翁問答 / 下卷之本
しかるに靈公無道にして戰伐をこのみ、强剛暴逆のいくさをたくまじくせんために、陣を問はれたり、此の如くの人に軍法を敎へ給ふは、盜人に道を敎ふるに異ならず、君子は人の惡をば成たまはぬによつて、其惡心をいましめ本心をとりたてたくおぼしめして禮をば學びたるが軍法はしらずとこたへ給ふなり、夫爼豆の事は禮法なり禮法の大目五つあり、吉禮、凶禮、軍禮、賓禮、嘉禮これなり、此うちの軍禮即ち軍法なり、既に禮法をよく學びたりと給ふ時は、軍法をよくしろしめす事は云はずして明白なり、爼豆の事と軍旅の事とを相對してかくのたまふは、仁を本とする軍法をば學びたれども、殺伐をもつぱらとつとめて本なき軍旅の事は、盜賊の業なれば未だ學ばぬとのたもふ心なり、
新字:しかるに霊公無道にして戦伐をこのみ、強剛暴逆のいくさをたくまじくせんために、陣を問はれたり、此の如くの人に軍法を教へ給ふは、盗人に道を教ふるに異ならず、君子は人の悪をば成たまはぬによつて、其悪心をいましめ本心をとりたてたくおぼしめして礼をば学びたるが軍法はしらずとこたへ給ふなり、夫爼豆の事は礼法なり礼法の大目五つあり、吉礼、凶礼、軍礼、賓礼、嘉礼これなり、此うちの軍礼即ち軍法なり、既に礼法をよく学びたりと給ふ時は、軍法をよくしろしめす事は云はずして明白なり、爼豆の事と軍旅の事とを相対してかくのたまふは、仁を本とする軍法をば学びたれども、殺伐をもつぱらとつとめて本なき軍旅の事は、盗賊の業なれば未だ学ばぬとのたもふ心なり、
書き下し
しかるに霊公無道にして戦伐をこのみ、強剛暴逆のいくさをたくまじくせんために、陣を問はれたり、此の如くの人に軍法を教へ給ふは、盗人に道を教ふるに異ならず、君子は人の悪をば成たまはぬによつて、其悪心をいましめ本心をとりたてたくおぼしめして礼をば学びたるが軍法はしらずとこたへ給ふなり、夫爼豆の事は礼法なり礼法の大目五つあり、吉礼、凶礼、軍礼、賓礼、嘉礼これなり、此うちの軍礼即ち軍法なり、既に礼法をよく学びたりと給ふ時は、軍法をよくしろしめす事は云はずして明白なり、爼豆の事と軍旅の事とを相対してかくのたまふは、仁を本とする軍法をば学びたれども、殺伐をもつぱらとつとめて本なき軍旅の事は、盗賊の業なれば未だ学ばぬとのたもふ心なり、
現代語訳
ところが霊公は無道で戦をこのみ、強剛暴逆のいくさをたくらもうとして陣立てを問われたのである。このような人に軍法を教えられるのは、盗人に道を教えるのと異ならない。君子は人の悪を成就させないので、その悪心を戒め本心を取り立てたいとお思いになって、礼は学んだが軍法は知らないとお答えになったのである。そもそも爼豆のことは礼法である。礼法の大目は五つある。吉礼・凶礼・軍礼・賓礼・嘉礼がこれである。このうちの軍礼がすなわち軍法である。すでに礼法をよく学んだとおっしゃる時は、軍法をよくご存じであることは言わずして明白である。爼豆の事と軍旅の事とを対にしてこう仰せられたのは、仁を本とする軍法は学んだけれども、殺伐をもっぱら務めとする本のない軍旅のことは盗賊の業であるから、まだ学ばないとおっしゃる心である。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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『初学訓』巻之三一学問の道は、他にあらず、只、善悪を明らかに知りて、善を行ひ悪を去るにあり。およそ人は、ただ心もわざも、善に志し善を行ひて、人をあはれみめぐみ、人を楽ましめて、人を苦めず、人をよみして、人をにくまず、人をうらみず、人の善を褒めて、人をそしらず、これ即ち仁の理にして、君子の道なり。人となりては、君子の道を学び行ふべし。善に志なく、善を行はずして、人を苦めて、人を憐まず、人を侮りて、人を敬はず、人を怨み怒り、人を譏る、是小人の道なり。人となりて、小人の道を行ふべからず。
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論語・学而篇有子曰く、「其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして乱を作すことを好む者は、未だ之有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟や者は、其れ仁の本為るか。」
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『囲炉夜話』第九十六則・木訥は仁に近く巧令は仁鮮し易に居て命を俟ち、危を見て命を授く。命を言ふ者は、總て其の正を順受するに外ならず。 木訥は仁に近く、巧令は仁鮮し。仁を求むる者は、即ち從りて入るの方を知るべし。
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『五常訓』巻之四・義一仁は、温和慈愛なるを云ひ、義は断制なれば、善悪を二にわかちて、善をこのみ悪をにくむを云ふ。ひろく衆を愛するは仁なり。小人を遠ざけ、君子に近づくは義なり。財を人に施すは仁なり。与ふべきか、与へまじきかをはかりて、与ふべきものに与ふるは義なり。ここを以て、仁は理一なり、義は分殊なり。仁はひろく人を愛す。是理一なり。義は人を愛するに、親疎貴賤貧富をわかちて、其宜しきにしたがひて、各其分にかなふは、分殊なり。
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