講孟余話 / 告子下 第七章
五覇者、摟諸侯、以伐諸侯者也、賴朝以下本邦ニモ五覇アリ、源氏足利氏織田氏豐臣氏是ナリ、北條氏ハ云ハズ諸侯ヲ摟キ諸侯ヲ伐ツ、其事亦相似タリト云ヘシ、其間又天子ノ命ヲ奉シテ其罪ヲ声シ是ヲ討スル者アリ、就中賴朝ノ藤原泰衡ヲ伐シ、秀吉ノ相模薩摩ヲ伐スル如キ、其義尤モ顕明ナリト云、又案スルニ集註ニ、五覇者、功之首、罪之魁、ト云コトアリ、此言和漢ニ通シテ的當ト云ヘシ、而シテ賴朝ノ如キ尤モ功首罪魁ト稱スヘシ、葵丘之會五命中一言モ王事ニ及フ者ナシ、我秀吉聚樂ノ盟ノ皇恩王事ヲ以テ第一トシタルニ比セハ、豈雲泥ノ差ニ非スヤ、前件命ヲ奉シ罪ヲ伐ツ事ト、此件ノ事ト是レ賴朝秀吉ノ才獨リ斉桓晋文ニ過越スルノミニ非ス、我皇朝ノ盛、國体ノ尊、固ヨリ周家ト同日ノ談ニ非ルヲ以テナリ、然トモ其詐力權謀、天子ヲ挾ンテ諸侯ニ令スルノ心ニ至テハ、賴朝ト云トモ亦桓文ト同シキノミ、獨リ秀吉ニ至テハ至性純忠、誠心ヲ以テ天朝ヲ尊奉シ、皇恩ヲ感佩ス、豈後世覇者ノ能ク及フ所ナランヤ、惜哉学問足ラス、制度文爲古朝廷ニ復スルコトヲ知ラス、又其世ヲ早フセシハ、実ニ皇國ノ大不幸、嘆テモ餘リアルコトナリ、然トモ後世時勢アラハ、秀吉ノ業ニ本ツキ、古聖代ノ典ニ拠リ、下源氏以來ノ故実ヲ考ヘ、又漢土三代以下王伯ノ業ヲ稽ヘハ、何ソ秀吉ノ世ヲ早フスルノミヲ嘆センヤ、
新字:五覇者、摟諸侯、以伐諸侯者也、頼朝以下本邦ニモ五覇アリ、源氏足利氏織田氏豊臣氏是ナリ、北条氏ハ云ハズ諸侯ヲ摟キ諸侯ヲ伐ツ、其事亦相似タリト云ヘシ、其間又天子ノ命ヲ奉シテ其罪ヲ声シ是ヲ討スル者アリ、就中頼朝ノ藤原泰衡ヲ伐シ、秀吉ノ相模薩摩ヲ伐スル如キ、其義尤モ顕明ナリト云、又案スルニ集註ニ、五覇者、功之首、罪之魁、ト云コトアリ、此言和漢ニ通シテ的当ト云ヘシ、而シテ頼朝ノ如キ尤モ功首罪魁ト称スヘシ、葵丘之会五命中一言モ王事ニ及フ者ナシ、我秀吉聚楽ノ盟ノ皇恩王事ヲ以テ第一トシタルニ比セハ、豈雲泥ノ差ニ非スヤ、前件命ヲ奉シ罪ヲ伐ツ事ト、此件ノ事ト是レ頼朝秀吉ノ才独リ斉桓晋文ニ過越スルノミニ非ス、我皇朝ノ盛、国体ノ尊、固ヨリ周家ト同日ノ談ニ非ルヲ以テナリ、然トモ其詐力権謀、天子ヲ挟ンテ諸侯ニ令スルノ心ニ至テハ、頼朝ト云トモ亦桓文ト同シキノミ、独リ秀吉ニ至テハ至性純忠、誠心ヲ以テ天朝ヲ尊奉シ、皇恩ヲ感佩ス、豈後世覇者ノ能ク及フ所ナランヤ、惜哉学問足ラス、制度文為古朝廷ニ復スルコトヲ知ラス、又其世ヲ早フセシハ、実ニ皇国ノ大不幸、嘆テモ余リアルコトナリ、然トモ後世時勢アラハ、秀吉ノ業ニ本ツキ、古聖代ノ典ニ拠リ、下源氏以来ノ故実ヲ考ヘ、又漢土三代以下王伯ノ業ヲ稽ヘハ、何ソ秀吉ノ世ヲ早フスルノミヲ嘆センヤ、
書き下し
