史記 / 田敬仲完世家
諸侯聞之,莫敢致兵於齊二十餘年。騶忌子以鼓琴見威王,威王説而捨之右室。須臾,王鼓琴,騶忌子推戸入曰:「善哉鼓琴!」王勃然不説,去琴按劍曰:「夫子見容未察,何以知其善也?」騶忌子曰:「夫大絃濁以春温者,君也;小絃廉折以淸者,相也;攫之深,醳之愉者,政令也;鈞諧以鳴,大小相益,回邪而不相害者,四時也:吾是以知其善也。」王曰:「善語音。」騶忌子曰:「何獨語音,夫治國家而弭人民皆在其中。」王又勃然不説曰:「若夫語五音之紀,信未有如夫子者也。若夫治國家而弭人民,又何爲乎絲桐之閒?」騶忌子曰:「夫大絃濁以春温者,君也;小絃廉折以淸者,相也;攫之深而捨之愉者,政令也;鈞諧以鳴,大小相益,回邪而不相害者,四時也。夫復而不亂者,所以治昌也;連而徑者,所以存亡也:故曰琴音調而天下治。夫治國家而弭人民者,無若乎五音者。」王曰:「善。」騶忌子見三月而受相印。淳于髡見之曰:「善説哉!髡有愚志,願陳諸前。」騶忌子曰:「謹受教。」淳于髡曰:「得全全昌,失全全亡。」騶忌子曰:「謹受令,請謹毋離前。」淳于髡曰:「狶膏棘軸,所以爲滑也,然而不能運方穿。」騶忌子曰:「謹受令,請謹事左右。」
新字:諸侯聞之,莫敢致兵於斉二十余年。騶忌子以鼓琴見威王,威王説而捨之右室。須臾,王鼓琴,騶忌子推戸入曰:「善哉鼓琴!」王勃然不説,去琴按剣曰:「夫子見容未察,何以知其善也?」騶忌子曰:「夫大絃濁以春温者,君也;小絃廉折以清者,相也;攫之深,醳之愉者,政令也;鈞諧以鳴,大小相益,回邪而不相害者,四時也:吾是以知其善也。」王曰:「善語音。」騶忌子曰:「何独語音,夫治国家而弭人民皆在其中。」王又勃然不説曰:「若夫語五音之紀,信未有如夫子者也。若夫治国家而弭人民,又何為乎糸桐之閒?」騶忌子曰:「夫大絃濁以春温者,君也;小絃廉折以清者,相也;攫之深而捨之愉者,政令也;鈞諧以鳴,大小相益,回邪而不相害者,四時也。夫復而不乱者,所以治昌也;連而径者,所以存亡也:故曰琴音調而天下治。夫治国家而弭人民者,無若乎五音者。」王曰:「善。」騶忌子見三月而受相印。淳于髡見之曰:「善説哉!髡有愚志,願陳諸前。」騶忌子曰:「謹受教。」淳于髡曰:「得全全昌,失全全亡。」騶忌子曰:「謹受令,請謹毋離前。」淳于髡曰:「狶膏棘軸,所以為滑也,然而不能運方穿。」騶忌子曰:「謹受令,請謹事左右。」
書き下し
諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。
現代語訳
(威王が阿の大夫を罰し即墨の大夫を賞して国を引き締めたことを)諸侯は聞いて、その後二十年余り、斉に兵を向ける者はなかった。騶忌子(すうきし)は琴を弾く腕前によって威王に謁見した。威王は喜んで彼を右の部屋に住まわせた。しばらくして王が琴を弾くと、騶忌子が戸を押して入ってきて言った。「なんと見事な琴の弾き方か」。王はむっとして不機嫌になり、琴を置いて剣の柄に手をかけて言った。「先生はわたしの姿を見ただけで、まだよく聴いてもいない。どうして見事だと分かるのか」。騶忌子は言った。「太い弦が濁った音で春のように温かいのは、君主にあたる。細い弦が角立って清らかなのは、宰相にあたる。弦を深くつかみ、軽やかに放すのは、政令にあたる。調和して鳴り、大小の音が互いを引き立て、めぐりめぐっても互いを損なわないのは、四季にあたる。だから見事だと分かったのだ」。王は言った。「音楽をよく語るものだ」。騶忌子は言った。「どうして音楽だけを語っていようか。国家を治め、人民を安んじることも、すべてこの中にある」。王はまたむっとして不機嫌になって言った。「五音の法則を語ることにかけては、確かに先生ほどの人はいない。