人物志 / 八觀
睹危急則惻隱,將赴救則畏患,是仁而不恤者。
新字:睹危急則惻隠,将赴救則畏患,是仁而不恤者。
書き下し
危急を睹て則ち惻隠し、将に赴きて救わんとして則ち患いを畏るるは、是れ仁にして恤まざる者なり。
現代語訳
危急の場面を見ると哀れみの情を起こすが、いざ駆けつけて救おうとすると災いを恐れるのは、仁の心はあっても実際に助けようとしない者である。
解説
危機的な場面に居合わせると誰でも心を痛めるが、実際に駆けつけて助ける段になると、身の危険や損失を恐れて足がすくむことがある。人物志はこの落差を「仁にして恤まざる」と呼び、感情の共鳴だけでは仁徳とは呼べないことを示す。哀れむ心と行動する勇気は別の能力であり、その両方が揃って初めて人助けが成り立つ。人を評するときも、心の温かさだけでなく、実際に踏み出せるかどうかを分けて見る必要がある。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
惻隠行動恐れ
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