「五覇は、諸侯を摟きて、以て諸侯を伐つ者なり」。頼朝以下本邦にも五覇あり。源氏・足利氏・織田氏・豊臣氏是れなり。北条氏は云はず。諸侯を摟き諸侯を伐つ、其の事亦相似たりと云ふべし。其の間又天子の命を奉じて其の罪を声し是を討する者あり。就中頼朝の藤原泰衡を伐ち、秀吉の相模・薩摩を伐つ如き、其の義尤も顕明なりと云ふ。又案ずるに集註に、「五覇は、功の首、罪の魁」と云ふことあり。此の言和漢に通じて的当と云ふべし。而して頼朝の如き尤も功首罪魁と称すべし。葵丘の会の五命中一言も王事に及ぶ者なし。我が秀吉聚楽の盟の皇恩王事を以て第一としたるに比せば、豈に雲泥の差に非ずや。前件命を奉じ罪を伐つ事と、此の件の事と、是れ頼朝・秀吉の才独り斉桓・晋文に過越するのみに非ず。我が皇朝の盛、国体の尊、固より周家と同日の談に非ざるを以てなり。然れども其の詐力権謀、天子を挾んで諸侯に令するの心に至りては、頼朝と云へども亦桓文と同じきのみ。独り秀吉に至りては至性純忠、誠心を以て天朝を尊奉し、皇恩を感佩す。豈に後世覇者の能く及ぶ所ならんや。惜しいかな学問足らず、制度文為古朝廷に復することを知らず。又其の世を早くせしは、実に皇国の大不幸、嘆きても余りあることなり。然れども後世時勢あらば、秀吉の業に本づき、古聖代の典に拠り、下源氏以来の故実を考へ、又漢土三代以下王伯の業を稽へば、何ぞ秀吉の世を早くするのみを嘆ぜんや。
現代語訳
「五覇は、諸侯を引き連れて諸侯を伐った者である」。頼朝以下、わが国にも五覇がいる。源氏・足利氏・織田氏・豊臣氏がそれである(北条氏は言わない)。諸侯を引き連れて諸侯を伐つ、そのことも似ていると言える。その間には、天子の命を奉じてその罪を明らかにして討った者もいる。中でも頼朝が藤原泰衡を伐ち、秀吉が相模(北条氏)や薩摩(島津氏)を伐ったようなのは、その義が最も明らかだという。また考えてみると、朱子の集註に「五覇は功績の筆頭であり、罪の首魁である」という言葉がある。この言葉は日本と中国に通じて的を射ていると言える。そして頼朝のような人は、最も功の筆頭・罪の首魁と呼ぶべきである。(斉の桓公の)葵丘の会盟の五つの誓いの中には、一言も王室のことに及ぶものがない。わが秀吉の聚楽第の盟約が、天皇の恩と朝廷のことを第一としたのと比べれば、雲泥の差ではないか。前の命を奉じて罪を伐ったことと、このこととは、頼朝や秀吉の才が斉の桓公・晋の文公を超えていたというだけではない。わが朝廷の盛んさ、国体の尊さが、もともと周の王室と同じには論じられないからである。けれどもその偽りと力と権謀、天子を擁して諸侯に命令する心については、頼朝でも桓公・文公と同じである。ただ秀吉だけは、生まれつきの真心と純粋な忠誠をもって、誠心から朝廷を尊び奉じ、天皇の恩に感じ入っていた。どうして後世の覇者が及べるものであろうか。惜しいことに学問が足りず、制度や文物を古の朝廷の形に戻すことを知らなかった。またその世を早く去ったのは、まことにわが国の大きな不幸で、嘆いても余りある。しかし後世に時勢が来れば、秀吉の事業にもとづき、古の聖代の典範に拠り、下っては源氏以来の故実を考え、また中国の三代以下の王者と覇者の事業を参照すれば、どうして秀吉が早世したことだけを嘆いていようか。
解説
この章句が説くこと
