家也、史記ニ白圭ハ魏文侯ノ時ニ當ルト云フ、按スルニ文侯在位十七年、其子武侯在位十六年、惠王ハ又其子ナリ、而シテ惠王ノ三十五年孟子初テ梁ニ至ル、白圭ノ時ト稍相後ル、然レハ孟子ノ白圭必ズ史記ノ白圭ト一人ナルカ疑ハシ、伊藤氏モ亦此說ニ同ス、伊藤氏又曰、白圭之論亦許行之說也ト、余謂ラク、孟子ノ對ヲ觀テモ、白圭ハ許行一流ノ人ニシテ、民ト並耕スノ意ナルコト知ルヘシ、果シテ然ラハ亦衰世ヲ維持スルノ一良術ナラン、然トモ其居積致富ト云カ如キハ、吾恐クハ、後世桑弘羊輩ノ心計、賦ヲ加ヘスシテ民足ルノ類ニ陷ランコトヲ、余且他書ヲ證セズ、直ニ下章ノ丹之治水也、愈於禹ノ一語ヲ以テ、其人誇誕実効ナキノ極ナルヲ知リ、因テ此章二十而取一ノ說モ、亦妄ニ大言ヲナシテ世俗ヲ虛喝スルノ尤タルコトヲ知ルナリ、余故ニ一言斷シテ云ク、白圭ハ猶近時ノ佐藤百祐ノ如キ男ナリ、然ラスンハ孟子何ソ尤メラルヽコトノ深キヤ
新字:本注林氏曰、按史記、白圭能薄飲食、忍嗜欲、与童僕同苦楽、楽観時変、人棄我取、人取我与、以此居積致富、其為此論、盖欲以其術施之国家也、史記ニ白圭ハ魏文侯ノ時ニ当ルト云フ、按スルニ文侯在位十七年、其子武侯在位十六年、恵王ハ又其子ナリ、而シテ恵王ノ三十五年孟子初テ梁ニ至ル、白圭ノ時ト稍相後ル、然レハ孟子ノ白圭必ズ史記ノ白圭ト一人ナルカ疑ハシ、伊藤氏モ亦此説ニ同ス、伊藤氏又曰、白圭之論亦許行之説也ト、余謂ラク、孟子ノ対ヲ観テモ、白圭ハ許行一流ノ人ニシテ、民ト並耕スノ意ナルコト知ルヘシ、果シテ然ラハ亦衰世ヲ維持スルノ一良術ナラン、然トモ其居積致富ト云カ如キハ、吾恐クハ、後世桑弘羊輩ノ心計、賦ヲ加ヘスシテ民足ルノ類ニ陥ランコトヲ、余且他書ヲ証セズ、直ニ下章ノ丹之治水也、愈於禹ノ一語ヲ以テ、其人誇誕実効ナキノ極ナルヲ知リ、因テ此章二十而取一ノ説モ、亦妄ニ大言ヲナシテ世俗ヲ虚喝スルノ尤タルコトヲ知ルナリ、余故ニ一言断シテ云ク、白圭ハ猶近時ノ佐藤百祐ノ如キ男ナリ、然ラスンハ孟子何ソ尤メラルヽコトノ深キヤ
書き下し
本注に林氏曰く、「史記を按ずるに、白圭は能く飲食を薄くし、嗜欲を忍び、童僕と苦楽を同じくし、楽しんで時変を観る。人棄つれば我取り、人取れば我与ふ。此れを以て居積して富を致す。其の此の論を為すは、蓋し其の術を以て之れを国家に施さんと欲するなり」と。史記に白圭は魏の文侯の時に当ると云ふ。按ずるに文侯在位十七年、其の子武侯在位十六年、恵王は又其の子なり。而して恵王の三十五年孟子初めて梁に至る。白圭の時と稍相後る。然れば孟子の白圭必ず史記の白圭と一人なるか疑はし。伊藤氏も亦此の説に同ず。伊藤氏又曰く、「白圭の論も亦許行の説なり」と。余謂へらく、孟子の対を観ても、白圭は許行一流の人にして、民と並び耕すの意なること知るべし。果して然らば亦衰世を維持するの一良術ならん。然れども其の居積して富を致すと云ふが如きは、吾恐らくは、後世桑弘羊が輩の心計、賦を加へずして民足るの類に陥らんことを。余且く他書を証せず、直ちに下章の「丹の水を治むるや、禹より愈れり」の一語を以て、其の人誇誕実効なきの極なるを知り、因りて此の章の二十にして一を取るの説も、亦妄りに大言をなして世俗を虚喝するの尤たることを知るなり。余故に一言断じて云ふ、白圭は猶近時の佐藤百祐の如き男なり。然らずんば孟子何ぞ尤めらるることの深きや。
現代語訳
