講孟余話 / 告子上 第九章
余頃ロ一母雞ヲシテ七箇ノ卵ヲ育セシム、初テ伏シテヨリ、今已ニ十五六日、大氏両日間一度栖ヲ出テ、水少許ヲ飮ミ、米粒少許ヲ食フノミ、其他晝夜トナク、未タ曾テ少シモ放過セス其專精斯ノ如シ、余必ス其生スルコトアルヲ期ス、士大夫道ニ志シ、誠ニ能ク伏雞ノ卵ヲ育スルカ如キヲ得ハ、又何ソ其生スルコトナキヲ憂ヘン、余幽囚以來絕テ外事アルコトナシ、一食一飮ノ外唯読書作文ヲ以テ命トス、自ラ謂ラク伏雞ニ愧ルコトナシ、以テ生スルコトアルヲ期スヘシ、然孟子ノ暴ムルト云寒スト云ハ、外形ヲ以テ云ニ非ラズ、内心ヲ以テ言ナリ、内心苟モ存セスンハ、則又一心ニ思フ処獨リ鴻鵠ノミニ非ス、是自ラ省察奮厲スルニアルナリ、其後四月朔日、七卵中僅カニ一卵ヲ狀フノミニテ、六雞雛ヲ生ス、今ニ至テ日ニ益々生長ス、母雞ノ成功彼ガ如シ、吾レ雞ニ對スル每ニ、省察奮勵セサルハナシ、七月十九日記、
新字:余頃ロ一母鶏ヲシテ七箇ノ卵ヲ育セシム、初テ伏シテヨリ、今已ニ十五六日、大氏両日間一度栖ヲ出テ、水少許ヲ飲ミ、米粒少許ヲ食フノミ、其他昼夜トナク、未タ曽テ少シモ放過セス其専精斯ノ如シ、余必ス其生スルコトアルヲ期ス、士大夫道ニ志シ、誠ニ能ク伏鶏ノ卵ヲ育スルカ如キヲ得ハ、又何ソ其生スルコトナキヲ憂ヘン、余幽囚以来絶テ外事アルコトナシ、一食一飲ノ外唯読書作文ヲ以テ命トス、自ラ謂ラク伏鶏ニ愧ルコトナシ、以テ生スルコトアルヲ期スヘシ、然孟子ノ暴ムルト云寒スト云ハ、外形ヲ以テ云ニ非ラズ、内心ヲ以テ言ナリ、内心苟モ存セスンハ、則又一心ニ思フ処独リ鴻鵠ノミニ非ス、是自ラ省察奮厲スルニアルナリ、其後四月朔日、七卵中僅カニ一卵ヲ状フノミニテ、六鶏雛ヲ生ス、今ニ至テ日ニ益々生長ス、母鶏ノ成功彼ガ如シ、吾レ鶏ニ対スル毎ニ、省察奮励セサルハナシ、七月十九日記、
書き下し
余頃ろ一母鶏をして七箇の卵を育せしむ。初めて伏してより、今已に十五六日、大抵両日間一度栖を出でて、水少許を飲み、米粒少許を食ふのみ。其の他昼夜となく、未だ曾て少しも放過せず。其の専精斯くの如し。余必ず其の生ずることあるを期す。士大夫道に志し、誠に能く伏鶏の卵を育するが如きを得ば、又何ぞ其の生ずることなきを憂へん。余幽囚以来絶えて外事あることなし。一食一飲の外唯読書作文を以て命とす。自ら謂へらく伏鶏に愧づることなし、以て生ずることあるを期すべしと。然れども孟子の暴むると云ひ寒すと云ふは、外形を以て云ふに非ず、内心を以て言ふなり。内心苟も存せずんば、則ち又一心に思ふ処独り鴻鵠のみに非ず。是れ自ら省察奮励するにあるなり。其の後四月朔日、七卵中僅かに一卵を損ふのみにて、六鶏雛を生ず。今に至りて日に益々生長す。母鶏の成功彼が如し。吾れ鶏に対する毎に、省察奮励せざるはなし。七月十九日記す。
現代語訳
私は近ごろ、一羽の母鶏に七個の卵を抱かせている。抱き始めてから、もう十五、六日になる。おおむね二日に一度巣を出て、水を少し飲み、米粒を少しついばむだけで、それ以外は昼も夜も、少しも卵を放っておいたことがない。その一心さはこのとおりである。私はきっと雛がかえると期待している。士大夫が道に志し、本当に卵を抱く鶏のようにできるなら、どうして何も生まれないことを心配しようか。私は幽囚となってから、外の用事は一切ない。食べること飲むことのほかは、ただ読書と作文を命としている。自分では、卵を抱く鶏に恥じることはない、何かが生まれると期待してよいと思っている。けれども孟子が「暴める」「寒す」と言うのは、外の形のことではなく、内の心のことを言っているのである。心がもし保たれていなければ、一心に思っているつもりでも、思いは鴻鵠(大きな鳥)のことだけではなくなる。だからこれは、自らを省みて奮い立たせることにかかっているのである。その後、四月一日に、七つの卵のうち一つをだめにしただけで、六羽の雛がかえった。今では日に日に大きくなっている。母鶏の成功はこのとおりである。私は鶏を見るたびに、自らを省みて奮い立たないことはない。七月十九日記す。
解説
この章句が説くこと
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