講孟余話 / 告子上 第五章
行吾敬、故謂之内也、此一語至レリ尽セリ、即前章長者義乎、長之者義乎ノ意ニシテ、更ニ親切ヲ覚フ、吾敬ノ二字尤モ眼目ナリ敬ノ心眞ニ吾胸中ヨリ沛然流出シテ、外ヨリ來ル者ニ非ルヲ知ルヘシ、君ニ謁シ神ニ詣シ賓ヲ見ルノ時、吾敬心ハ内ヨリ起ルカ、外ヨリ來ルカト思惟スレハ自ラ明ナリ、此一句タニ明ナラハ、義內ノ說ニ於テ復タ疑難アルコトナシ、前章ノ白馬之白、長人之長、秦人之弟、楚人之長、秦人之炙、及ヒ此章ノ郷人伯兄叔父湯水、皆枝葉ノ論ニテ治ルニ足ラズ、凢ソ書ハ肯綮ヲ得ルヲ貴フ、肯綮ヲ得スシテ雜博ナレハ、本意益々暗ム者ナリ、
新字:行吾敬、故謂之内也、此一語至レリ尽セリ、即前章長者義乎、長之者義乎ノ意ニシテ、更ニ親切ヲ覚フ、吾敬ノ二字尤モ眼目ナリ敬ノ心真ニ吾胸中ヨリ沛然流出シテ、外ヨリ来ル者ニ非ルヲ知ルヘシ、君ニ謁シ神ニ詣シ賓ヲ見ルノ時、吾敬心ハ内ヨリ起ルカ、外ヨリ来ルカト思惟スレハ自ラ明ナリ、此一句タニ明ナラハ、義内ノ説ニ於テ復タ疑難アルコトナシ、前章ノ白馬之白、長人之長、秦人之弟、楚人之長、秦人之炙、及ヒ此章ノ郷人伯兄叔父湯水、皆枝葉ノ論ニテ治ルニ足ラズ、凢ソ書ハ肯綮ヲ得ルヲ貴フ、肯綮ヲ得スシテ雑博ナレハ、本意益々暗ム者ナリ、
書き下し
「吾が敬を行ふ、故に之を内と謂ふなり」。此の一語至れり尽くせり。即ち前章の「長者義なるか、之を長とする者義なるか」の意にして、更に親切を覚ゆ。吾敬の二字尤も眼目なり。敬の心真に吾が胸中より沛然流出して、外より来たる者に非ざるを知るべし。君に謁し神に詣で賓を見るの時、吾が敬心は内より起こるか、外より来たるかと思惟すれば自ら明らかなり。此の一句だに明らかならば、義内の説に於て復た疑難あることなし。前章の白馬の白、長人の長、秦人の弟、楚人の長、秦人の炙、及び此の章の郷人・伯兄・叔父・湯水、皆枝葉の論にて治むるに足らず。凡そ書は肯綮を得るを貴ぶ。肯綮を得ずして雑博なれば、本意益々暗む者なり。
現代語訳
「自分の敬う心を行うのだから、これを内にあるというのだ」。この一言は至れり尽くせりである。前の章の「年長であることが義なのか、年長者を年長として敬うことが義なのか」という意味と同じで、さらに切実に感じられる。「吾が敬」の二字こそが眼目である。敬う心は本当に自分の胸の中からあふれ出るもので、外から来るものではないと知るべきである。主君に拝謁し、神に詣で、客に会うとき、自分の敬う心は内から起こるのか、外から来るのかと考えてみれば、おのずと明らかである。この一句さえ明らかなら、義が内にあるという説に、もう疑いや難点はない。前の章の白馬の白さ、年長者の年長、秦の人の弟、楚の人の年長者、秦の人の焼き肉、そしてこの章の郷里の人・兄・叔父・湯と水などは、みな枝葉の議論で、取り上げるに足りない。およそ書物は要所をつかむことが大切である。要所をつかまずにあれこれ広く読むと、本来の意味はますます見えなくなるものである。
解説
この章句が説くこと
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