講孟余話 / 告子下 第七章
春省耕而補不足、秋省歛而助不給、此事又梁惠王上篇第四章ニモ出ツ、第四章晏子ノ語、天子適諸侯ヨリ此ニ至ルマテ凡四事、並ニ同シキナリ、其註ニ云ク、春秋循行郊野、察民之所不足而補助之、トアリ、其意巡狩述職ノ外ニ、又補助ノ爲メニ郊野ヲ循行スルニ似タリ、余謂ラク、果シテ補助ノ爲メニノミ循行スルト云ハヽ、當今諸郡ノ代官ノ檢見ノ如クニシテ足レリ、本藩ノ制ヲ以テ云フ、他藩ハ吾レ知ラズ、何ソ人君自ラ循行ヲ労スルヲ待タン、且周ノ制、六年、五服一朝、即チ述職ナリ又六年、王乃時巡、即チ巡狩ナリ然レハ、此外年々春秋、又天子畿内ヲ巡リ、諸侯其封内ヲ循ルトハ心得難シ、果シテ然ラハ古時百事簡易トハ云トモ、民間ヲ騒擾スルコト無ンハアラズ、且人主亦其多事ニ堪ユルコトナカラン、殊ニ補助ノ爲ノ循行ナレハ、山陬海濱迄モ徧カラスンハアラズ、巡狩ノ一筋道ヲ行ク如キニ非ス、尤モ疑フヘキコト也、故ニ余謂ラク、漢武数々天下ヲ巡行ス、行ノ過ル所或ハ復作アルコトナカラシメ、或ハ田租ヲ出スコトナカラシメ、或ハ錢帛ヲ賜フコトアリ、是ヨリ後諸帝多ク是ニ傚フ、是暗ニ補助ノ意ニ合フナルヘシ、故ニ凶年飢歲其他ノ賑恤ハ、人主ノ循行ヲ待タス、人主ノ循行ハ行ノ過ル所ノミ補助ノ事アリ、是循行ニ因テ下民ヲ騒擾シ、飢者弗食、労者弗息、睊々胥讒、民乃作慝、章ノ語亦第四ト云如キヲ恤ル所以ナリ、
新字:春省耕而補不足、秋省歛而助不給、此事又梁恵王上篇第四章ニモ出ツ、第四章晏子ノ語、天子適諸侯ヨリ此ニ至ルマテ凡四事、並ニ同シキナリ、其註ニ云ク、春秋循行郊野、察民之所不足而補助之、トアリ、其意巡狩述職ノ外ニ、又補助ノ為メニ郊野ヲ循行スルニ似タリ、余謂ラク、果シテ補助ノ為メニノミ循行スルト云ハヽ、当今諸郡ノ代官ノ検見ノ如クニシテ足レリ、本藩ノ制ヲ以テ云フ、他藩ハ吾レ知ラズ、何ソ人君自ラ循行ヲ労スルヲ待タン、且周ノ制、六年、五服一朝、即チ述職ナリ又六年、王乃時巡、即チ巡狩ナリ然レハ、此外年々春秋、又天子畿内ヲ巡リ、諸侯其封内ヲ循ルトハ心得難シ、果シテ然ラハ古時百事簡易トハ云トモ、民間ヲ騒擾スルコト無ンハアラズ、且人主亦其多事ニ堪ユルコトナカラン、殊ニ補助ノ為ノ循行ナレハ、山陬海浜迄モ遍カラスンハアラズ、巡狩ノ一筋道ヲ行ク如キニ非ス、尤モ疑フヘキコト也、故ニ余謂ラク、漢武数々天下ヲ巡行ス、行ノ過ル所或ハ復作アルコトナカラシメ、或ハ田租ヲ出スコトナカラシメ、或ハ銭帛ヲ賜フコトアリ、是ヨリ後諸帝多ク是ニ傚フ、是暗ニ補助ノ意ニ合フナルヘシ、故ニ凶年飢歳其他ノ賑恤ハ、人主ノ循行ヲ待タス、人主ノ循行ハ行ノ過ル所ノミ補助ノ事アリ、是循行ニ因テ下民ヲ騒擾シ、飢者弗食、労者弗息、睊々胥讒、民乃作慝、章ノ語亦第四ト云如キヲ恤ル所以ナリ、
書き下し
「春は耕すを省みて足らざるを補ひ、秋は斂むるを省みて給らざるを助く」。此の事又梁恵王上篇第四章にも出づ、第四章晏子の語、「天子諸侯に適く」より此に至るまで凡そ四事、並びに同じきなり。其の註に云く、「春秋郊野を循行し、民の足らざる所を察して之を補助す」とあり。其の意巡狩述職の外に、又補助の為めに郊野を循行するに似たり。余謂へらく、果して補助の為めにのみ循行すると云はば、当今諸郡の代官の検見の如くにして足れり、本藩の制を以て云ふ、他藩は吾れ知らず。何ぞ人君自ら循行を労するを待たん。且つ周の制、「六年、五服一たび朝す」即ち述職なり、「又六年、王乃ち時に巡る」即ち巡狩なり。然れば、此の外年々春秋、又天子畿内を巡り、諸侯其の封内を循るとは心得難し。果して然らば古時百事簡易とは云へども、民間を騒擾すること無くんばあらず。且つ人主亦其の多事に堪ゆることなからん。殊に補助の為の循行なれば、山陬海浜までも遍からずんばあらず。巡狩の一筋道を行く如きに非ず。尤も疑ふべきことなり。故に余謂へらく、漢武数々天下を巡行す。行の過ぐる所或は復作あることなからしめ、或は田租を出すことなからしめ、或は銭帛を賜ふことあり。是より後諸帝多く是に傚ふ。是れ暗に補助の意に合ふなるべし。故に凶年飢歳其の他の賑恤は、人主の循行を待たず。人主の循行は行の過ぐる所のみ補助の事あり。是れ循行に因りて下民を騒擾し、「飢うる者食はず、労する者息はず、睊々胥讒り、民乃ち慝を作す」、章の語亦第四と云ふが如きを恤ふる所以なり。