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孟子・告子章句下孟子曰く、「五霸は、三王の罪人なり。今の諸侯は、五霸の罪人なり。今の大夫は、今の諸侯の罪人なり。天子の諸侯に適くを巡狩と曰い、諸侯の天子に朝するを述職と曰う。春は耕やすを省みて足らざるを補い、秋は斂むるを省みて給らざるを助く。其の疆に入るに、土地辟け、田野治まり、老を養い賢を尊び、俊傑位に在れば、則ち慶有り。慶するに地を以てす。其の疆に入るに、土地荒蕪し、老を遺て賢を失い、掊克(ホウ・コク)位に在れば、則ち讓有り。一たび朝せざれば、則ち其の爵を貶(おとす)し、再び朝せざれば、則ち其の地を削り、三たび朝せざれば、則ち六師之を移す。是の故に天子は討じて伐せず、諸侯は伐して討ぜず。五霸者、諸侯を摟(ひく)きて以て諸侯を伐する者なり。故に曰く、五霸は、三王の罪人なり、と。五霸は桓公を盛んなりと為す。葵丘の會に、諸侯、牲を束ね書を載せて、血を歃らず。初命に曰く、『不孝を誅せよ。樹子を易うる無かれ。妾を以て妻と為すこと無かれ。』再命に曰く、『賢を尊び才を育し、以て有徳を彰せ。』三命に曰く、『老を敬い幼を慈しみ、賓旅を忘るること無かれ。』四命に曰く、『士は官を世々にすること無かれ。官事は攝せしむること無かれ。士を取ること必ず得よ。專に大夫を殺すこと無かれ。』五命に曰く、『防を曲ぐること無かれ。糴を遏(とどめる)むること無かれ。封有りて告げざること無かれ。』曰く、『凡そ我が同盟の人、既に盟うの後、言に好に歸せん。』今の諸侯は、皆此の五禁を犯せり。故に曰く、今の諸侯は五霸の罪人なりと。君の惡を長ずるは其の罪小なり。君の惡を逢うるは其の罪大なり。今の大夫は、皆君の惡を逢う。故に曰く、今の大夫は今の諸侯の罪人なりと。」
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荀子・王覇篇徳は未だ至らずと雖も、義は未だ済らずと雖も、然り而して天下の理は略ぼ奏まり、刑賞已諾は天下に信あり、臣下は暁然として皆な其の要すべきを知る。政令已に陳ぬれば、利敗を睹ると雖も、其の民を欺かず。約結已に定まれば、利敗を睹ると雖も、其の与を欺かず。是くの如くんば、則ち兵は勁く城は固く、敵国之を畏る。国一にして綦明らかなれば、与国之を信ず。僻陋の国に在りと雖も、威は天下を動かす、五伯是れなり。政教を本とするに非ざるなり、隆高を致すに非ざるなり、文理を綦むるに非ざるなり、人の心を服するに非ざるなり。方略に郷い、労佚を審らかにし、畜積を謹み、戦備を脩め、齺然として上下相い信じ、而して天下之に当たるを敢てするもの莫し。故に斉桓・晋文・楚荘・呉の闔閭・越の勾践は、是れ皆な僻陋の国なるも、威は天下を動かし、彊きこと中国を殆うくす。它の故無し、略ぼ信なればなり。是れ所謂信立ちて覇たるなり。
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