しかし国家を治め人民を安んじることが、どうして琴の弦と桐の胴の間にあろうか」。騶忌子は言った。「太い弦が濁った音で春のように温かいのは君主、細い弦が角立って清らかなのは宰相、弦を深くつかんで軽やかに放すのは政令、調和して鳴り、大小の音が互いを引き立て、めぐりめぐっても互いを損なわないのは四季にあたる。繰り返しても乱れないのは、国が治まり栄えるゆえんであり、音がつながってまっすぐに通るのは、滅びかけたものを存続させるゆえんである。だから、琴の音が調えば天下は治まると言うのだ。国家を治め人民を安んじるのに、五音にまさる手本はない」。王は「よろしい」と言った。騶忌子は謁見して三か月で宰相の印を授けられた。淳于髡(じゅんうこん)が騶忌子に会って言った。「見事な説き方だ。わたしにも愚かな考えがあるので、あなたの前で述べさせてほしい」。騶忌子は「謹んで教えを受けよう」と言った。淳于髡は言った。「すべてを完全に得れば完全に栄え、完全さを失えば完全に滅びる(主君の心を得ればすべてがうまくいき、失えばすべてを失う)」。騶忌子は言った。「謹んでお言いつけを受ける。常に主君の御前を離れぬよう心がけよう」。淳于髡は言った。「豚の脂を棘の木の車軸に塗るのは、滑らかにするためである。しかし、四角い穴に通した車軸を回すことはできない(どんなに工夫しても、根本が合わなければ動かない)」。騶忌子は言った。「謹んでお言いつけを受ける。側近の人々によく仕えるようにしよう」。
解説
関連する章句
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史記 田敬仲完世家淳于髡曰く、「弓膠昔干は、合を為す所以なり。然れども疎罅を傅合すること能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで自ら万民に附かん」と。淳于髡曰く、「狐裘は敝ると雖も、補ふに黄狗の皮を以てすべからず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで君子を択び、小人を其の閒に雑ふる毋からん」と。淳于髡曰く、「大車も較せずんば、其の常任を載すること能はず。琴瑟も較せずんば、其の五音を成すこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで法律を修めて姦吏を督さん」と。淳于髡説き畢はり、趨りて出で、門に至りて、其の仆に面して曰く、「是の人は、吾之に微言五を語る。其の我に応ずること響の声に応ずるが若し。是の人必ず封ぜらるること久しからざらん」と。朞に居りて、封ずるに下邳を以てし、号して成侯と曰ふ。威王二十三年、趙王と平陸に会す。二十四年、魏王と郊に会して田す。
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史記 孟子荀卿列伝その後、騶子の属有り。斉に三騶子有り。その前は騶忌、琴を鼓するを以て威王に干め、因りて国政に及び、封ぜられて成侯と為りて相印を受く、孟子に先だつ。
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『新序』雜事第二昔者、鄒忌琴を鼓するを以て齊の宣王に見ゆ。宣王之を善しとす。鄒忌曰く、夫れ琴は政に象る所以なり、と。遂に王の爲に琴の政に象る狀及び霸王の事を言う。宣王大いに悦び、與に語ること三日、遂に拜して以て相と爲す。齊に稷下の先生有り、政事を議するを喜ぶ。鄒忌既に齊の相と爲る。稷下の先生淳于髡の屬七十二人、皆な忌を輕んじ、以謂えらく設くるに辭を以てせば、鄒忌及ぶ能わじ、と。乃ち相與に俱に往きて鄒忌に見ゆ。
