文武訓 / 武訓下
近世にていはば、江州の淺井、越前の朝倉が、信長にしたがはず、小田原の北條氏が、秀吉にしたがはざる、これ、小を以て大につかふる道を知らざるなり。皆義のある所にあらず。つひに其家を亡ぼし身を亡ぼして、義にそむき、おほくの身方と敵とを殺せしこと、仁にそむく。是等の人の行ひしこと、皆不仁不智無禮無義といふべし。安藝にありし小早川隆景は、毛利輝元八ヶ國の主として大なりしかども、輝元をすゝめて、はやく秀吉に屬せしめ、人質を出し、信長薨じ給ひし後も、和義を變せずして秀吉に屬し、つひに其父元就の領せし八州の地を失はず、智ありといふべし。又、信長、秀吉の功臣に國を給はりしは、其國にいまだ服せざる者多しといへども、たひらげよとて國をさづけ給ひしに、其國さぶらひ、一國に五人十人もありて、小身ながら、皆小城をもちて、その國主にしたがはず。
新字:近世にていはば、江州の浅井、越前の朝倉が、信長にしたがはず、小田原の北条氏が、秀吉にしたがはざる、これ、小を以て大につかふる道を知らざるなり。皆義のある所にあらず。つひに其家を亡ぼし身を亡ぼして、義にそむき、おほくの身方と敵とを殺せしこと、仁にそむく。是等の人の行ひしこと、皆不仁不智無礼無義といふべし。安芸にありし小早川隆景は、毛利輝元八ヶ国の主として大なりしかども、輝元をすゝめて、はやく秀吉に属せしめ、人質を出し、信長薨じ給ひし後も、和義を変せずして秀吉に属し、つひに其父元就の領せし八州の地を失はず、智ありといふべし。又、信長、秀吉の功臣に国を給はりしは、其国にいまだ服せざる者多しといへども、たひらげよとて国をさづけ給ひしに、其国さぶらひ、一国に五人十人もありて、小身ながら、皆小城をもちて、その国主にしたがはず。
書き下し
近世にていはば、江州の浅井、越前の朝倉が、信長にしたがはず、小田原の北条氏が、秀吉にしたがはざる、これ、小を以て大につかふる道を知らざるなり。皆義のある所にあらず。つひに其家を亡ぼし身を亡ぼして、義にそむき、おほくの身方と敵とを殺せしこと、仁にそむく。是等の人の行ひしこと、皆不仁不智無礼無義といふべし。安芸にありし小早川隆景は、毛利輝元八ヶ国の主として大なりしかども、輝元をすすめて、はやく秀吉に属せしめ、人質を出し、信長薨じ給ひし後も、和義を変せずして秀吉に属し、つひに其父元就の領せし八州の地を失はず、智ありといふべし。又、信長、秀吉の功臣に国を給はりしは、其国にいまだ服せざる者多しといへども、たひらげよとて国をさづけ給ひしに、其国さぶらひ、一国に五人十人もありて、小身ながら、皆小城をもちて、その国主にしたがはず。
現代語訳
近ごろの例でいえば、近江の浅井、越前の朝倉が信長に従わず、小田原の北条氏が秀吉に従わなかったのは、小が大に仕える道を知らなかったからです。どれも義のあるところではありません。ついにその家を滅ぼし身を滅ぼして、義に背き、多くの味方と敵を殺したことは、仁に背きます。これらの人の行いは、すべて不仁・不智・無礼・無義というべきです。安芸にいた小早川隆景は、毛利輝元が八か国の主として大きかったけれども、輝元に勧めて早く秀吉に従わせ、人質を出し、信長が亡くなった後も和議を変えずに秀吉に従い、ついにその父元就が治めた八か国の地を失いませんでした。智があったというべきです。また信長・秀吉が功臣に国を与えたときは、その国にまだ服従しない者が多かったけれども、平定せよといって国を授けたのですが、その国の侍が一国に五人、十人もいて、小身ながら皆小さな城を持ち、その国主に従いませんでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』武訓下国主にそむくのみならず、天下の主にそむくは、是小を以て大につかふる礼義をしらず。其上、国主と天下の主にそむきては、小身の城主、身をたつべきやうなき時勢を知らず、不智といふべし。礼義にそむき時勢をしらずして、つひに家と身とを失ふ。愚の至なり、時勢を知りて早く降参したる者は、皆災なくして家をたもてり。或は君に対し謀反をおこし、乱臣にくみし、乱逆を助けて、其君を亡ぼしても、幸にわが身を立てし者あれども、是不義の至、にくむべし。家をおこせしも栄とすべからず、恥とすべし。況やかくのごとき者は、家をやぶり身を亡ぼせるともがら多し。
