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講孟余話 / 告子上 第八章

牛山之木嘗美矣、牛山ノ喩ニ就テ、亦山ヲ蕃ラスルノ術ヲ知ルヘシ、徒ニ喩トノミ思フヘカラス、方今何レノ地カモ濯々ノ山多シ、是亦山ノ性ニ非ス、嘆スヘキコト也、民政家宜シク思ヲ致スヘシ、柳宗元樹ヲ種ルコトヲ問テ、民ヲ治ルノ法ヲ得、余ハ性ヲ論スルノ喩ニ就テ、山ヲ蕃ラスコトヲ思、小人ハ其小ヲ識ス、笑フヘキノミ、

書き下し

「牛山の木嘗て美なり」。牛山の喩に就きて、亦山を蕃らするの術を知るべし、徒らに喩とのみ思ふべからず。方今何れの地かも濯々の山多し、是れ亦山の性に非ず、嘆ずべきことなり。民政家宜しく思ひを致すべし。柳宗元樹を種うることを問ひて、民を治むるの法を得、余は性を論ずるの喩に就きて、山を蕃らすことを思ふ。小人は其の小なる者を識る、笑ふべきのみ。

現代語訳

「牛山の木はかつて美しかった」。この牛山のたとえからは、山を茂らせる方法も知るべきで、ただのたとえとだけ思ってはならない。今はどの土地にも、はげ山が多い。これも山の本性ではなく、嘆かわしいことである。民政に携わる者はよく考えるべきだ。柳宗元は木を植えることを問うて民を治める法を得たが、私は性を論じるたとえから山を茂らせることを思う。小人は小さなことに気づくものだ、笑うべきことである。

解説

告子上第八章は、牛山はもともと木が茂っていたが、斧で伐られ牛羊に食まれてはげ山になった、それを見て山に木がなかったと思うのは山の本性を知らないのだ、と人の良心にたとえる有名な章です。松陰はたとえとして読むだけでなく、実際のはげ山の多さに目を向け、民政家は山を茂らせる方法を考えよと言います。柳宗元が植木の話から民を治める法を得たのとは逆に、性の論から植林を思う自分を「小人」と笑ってみせますが、比喩の裏にある現実の課題を見逃さない目が光っています。

この章句が説くこと

牛山良心民政植林比喩

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