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講孟余話 / 告子上 第四章

吾友人某ナル者、膽氣アリテ酒ヲ使フ、曾テ江戶ニ在テ一酒樓ニ大會痛飮シ、慷慨ノ餘大ニ酗ス、其僕年七十餘ノ老翁ニテ、某ノ未生ヨリ已ニ家ニ僕タル者ナリシカ、痛哭シテ云ク、吾カ主公平日彼カ如ク狂暴ナラズ、唯酒ノミ祟ヲナストテ、悲感坐ヲ動カセシコトアリ、余今ニ至テ之ヲ忘ルヽコト能ハズ、是吾皇国人固有ノ忠義ニテ、古ヨリ忠臣義士ノ心是ニ過キス、老僕ノ主人ヲ憂ルハ、即其子ヲ異ナルコトナシ、是仁ナリ、只主人ナレハ痛哭スルノミニシテ、其子ヲ呵叱罵詈スル如クナルコトヲ得ズ、是義タル所以ナリ、支那人ハ然ラス、君臣ハ義ヲ以テ合フト云テ、道合ヘハ服從シ、不可ナレハ則已ム、三諫シテ聽サレハ其国ヲ去ル、魯人ニシテ楚国ニ仕ルモ可ナリ、鄒人ニシテ斉国ニ仕ルモ可也、然レハ義内ト云トモ仁義同根ノ眞義ヲ知ラズ知ラズトト云ヘシ

新字:吾友人某ナル者、胆気アリテ酒ヲ使フ、曽テ江戸ニ在テ一酒楼ニ大会痛飲シ、慷慨ノ余大ニ酗ス、其僕年七十余ノ老翁ニテ、某ノ未生ヨリ已ニ家ニ僕タル者ナリシカ、痛哭シテ云ク、吾カ主公平日彼カ如ク狂暴ナラズ、唯酒ノミ祟ヲナストテ、悲感坐ヲ動カセシコトアリ、余今ニ至テ之ヲ忘ルヽコト能ハズ、是吾皇国人固有ノ忠義ニテ、古ヨリ忠臣義士ノ心是ニ過キス、老僕ノ主人ヲ憂ルハ、即其子ヲ異ナルコトナシ、是仁ナリ、只主人ナレハ痛哭スルノミニシテ、其子ヲ呵叱罵詈スル如クナルコトヲ得ズ、是義タル所以ナリ、支那人ハ然ラス、君臣ハ義ヲ以テ合フト云テ、道合ヘハ服従シ、不可ナレハ則已ム、三諫シテ聴サレハ其国ヲ去ル、魯人ニシテ楚国ニ仕ルモ可ナリ、鄒人ニシテ斉国ニ仕ルモ可也、然レハ義内ト云トモ仁義同根ノ真義ヲ知ラズ知ラズトト云ヘシ

書き下し

吾が友人某なる者、胆気ありて酒を使ふ。曾て江戸に在りて一酒楼に大会痛飲し、慷慨の余り大いに酗す。其の僕年七十余の老翁にて、某の未生より已に家に僕たる者なりしが、痛哭して云く、「吾が主公平日彼が如く狂暴ならず、唯酒のみ祟りをなす」とて、悲感坐を動かせしことあり。余今に至りて之を忘るること能はず。是れ吾が皇国人固有の忠義にて、古より忠臣義士の心是に過ぎず。老僕の主人を憂ふるは、即ち其の子を(憂ふると)異なることなし、是れ仁なり。只主人なれば痛哭するのみにして、其の子を呵叱罵詈する如くなることを得ず、是れ義たる所以なり。支那人は然らず、君臣は義を以て合ふと云ひて、道合へば服従し、不可なれば則ち已む。三諫して聴かれざれば其の国を去る。魯人にして楚国に仕ふるも可なり、鄒人にして斉国に仕ふるも可なり。然れば義内と云へども仁義同根の真義を知らず知らずと云ふべし。

現代語訳

私の友人の某は、胆力があって酒癖が悪い。かつて江戸で、ある料亭で大勢と集まって痛飲し、憤り嘆いたあげくにひどく酔って暴れたことがあった。その下僕は七十余りの老人で、某が生まれる前からその家に仕えていた者だったが、声をあげて泣き、「うちの旦那様はふだんはあのように乱暴ではないのです。ただ酒だけが祟るのです」と言って、その悲しみが一座の人々の心を動かしたことがあった。私は今になってもこれを忘れることができない。これがわが国の人に固有の忠義であって、昔から忠臣義士の心もこれ以上ではない。老僕が主人を案じる心は、わが子を案じる心と少しも違わない。これが仁である。ただ主人であるから泣くだけで、わが子をしかりつけ罵るようにはできない。これが義である理由である。中国の人はそうではない。君臣は義によって結ばれるといって、道が合えば従い、合わなければやめる。三度諫めて聞き入れられなければその国を去る。魯の人が楚の国に仕えてもよく、鄒の人が斉の国に仕えてもよい。そうであれば、義は内にあると言っても、仁と義が同じ根から出るという真の意味は、まったく分かっていないと言うべきである。

解説

松陰は、酒に酔って暴れた友人のために、生まれる前から仕えてきた七十過ぎの老僕が「ふだんの主人はこうではない」と泣いた場面を、忘れられないと書きます。わが子を思うのと同じ心で主人を思うのが仁、それでも主人だから叱れずただ泣くのが義だ、と。そして、道が合わなければ去り、他国にも仕える中国の君臣観は、仁義が同じ根であることを知らないと批判します。理屈より一つの情景で倫理を語るところに松陰の筆の力がありますが、日本と中国を単純に対比する見方には、幕末という時代の色も濃く出ています。

この章句が説くこと

忠義仁義情愛君臣

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