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『文武訓』武訓下一小を以て大につかふること、是理の当然にして、天にしたがふ道なり。時の勢を知りて大にしたがふは、智者のする所なり。小を以て大にしたがはざるは、礼義にそむき時勢を知らず、はては国家と身とを失ひ、敵身方おほくの命をころす。是天にそむけるなり。無学にしておろかなる人、武道を知らずして、小を以て大にしたがひ、弱にして強にしたがふを恥辱とおもひ、血気の勇にほこり、大敵をあなどりて、敵の勢のさかんにして、我が力の敵しがたき事を知らず。是孫子が所謂、我を知らず彼を知らざるなり。小を以て大にしたがはずして兵をおこし、下として上をおかして乱をおこし、義理にそむくは、是血気の勇にして武にあらず。武を黷すといふ。からもやまとかくのごとくにして国家をうしなひ、身をほろぼして、天下後世のあざけりとなれる人多し、愚なりと云ふべし。
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『文武訓』武訓上一勇をこのむ者、其中を得れば正気とす、君子の勇なり、士気なり。中に過れば客気なうは気なるは士気にあらず。是小人の勇なり。正気はよく事を成就す。客気は必ず事を仕損ずるものなり。一外は勇あるやうに見えて、内心つたなき人あり。外面はつたなく、俄の事にあひて、臆したるやうに見ゆる人あり。心定りて後に勇いでくるものなり。是気よわく心つよきなり。外愚に見えて、内明なる人あり。外明にして内くらき人あり。人の生れつきには色々くせあり。其心を知らで、くせを以て其人を見あやまることなかれ。一呂氏春秋に曰く、亡国の主は、必ず自ら驕り、必ず自ら智とし、必ず物を軽んず。といへり。織田信長の亡び給ふも亦斯の如し。信長公は、武勇は古今にすぐれ、其功を立て敵を亡し給ふも、多くは不義にあらず。
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『文武訓』武訓上只うらむらくは、みづからおごりて士をあなどり給ひし故、明智がうらみおこる。自智ありとして、われひとりの智を用ひ、いさめをふせぎ給ひし故、平手中務いさめかねて自殺す。物をかろんじ給ひし故、敵をあなどりておそれず、用心なくして、京都本能寺の要害なき所に、小勢にて留まり給ひし故、明智其備なきをうかがひ知りて、不意によせ来りしかば、ふせぎがたくて弑せられ給ふ。理にあたれる古人のことば、必ず違はず。
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『慎思録』巻之三師尚父曰く、不仁を以て之を得、不仁を以て之を守れば、必ず其の世に及ぶ、と。篤信謂ふ、所謂其の世に及ぶとは、一世にして亡ぶを言ふなり。本邦豊臣氏の起るは、所謂不仁を以て之を得、不仁を以て之を守る者なり。故に一世にして亡ぶ。夫れ不仁なれば則ち天怒り人悪む。故に得ると雖も必ず之を失ふ者は、天意人心の与せざる所なり。足利尊氏の簒奪の如きは、固より不仁を以て之を得と謂ふべし。然れども寛宥容物の度有り。不仁を以て之を守る者は、未だ秀吉の甚しきが如きに至らず。故に其の子孫綿綿として、十三世二百余年に至る。其の間存するが若く亡ぶるが若く、危乱熄まず。是れ亦天人の与せざる所以なり。
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『文武訓』武訓上一日本の兵術を学んで、文学なき人は道理にうとし。人に教ふるに、日本の武道は、儒者のごとく、仁義忠信の道を用ふべからず、偽りたばからざれば勝利を得がたしといふ。又曰、夫兵は功を立つるにあり。もろこしにては魏の曹操のごとく、日本にては足利尊氏のごとき人は、仁義にそむきて人の国をうばひたれども、武将の本意なり。もろこしの諸葛孔明のごとく、日本の楠正成のごときは、忠義あれども功を立つることならず。是、武将の本意にあらず。兵は詭道なり、時の勢によりては、わが身方に対しても、いつはりて表裏を行ひ、人の功をうばひ、或は国をみだして、逆にしてとるも、兵術においては害なし。是、日本の武道なり。もろこしの道を以ては、日本の武道は行ひがたし。
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