現代語訳
「春は耕作の様子を見て足りないところを補い、秋は収穫の様子を見て足りないところを助ける」。このことは梁恵王上篇第四章にも出ている(梁恵王下篇第四章の晏子の言葉で、「天子が諸侯の国へ行く」からここまでの四つのことは、みな同じである)。その注に「春と秋に郊外の野を巡り、民の足りないところを見て補い助ける」とある。その意味は、巡狩や述職のほかに、補助のために郊外の野を巡るということらしい。私は思う。もし補助のためだけに巡るというなら、今の諸郡の代官が行う検見(作柄の検分)のようなもので足りる(わが藩の制度で言う。他藩のことは知らない)。どうして君主自らが巡る労を取る必要があろうか。そのうえ周の制度では、「六年に五服の諸侯が一度朝見する」がすなわち述職であり、「また六年に王が時に応じて巡る」がすなわち巡狩である。そうであれば、このほかに毎年春と秋に、天子が畿内を巡り、諸侯が領内を巡るとは考えにくい。もしそうなら、昔は万事簡素だったとはいえ、民間を騒がせないことはなかっただろう。そのうえ君主もその多忙に耐えられなかったろう。とりわけ補助のための巡行なら、山奥や海辺まで行き渡らなければならず、巡狩のように一本の道筋を行くのとは違う。最も疑わしいことである。だから私は思う。漢の武帝はたびたび天下を巡行した。通った所では労役を免じたり、田租を出させなかったり、銭や絹を与えたりした。これ以後、歴代の皇帝の多くがこれにならった。これはひそかに補助の意味にかなうものであろう。だから凶作や飢饉のときなどの救済は、君主の巡行を待たない。君主の巡行は、通った所だけに補助がある。これは巡行によって民を騒がせ、「飢えた者は食べられず、働く者は休めず、互いに横目でにらみそしり合い、民はついに悪をなす」(この章の言葉で、梁恵王下篇第四章とも同じ)というようなことを、いたわるためなのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』告子下 第七章天子諸侯に適くを巡狩と曰ふ。已に時あり勢ありて、皇道再び興らば、巡狩の事第一に議せざるべからず。巡狩の事書の舜典・周官に依るに、皆天子四岳東岳は泰山、南岳は衡山、西岳は華山、北岳は恒山まで行幸し、其の地方の諸侯を来朝せしむることと見ゆ。然れば天下中の山陬海浜悉く巡行するに非ず。因りて皇国にても此の意に倣ひ、東海・東山二道は伊勢国に、北陸・山陰二道は若狭国に、山陽・南海・西海三道は摂津国に行宮を営し、其の道の諸侯を茲に会せば、甚だ其の宜しきを得ん。明の宣宗云く、「舜の時は五載に一たび巡狩し、成周は十二年に一たび巡る。周官に云ふ、六年、五服一たび朝し、又六年、王乃ち時に巡ると。時同じからざるなり。況んや後世侍衛の衆、征求の広きを以て、時巡の礼を行はんと欲するは、難し」と。余謂へらく宣宗は明の賢主にして、議論実を貴びて名を好まず。秦皇漢武以来歴代の帝王、多く封禅に惑ひ、神仙に耽り、誇大を喜び下民の困苦を顧みざるが如きに懲り、深く巡狩を難んずるなり。故に宣宗の巡狩せざるは、秦漢の封禅に比せば、其の勝ること万々なり。然れども痛く侍衛を省き、大いに征求を寛くして、虞周の古に復し、倹朴を天下に示す、豈に其の術なからんや。而して宣宗茲に及ぶこと能はず。是れ余深く惜しむ所なり。嗟々皇道に志ある者、巡狩の義に於て豈に講求せざるべけんや。