朱子の注に引く林氏はこう言う。「『史記』によれば、白圭は飲食を切り詰め、欲を抑え、召使いと苦楽を共にし、時勢の変化を見るのを楽しんだ。人が捨てる時に買い取り、人が求める時に売り渡し、こうして蓄えて富を築いた。彼がこの論を唱えたのは、その術を国家に施そうとしたのだろう」と。『史記』では白圭は魏の文侯の時代の人だという。考えてみると、文侯の在位は十七年、その子の武侯の在位は十六年、恵王はさらにその子である。そして恵王の三十五年に孟子が初めて梁に来た。白圭の時代とは少し隔たっている。とすれば、孟子と問答した白圭が『史記』の白圭と同一人物かどうかは疑わしい。伊藤仁斎もこの説に同意している。仁斎はまた「白圭の論も許行の説と同じだ」と言う。私が思うに、孟子の答えを見ても、白圭は許行の一派の人で、君主も民と並んで耕すという考えだと分かる。もしそうなら、衰えた世を支える一つの良策ではあろう。しかし蓄えて富を築くというやり方は、私の恐れるところでは、後世の桑弘羊らが計算づくで、税を増やさずに国を豊かにすると称したたぐいに陥るだろう。私はしばらく他の書物を引かず、すぐ次の章の「私の治水は禹よりまさっている」という一言から、この人が大言壮語して実効のない極みであることを知り、それゆえこの章の二十分の一の説も、むやみに大言を吐いて世間を脅かすもののうちでも最たるものだと分かるのである。だから私は一言で断じよう。白圭は近ごろの佐藤百祐のような男である。そうでなければ、孟子がどうしてこれほど深く咎めるだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 貨殖列伝白圭、時変を楽観す、故に人棄つれば我取り、人取れば我与ふ。能く飲食を薄くし、嗜欲を忍び、衣服を節し、用事の僮仆と苦楽を同じくし、時に趨ること猛獣摯鳥の発するがごとし。故に曰く、「吾生産を治むるは、猶ほ伊尹・呂尚の謀、孫吳の兵を用ゐ、商鞅の法を行ふがごときなり。是の故に其の智権変に与るに足らず、勇以て決断するに足らず、仁以て取予する能はず、彊以て守る所有る能はざれば、吾が術を学ばんと欲すと雖も、終に之に告げざるなり」と。蓋し天下治生を言ふ者は白圭を祖とす。
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呂氏春秋・先識⑤周鼎に饕餮を著す。首有りて身無し。人を食いて未だ咽まざるに、害其の身に及ぶ、以て報更を言うなり。不善を為すも亦た然り。白圭、中山に之く。中山の王、之を留めんと欲す。白圭固く辭し、輿に乘りて去る。又齊に之く。齊王、之を留めて仕えしめんと欲す。又辭して去る。人、其の故を問う。曰く、「之の二國は皆將に亡びんとす。學ぶ所に五盡有り。何をか五盡と謂う。曰く、之を必すること莫ければ、則ち信盡き、之を譽むること莫ければ、則ち名盡き、之を愛すること莫ければ、則ち親盡き、行く者糧無く、居る者食無ければ則ち財盡き、人を用うる能わず、又自ら用うる能わざれば、則ち功盡く。國に此の五者有れば、幸い無くして必ず亡びん。中山・齊は皆此に當たれり。」若し中山の王と齊王とをして、五盡を聞きて之を更めしむれば、則ち必ず亡びざらん。其の患いは聞かず、これを聞くと雖も又信ぜざるあり。然らば則ち人主の務は、善く聽くに在るのみ。夫れ五割して趙に與え、悉く起ちて軍を濟上に距げども、未だ益有らざるなり。是れ其の存する所以を棄てて、其の亡ぶる所以を造せばなり。
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呂氏春秋・不屈④白圭新たに惠子と相見ゆるや、惠子之に說くに彊を以てす。白圭以て應うること無し。惠子出づ。白圭人に告げて曰く、「人新たに婦を取る者有り。婦至れば、宜しく安矜・煙視・媚行すべし。豎子、蕉火を操りて鉅いなる。新婦曰く、『蕉火大だ鉅いなり。』門に入るに、門中に歛陷有り。新婦曰く、『之を塞げ、將に人の足を傷つけんとす。』此れ不便の家氏には非ざるなり。然れども大甚なる者有り。今惠子の我に遇うは尚ほ新たなるに、其の我に說くこと大甚なる者有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。