講孟余話 / 告子上 第十八章
願クハ此說ヲ読ムノ人、吾言ヲ以テ誇誕トセスシテ、吾言ヲシテ果シテ誇誕ニナラサル如ク心ヲ用ヒ玉ハヽ、神州ノ爲メニ大幸ナラン、若シ誇誕ノ言ト云テ誹謗シ、自ラ神州ノ陸沈四夷ノ跋扈ヲ坐視スル者ハ、其罪逆賊ヨリ百等モ重キナリ、與於不仁之甚者也ノ甚ノ字意ヲ付クベシ、吾其人ト共ニ天ヲ戴カサルナリ、此章ノ本意、性ノ善即チ仁ナリ終ニ私欲ノ惡即チ不仁ナリニ勝ツニ足ルヲ云、朱註、的ナラズ、余ガ割記スル所ハ、一步ヲ進ンテ論スル者ニシテ、亦此章ノ本意ニ非ス
新字:願クハ此説ヲ読ムノ人、吾言ヲ以テ誇誕トセスシテ、吾言ヲシテ果シテ誇誕ニナラサル如ク心ヲ用ヒ玉ハヽ、神州ノ為メニ大幸ナラン、若シ誇誕ノ言ト云テ誹謗シ、自ラ神州ノ陸沈四夷ノ跋扈ヲ坐視スル者ハ、其罪逆賊ヨリ百等モ重キナリ、与於不仁之甚者也ノ甚ノ字意ヲ付クベシ、吾其人ト共ニ天ヲ戴カサルナリ、此章ノ本意、性ノ善即チ仁ナリ終ニ私欲ノ悪即チ不仁ナリニ勝ツニ足ルヲ云、朱註、的ナラズ、余ガ割記スル所ハ、一歩ヲ進ンテ論スル者ニシテ、亦此章ノ本意ニ非ス
書き下し
願はくは此の説を読むの人、吾が言を以て誇誕とせずして、吾が言をして果して誇誕にならざる如く心を用ひ給はば、神州の為めに大幸ならん。若し誇誕の言と云ひて誹謗し、自ら神州の陸沈・四夷の跋扈を坐視する者は、其の罪逆賊より百等も重きなり。「不仁に与するの甚だしき者なり」の甚の字意を付くべし。吾其の人と共に天を戴かざるなり。此の章の本意、性の善即ち仁なり、終に私欲の悪即ち不仁なりに勝つに足るを云ふ。朱註、的ならず。余が割記する所は、一歩を進んで論ずる者にして、亦此の章の本意に非ず。
現代語訳
どうかこの説を読む人は、私の言葉を大げさな作り話とせず、私の言葉が本当に大げさにならないように心を用いていただきたい。そうなれば日本にとって大きな幸いである。もし大げさな言葉だと言ってそしり、自ら日本が沈むのも外敵がのさばるのも座って見ている者は、その罪は逆賊よりも百倍重い。「不仁に味方することのはなはだしいものだ」の「甚」の字の意味に気をつけるべきである。私はそういう人とは同じ天を戴かない。この章の本意は、性の善、すなわち仁が、ついには私欲の悪、すなわち不仁に勝つに足りることを言っている。朱子の注は的を射ていない。私の書いたことは一歩進めて論じたもので、これもまたこの章の本意ではない。
解説
この章句が説くこと
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