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史記 平準書宮室の修、此に由りて日々に麗し。乃ち緡銭を諸官に分ち、而して水衡・少府・大農・太仆各々農官を置き、往往にして郡県に即きて没入せし田に比して之に田す。其の没入せし奴婢は、諸苑に分ちて狗馬禽獣を養はしめ、及び諸官に与ふ。諸官益々雑置して多く、徒・奴婢衆く、而して河を下りて漕すること度り四百万石、及び官自ら糴して乃ち足る。所忠言ふ、「世家の子弟・富人、或いは鶏を闘はせ狗馬を走らせ、弋猟・博戯して、斉民を乱す」と。乃ち諸々の令を犯すものを徴し、相引くこと数千人、命じて「株送徒」と曰ふ。財を入るる者は郎に補するを得、郎の選衰ふ。是の時、山東河菑を被り、及び歳登らざること数年、人或いは相食ひ、方一二千里。天子之を憐み、詔して曰く、「江南は火耕水耨す。饑民をして流れて江淮の間に就食するを得しめ、留まらんと欲せば、留まり処らしめよ」と。使を遣はすこと冠蓋道に相属き、之を護り、巴蜀の粟を下して以て之を振ふ。其の明年、天子始めて郡国を巡る。東のかた河を度る。河東の守、行の至るを意はず、辨ぜず、自殺す。行きて西のかた隴を踰ゆ。隴西の守、行の往くこと卒かなるを以て、天子の従官食を得ず、隴西の守自殺す。是に於て上、北のかた蕭関を出で、数万騎を従へ、新秦中に猟し、以て辺兵を勒して帰る。新秦中或いは千里に亭徼無し。是に於て北地の太守以下を誅し、而して民をして辺県に畜牧するを得しめ、官は馬母を仮し、三歳にして帰し、息の什一に及べば、以て告緡を除き、用て新秦中を充仞す。既に宝鼎を得、后土・太一の祠を立て、公卿封禅の事を議す。而して天下の郡国皆予め道橋を治め、故宮を繕ひ、馳道に当る県に及びては、県は官儲を治め、供具を設け、而して望みて以て幸を待つ。其の明年、南越反し、西羌辺を侵して桀を為す。
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説苑・修文天子は巡狩と曰い、諸侯は述職と曰う。巡狩とは、其の守る所を巡るなり。述職とは、其の職とする所を述ぶるなり。春は耕を省み、給わざるを助く。秋は斂を省み、足らざるを助く。天子は五年に一たび巡狩す、歲二月東に巡狩し、東嶽に至り、柴して山川を望祀し、諸侯に見え、百年の者を問い、太師に命じて詩を陳ねしめて以て民風を觀、市に命じて賈を納れしめて以て民の好惡する所を觀、志淫にして僻を好む者あれば、典禮に命じ、時月を考え日を定め、律禮樂制度衣服を同じくして之を正す。山川神祇に舉げざる者有れば不敬と為し、不敬なる者は君爵を以て黜く。宗廟に順わざる者有れば不孝と為し、不孝なる者は君其の地を削る。功民に澤する有る者は、然る後地を加う。其の境に入るに、土地辟除し、老を敬し賢を尊べば、則ち慶有りて、其の地を益す。其の境に入るに、土地荒穢し、老を遺て賢を失い、掊克位に在れば、則ち讓有りて、其の地を削る。一たび朝せざる者は其の爵を黜き、再び朝せざる者は其の地を黜き、三たび朝せざる者は六師を以て之を移す。歲五月南に巡狩し、南嶽に至る、東巡狩の禮の如し。歲八月西に巡狩し、西嶽に至る、南巡狩の禮の如し。歲十一月北に巡狩し、北嶽に至る、西巡狩の禮の如し。歸りて祖禰に格り、特を用う。