詩に曰く、『愷悌の君子は、民の父母。』愷は大なり。悌は長なり。君子の德、長にして且つ大なれば、則ち民の父母爲り。父母の子を教うるや、豈に久しきを待たんや。何事か我を新婦に比するや。詩に、豈に愷悌の新婦と曰んや。汙を誹るに汙に因り、辟を誹るに辟に因る。是の誹る者は非とする所と同じきなり。」白圭曰く、「惠子の我に遇うは尚ほ新たなるに、其の我に說くこと大甚なる者有り。」惠子聞きて之を誹り、因りて自ら之が父母爲りと以爲えるは、其れ白圭より甚だしきこと有るに非ずや。亦た大甚なる者有り。
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呂氏春秋・應言①白圭、魏王に謂いて曰く、「市丘の鼎は以て雞を烹るも、多く之に洎げば則ち淡くして食す可からず、少なく之に洎げば則ち焦げて熟せず。然れども之を視れば蝺焉として美なり。用う可き所無し。惠子の言は、此に似たる有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。三軍をして饑えて鼎の旁に居らしむ、適に之が甑を爲れば、則ち此の鼎より宜しきは莫からん。」白圭之を聞きて曰く、「用う可き所無きとは、意者に徒だ其の甑を加うるのみか。」白圭の論は自ら悖れり。其の魏王を少とすること大いに甚だし。惠子の言を以て、蝺焉として美にして用う可き所無しとするは、是れ魏王、言の用う可き所無き者を以て仲父と爲すなり。是れ言の用うる所無き者を以て美と爲すなり。
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呂氏春秋・應言②白圭、魏王に謂いて曰く、「市丘の鼎は以て雞を烹るも、多く之に洎げば則ち淡くして食す可からず、少なく之に洎げば則ち焦げて熟せず。然れども之を視れば蝺焉として美なり。用う可き所無し。惠子の言は、此に似たる有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。三軍をして饑えて鼎の旁に居らしむ、適に之が甑を爲れば、則ち此の鼎より宜しきは莫からん。」白圭之を聞きて曰く、「用う可き所無きとは、意者に徒だ其の甑を加うるのみか。」白圭の論は自ら悖れり。其の魏王を少とすること大いに甚だし。惠子の言を以て、蝺焉として美にして用う可き所無しとするは、是れ魏王、言の用う可き所無き者を以て仲父と爲すなり。是れ言の用うる所無き者を以て美と爲すなり。
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呂氏春秋・知分⑤白圭、鄒の公子夏后啓に問いて曰く、「踐繩の節、四上の志、三晉の事、此れ天下のなり。晉に處るを以て、迭々晉の事を聞けども、未だ嘗て踐繩の節、四上之の志を聞かず。願わくは得て之を聞かん。」夏后啓曰く、「鄙人なり。焉ぞ以て問うに足らん。」白圭曰く、「願わくは公子の讓る毋からんことを。」夏后啓曰く、「以て為す可しと為す。故に之を為す。之を為すは、天下も禁ずること能わず。以て為す可からずと為す。故に之を釋つ。之を釋つるは、天下も使しむること能わず。」白圭曰く、「利も使しむること能わざるか。威も禁ずること能わざるか。」夏后啓曰く、「生も以て之を使しむるに足らざれば、則ち利曷ぞ以て之を使しむるに足らん。死も以て之を禁ずるに足らざれば、則ち害曷ぞ以て之を禁ずるに足らん。」白圭以て應うる無し。夏后啓辭して出づ。凡そ賢不肖を使うは異なり。不肖を使うには賞罰を以てし、賢を使うには義を以てす。故に賢主の其の下を使うや必ず義にし、賞罰を審らかにし、然る後賢不肖盡く用を為す。
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