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史記 田敬仲完世家威王即墨大夫を召して之に語りて曰く、「子の即墨に居りしより、毀言日に至る。然れども吾人をして即墨を視しむるに、田野辟け、民人給し、官に留事無く、東方以て寧し。是れ子吾が左右に事へて以て誉を求めざればなり」と。之を萬家に封ず。阿大夫を召して語りて曰く、「子の阿を守りしより、誉言日に聞こゆ。然れども使をして阿を視しむるに、田野辟けず、民貧苦す。是れ子幣を以て吾が左右を厚くして以て誉を求むればなり」と。是の日、阿大夫を烹、及び左右の嘗て誉めし者皆并せて之を烹る。人人敢へて非を飾らず、務めて其の誠を尽くす。齊国大いに治まる。
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『韓非子』外儲説右下第三十五田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。
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史記 呉太伯世家頌を歌ふ。曰く、「至れるかな。直にして倨らず、曲にして詘せず、近くして偪らず、遠くして攜れず、遷りて淫せず、復りて厭かず、哀しみて愁へず、楽しみて荒まず、用ひて匱しからず、広くして宣べず、施して費さず、取りて貪らず、処りて厎まらず、行きて流れず。五声和し、八風平らかに、節に度有り、守に序有り、盛徳の同じき所なり」と。象箾・南籥を舞ふ者を見て、曰く、「美なるかな、猶ほ感有り」と。大武を舞ふを見て、曰く、「美なるかな、周の盛んなるや其れ此の若きか」と。韶護を舞ふ者を見て、曰く、「聖人の弘きも、猶ほ慚徳有り、聖人の難きなり」と。大夏を舞ふを見て、曰く、「美なるかな、勤めて徳とせず。禹に非ずんば其れ誰か能く之に及ばん」と。招箾を舞ふを見て、曰く、「徳至れるかな、大なるかな。天の燾はざる無きが如く、地の載せざる無きが如し。甚だ盛徳なりと雖も、以て加ふる無し。観止まれり。若し他の楽有るも、吾敢て観ず」と。魯を去り、遂に斉に使す。晏平仲に説きて曰く、「子速やかに邑と政とを納めよ。邑無く政無くんば、乃ち難を免れん。斉国の政は将に帰する所有らんとす。未だ帰する所を得ざれば、難未だ息まざるなり」と。故に晏子は陳桓子に因りて以て政と邑とを納め、是を以て欒・高の難を免る。斉を去り、鄭に使す。子産に見ゆること、旧交の如し。子産に謂ひて曰く、「鄭の執政侈る。難将に至らんとし、政は必ず子に及ばん。子政を為さば、慎むに礼を以てせよ。然らずんば、鄭国将に敗れんとす」と。鄭を去り、衛に適く。蘧瑗・史狗・史鰍・公子荊・公叔発・公子朝に説びて曰く、「衛には君子多し、未だ患有らざるなり」と。衛より晋に如き、将に宿に舎らんとして、鍾の声を聞き、曰く、「異なるかな。吾之を聞く、辯にして徳あらざれば、必ず戮に加へらると。夫子、罪を君に獲て以て此に在り。懼るるも猶ほ足らず、而るを又以て畔す可けんや。夫子の此に在るは、猶ほ燕の幕に巣くふがごとし。君、殯に在りて以て楽しむ可けんや」と。遂に之を去る。文子之を聞き、終身琴瑟を聴かず。晋に適き、趙文子・韓宣子・魏献子に説びて曰く、「晋国は其れ三家に萃まらんか」と。将に去らんとして、叔向に謂ひて曰く、「吾子之を勉めよ。君侈りて良多く、大夫皆富み、政は将に三家に在らんとす。吾子は直なり、必ず自ら難を免れんことを思へ」と。
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