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『講孟余話』盡心下 第二十二章此の章の文義、朱子已に其の暁るべからざるを云ふ、今敢へて割記する所あらず。此の章を熟読して、賑恤は一時の奇策なれども、永久の長策に非ざるを知るべし。蓋し孟子初めて斉王に見えてより、首として五畝の宅・百畝の田・庠序学校の説を発す。謂へらく、此の策を行ふこと数年、旱乾水溢ありと云へども、民餓莩なきに足る、復た賑恤を事とすることなしと。孟子曾て梁恵王の民を移し粟を移すの政を謂ひて五十歩百歩と云ふも同意なり。故に孟子斉に勧めて棠の倉を発き民を救ふものは、先づ民に饑色あり野に餓莩あるを救ひ、因りて次を逐ひて田宅学校の政に及ぼさんとするなり。然るに斉王其の説を信用せず、孟子将に去らんとす。故に復た王に勧めず。且つ已に去らんとして君の物を以て自ら民に悦ばるることをなすを欲せず。及び再び賑はし三たび恤まば、其の民上恵に習れ、惰頑に陥り、復た治むべからざるに至るをも惧るるなるべし。故に余常に謂ふ、孟子の定策は田宅の制にあり。然れども当今に在りては、田宅の制断々改むべからず。若し必ず要務を問はば、薄税軽斂にあり。之れを要するに賑恤は一時の事なり。
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王、孟子を雪宮に見る。王曰く、「賢者も亦た此の樂しみ有るか。」孟子對えて曰く、「有り。人得ざれば、則ち其の上を非る。得ずして其の上を非る者は、非なり。民の上と為りて、民と樂を同じくせざる者も、亦た非なり。民の樂しみを樂しむ者は、民も亦た其の樂しみを樂しむ。民の憂いを憂うる者は、民も亦た其の憂いを憂う。樂しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。昔者、齊の景公、晏子に問いて曰く、『吾、轉附朝儛を觀し、海に遵(したがう)いて南し、琅邪に放(いたる)らんと欲す。吾何を脩めて以て先王の觀に比す可きや。』晏子對えて曰く、『善きかな問いや。天子、諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは、守る所を巡るなり。諸侯、天子に朝するを述職と曰う。述職とは、職とする所を述ぶるなり。事に非ざる者無し。春は耕すを省みて足らざるを補い、秋は斂(おさめる)むるを省みて給(たる)らざるを助く。夏の諺に曰う、吾王遊ばずんば、吾何を以て休せん。吾王豫せずんば、吾何を以て助からん、と。一遊一豫、諸侯の度と為らん。今や然らず。師行きて糧食す。飢うる者は食わず、勞する者は息わず。睊睊(ケン・ケン)として胥(「相」の意)い讒り、民乃ち慝を作す。命を方(はなつ)ち民を虐げ、飲食流るるが若く、流連荒亡、諸侯の憂いと為る。流れに從いて下り、而して反るを忘る、之れを流と謂う。流れに從いて上り、而して反りを忘る、之を連と謂う。獸に從いて厭く無き、之を荒と謂う。酒を樂しみて厭く無き、之を亡と謂う。先王には流連の樂しみ、荒亡の行い無かりき。惟だ君の行う所のままなり。』景公說び、大いに國を戒め、出でて郊に舍す。是に於て始めて興發し不足を補う。大師を召して曰く、『我が為に君臣相說ぶの樂を作れ。』蓋し徴招・角招、是れなり。其の詩に曰く、『君を畜する何ぞ尤めん』君を畜すとは、君を好するなり。」
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『講孟余話』萬章下 第二章本朝の如きは君臣の義固より外国の比に非ずと云へども、天子は誠の雲上人にて、人間の種にはあらぬ如く心得るは、古道曾て然るに非ず。王朝の衰へてより茲に至り、又茲に至りてより王朝益々衰ふるなり。此の義詳らかに明主の前に陳ずる者あらば、必ず超然として古道に進む者あらん。然れども是れ亦卒爾に説きがたし。卒爾に説きて卒爾に聞く時は、却つて権奸の口実となし、乱臣賊子跡を本朝に踵ぐに至らん。是れ誠に恐るべし。又案ずるに周制、庶人と云へども一家五人より九人を養ふ、是れ亦厚しと云ふべし。是れ支那の古は地広く田多くして人民少なき故に、能く然ることを得ると見えたり。本邦の今日を以て例し難し。
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