説苑 / 君道
殷太戊時,有桑穀生於庭,昏而生,比旦而拱,史請卜之湯廟,太戊從之,卜者曰:「吾聞之,祥者福之先者也,見祥而為不善,則福不生;殃者禍之先者也,見殃而能為善,則禍不至。」於是乃早朝而晏退,問疾弔喪,三日而桑穀自亡。
新字:殷太戊時,有桑穀生於庭,昏而生,比旦而拱,史請卜之湯廟,太戊従之,卜者曰:「吾聞之,祥者福之先者也,見祥而為不善,則福不生;殃者禍之先者也,見殃而能為善,則禍不至。」於是乃早朝而晏退,問疾弔喪,三日而桑穀自亡。
書き下し
殷の太戊の時、桑穀庭に生ず。昏にして生じ、旦に比びて拱す。史卜わんことを湯廟に請う。太戊之に従う。卜者曰く、「吾之を聞く、祥なる者は福の先んずる者なり、祥を見て不善を為せば、則ち福生ぜず。殃なる者は禍の先んずる者なり、殃を見て能く善を為せば、則ち禍至らずと」。是に於いて乃ち早く朝し晏く退き、疾を問い喪を弔い、三日にして桑穀自ら亡ぶ。
現代語訳
殷の太戊の時代、桑と穀の木が宮殿の庭に生えた。夕方に生えたかと思うと、翌朝には両手で抱えるほどの大きさになっていた。史官が湯王の廟で占うことを願い出て、太戊はこれに従った。占い師は言った。「私が聞くところでは、瑞祥とは福の先触れであり、瑞祥を見ながら不善を行えば福は生じない。災いの前兆とは禍の先触れであり、それを見て善を行うことができれば禍は至らないという。」そこで太戊は早く朝廷に出て遅くまで政務を執り、病人を見舞い喪に服す者を弔った。すると三日で桑と穀の木は自然に消えてなくなった。
解説
不吉な前兆に直面したとき、それを運命として諦めるのでも恐れおののくのでもなく、自らの行いを正す契機として活用した太戊の対応が本質である。兆しは福にも禍にもなり得る、それを決めるのは兆し自体ではなく自分がどう行動するかだという考え方は、危機や不安な兆候に直面した現代人にとっても、外部の予兆に振り回されるのではなく自らの行動で状況を変えられるという主体的な姿勢を促す教訓となる。
この章句が説くこと
兆し自省行動
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