講孟余話 / 告子上 第十七章
凢ソ人少年英氣ノ時ハ文章議論赫々浩々、必ス善ク人ヲ動シ、分外ノ誉ヲ得ル者也、然トモ四十五十学熟シ識定リ、老成沈着ニシテ、愈嚙ンテ愈味アルニ至ラサレハ、眞ノ品目ハ定ラサル者ナリ、未タ定サルノ品目ヲ以テ、分外ノ誉ニ乘シ、權貴ノ汲引ヲ受ケハ、趙孟ニ貴賤セラレサル者ハ、古ヨリ未タ有サル也、自ラ戒メサルヘケンヤ、此章本文ノ意、人々貴キ物ノ已ニ存在スルヲ認メンコトヲ要ス、今余仕途ニ進ム者ノ戒トス、本文ト少異ナリ、然トモ亦是言外ノ意トスヘシ
新字:凢ソ人少年英気ノ時ハ文章議論赫々浩々、必ス善ク人ヲ動シ、分外ノ誉ヲ得ル者也、然トモ四十五十学熟シ識定リ、老成沈着ニシテ、愈噛ンテ愈味アルニ至ラサレハ、真ノ品目ハ定ラサル者ナリ、未タ定サルノ品目ヲ以テ、分外ノ誉ニ乗シ、権貴ノ汲引ヲ受ケハ、趙孟ニ貴賤セラレサル者ハ、古ヨリ未タ有サル也、自ラ戒メサルヘケンヤ、此章本文ノ意、人々貴キ物ノ已ニ存在スルヲ認メンコトヲ要ス、今余仕途ニ進ム者ノ戒トス、本文ト少異ナリ、然トモ亦是言外ノ意トスヘシ
書き下し
凡そ人少年英気の時は、文章議論赫々浩々、必ず善く人を動かし、分外の誉を得る者なり。然れども四十五十学熟し識定まり、老成沈着にして、愈々嚙んで愈々味あるに至らざれば、真の品目は定まらざる者なり。未だ定まらざるの品目を以て、分外の誉に乗じ、権貴の汲引を受けば、趙孟に貴賤せられざる者は、古より未だ有らざるなり。自ら戒めざるべけんや。此の章本文の意、人々貴き物の已に存在するを認めんことを要す。今余仕途に進む者の戒とす。本文と少しく異なり。然れども亦是れ言外の意とすべし。
現代語訳
およそ人は、若く意気盛んなころは、文章も議論も華々しく広やかで、きっとよく人を動かし、身に過ぎた誉れを得るものである。しかし四十、五十になって学問が熟し見識が定まり、老練で落ち着いて、噛めば噛むほど味が出るようにならなければ、本当の人物の格付けは定まらない。まだ定まらない格付けのまま、身に過ぎた誉れに乗って、権勢ある人の引き立てを受ければ、趙孟に貴くされたり賤しくされたりしない者は、昔からいたためしがない。自ら戒めないでいられようか。この章の本文の意味は、人それぞれ、自分の内に貴いものがすでにあることを認めることを求めている。いま私はこれを仕官に進む者への戒めとした。本文とは少し違う。けれどもこれも言外の意味としてよい。
解説
この章句が説くこと
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