講孟余話 / 告子上 第十九章
五穀者種之美者也、人性ハ性ノ善ナル者也、聖学ハ学ノ美ナル者也、人ノ性ヲ以テ聖ノ学ヲ学フハ、此上モナキコトニテ、善ノ善ト云へシ、今ノ人モ鳥獸ニモ非ス、木石ニモ非ス、二目一口上頭下趾ノ人ナリ、今ノ学フ所ノ四書五経ハ、皆聖人ノ学ナリ、然ルニ善ノ善ニ至ラサルハ、熟ノ一字ヲ闕ク故也、熟トハ口ニテ讀ミ、讀ミテ熟セサレハ心ニテ思ヒ、思ヒテ熟セサレハ行フ、行フテ又思ヒ、々々テ又讀ム、誠ニ然ラハ善ノ善タルコト疑ナシ
新字:五穀者種之美者也、人性ハ性ノ善ナル者也、聖学ハ学ノ美ナル者也、人ノ性ヲ以テ聖ノ学ヲ学フハ、此上モナキコトニテ、善ノ善ト云へシ、今ノ人モ鳥獣ニモ非ス、木石ニモ非ス、二目一口上頭下趾ノ人ナリ、今ノ学フ所ノ四書五経ハ、皆聖人ノ学ナリ、然ルニ善ノ善ニ至ラサルハ、熟ノ一字ヲ闕ク故也、熟トハ口ニテ読ミ、読ミテ熟セサレハ心ニテ思ヒ、思ヒテ熟セサレハ行フ、行フテ又思ヒ、々々テ又読ム、誠ニ然ラハ善ノ善タルコト疑ナシ
書き下し
五穀は種の美なる者なり。人の性は性の善なる者なり。聖学は学の美なる者なり。人の性を以て聖の学を学ぶは、此の上もなきことにて、善の善と云ふべし。今の人も鳥獣にも非ず、木石にも非ず、二目一口上頭下趾の人なり。今の学ぶ所の四書五経は、皆聖人の学なり。然るに善の善に至らざるは、熟の一字を闕く故なり。熟とは口にて読み、読みて熟せざれば心にて思ひ、思ひて熟せざれば行ふ。行ふて又思ひ、思ひて又読む。誠に然らば善の善たること疑ひなし。
現代語訳
「五穀は種のうちで美しいものである」。人の性は性のうちで善いものである。聖人の学問は学問のうちで美しいものである。人の性をもって聖人の学問を学ぶのは、これ以上のことはなく、善の中の善というべきである。今の人も、鳥や獣でもなく、木や石でもなく、目が二つ口が一つ、頭が上で足が下の人間である。今学んでいる四書五経は、みな聖人の学問である。それなのに善の中の善に至らないのは、「熟」の一字を欠いているからである。熟とは、口で読み、読んで熟さなければ心で思い、思って熟さなければ行う。行ってはまた思い、思ってはまた読む。本当にそうするなら、善の中の善となることは疑いない。
解説
この章句が説くこと
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