講孟余話 / 告子下 第七章
此章伊藤仁斎云ク、孟子之言、亦非徒歎時之益降而已、盖述夫子作春秋之意云爾、此說先ツ吾心ヲ獲タリ、孔子ノ春秋ヲ作ルハ、平生經綸ノ志遂ニ実事ニ施スコトヲ得サルヲ知リ、是ヲ行事ニ載セテ、天下萬世ニ示ス者ナリ、孟子ノ此章其意亦然リ、余曾テ野山獄ニ在テ幽囚錄ヲ著シ、天下之大計ヲ論ス、其意窃ニ亦寓スル所アリ、今此章ヲ講スルニ因テ前念又発ス、苟モ時アリ勢アリテ、朝廷ノ体ヲ正シ、諸侯ノ制ヲ嚴ニシ、巡狩述職慶賞讓責ノ政ヲ明ニシ、又五覇ノ五命ヲ兼テ言ノ好ニ帰スルニ至ラハ、如何ハカリ芽出度コトナラン、一念茲ニ及ヘハ、寢テ寐ラレス、食テ旨カラス、然トモ幽囚ノ人如何トモスルコトナシ、爲スコトヲ得ルノ人絕テ此念ナキヲ恨ルト、退テ時勢ノ至ルヲ待ツトアルノミ、悲夫、
新字:此章伊藤仁斎云ク、孟子之言、亦非徒嘆時之益降而已、盖述夫子作春秋之意云爾、此説先ツ吾心ヲ獲タリ、孔子ノ春秋ヲ作ルハ、平生経綸ノ志遂ニ実事ニ施スコトヲ得サルヲ知リ、是ヲ行事ニ載セテ、天下万世ニ示ス者ナリ、孟子ノ此章其意亦然リ、余曽テ野山獄ニ在テ幽囚録ヲ著シ、天下之大計ヲ論ス、其意窃ニ亦寓スル所アリ、今此章ヲ講スルニ因テ前念又発ス、苟モ時アリ勢アリテ、朝廷ノ体ヲ正シ、諸侯ノ制ヲ厳ニシ、巡狩述職慶賞譲責ノ政ヲ明ニシ、又五覇ノ五命ヲ兼テ言ノ好ニ帰スルニ至ラハ、如何ハカリ芽出度コトナラン、一念茲ニ及ヘハ、寝テ寐ラレス、食テ旨カラス、然トモ幽囚ノ人如何トモスルコトナシ、為スコトヲ得ルノ人絶テ此念ナキヲ恨ルト、退テ時勢ノ至ルヲ待ツトアルノミ、悲夫、
書き下し
此の章伊藤仁斎云く、「孟子の言、亦徒に時の益々降るを歎ずるのみに非ず、蓋し夫子の春秋を作るの意を述ぶと爾云ふ」と。此の説先づ吾が心を獲たり。孔子の春秋を作るは、平生経綸の志遂に実事に施すことを得ざるを知り、是を行事に載せて、天下万世に示す者なり。孟子の此の章其の意亦然り。余曾て野山獄に在りて幽囚録を著し、天下の大計を論ず。其の意窃かに亦寓する所あり。今此の章を講ずるに因りて前念又発す。苟も時あり勢ありて、朝廷の体を正し、諸侯の制を厳にし、巡狩・述職・慶賞・譲責の政を明かにし、又五覇の五命を兼ねて「言に好に帰す」に至らば、如何ばかり芽出度きことならん。一念茲に及べば、寝ねて寐られず、食うて旨からず。然れども幽囚の人如何ともすることなし。為すことを得るの人絶えて此の念なきを恨むると、退きて時勢の至るを待つとあるのみ。悲しいかな。
現代語訳
この章について伊藤仁斎は言う。「孟子の言葉は、ただ時代がますます下ることを嘆いているだけではない。思うに孔子が『春秋』を作った意図を述べているのである」と。この説はまず私の心にかなった。孔子が『春秋』を作ったのは、日ごろの世を治める志がついに実際の政治に施せないと知って、これを過去の出来事に託して天下万世に示したのである。孟子のこの章も、その意図は同じである。私はかつて野山獄にいたとき『幽囚録』を著して天下の大計を論じたが、その意図にもひそかに託すところがあった。今この章を講じたことで、その思いがまたわき起こった。もし時が来て勢いが整い、朝廷の体制を正し、諸侯の制度を厳しくし、天子の巡狩、諸侯の述職、褒賞と譴責の政治を明らかにし、さらに五覇の五つの盟約をも兼ねて「誓いの後は友好に帰す」に至ったなら、どれほどめでたいことであろう。思いがここに及ぶと、寝ても眠れず、食べてもうまくない。しかし幽囚の身ではどうすることもできない。事を為すことのできる人にまったくこの思いがないのを恨むことと、退いて時勢の来るのを待つことがあるだけである。悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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