都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
背奢レルノ不義ニ爭フ、然レ共、親類ヨリ手代ノ末々ニ至ルマデ、一人トシテ肯フ氣色モ見ヘズ、見ヘザレ共、我宗領家ノコトナレバ、本ヲ正シ奢ヲ退ケ約ヲ守テ、禮義ノ本ヲ知ラシメント思ヒ、末々マデヲステズ、世話ニセラルヽハ神妙ノ至リナリ、其正キ人、惣領家ニアルコトハ、一家中ノ寶ナリ、此味ヲ知ラザルハ、實寶ノ山ニ入、手ヲ空フシテ歸トハ、箇樣ノコトナルベシ、ソレ程ノ德アル者、世ニ露見セザルハ如何ナルコトゾヤ、親類家内ノ人々ハ、ソレヲ知ラザル而已ナラズ、不義ヲ以テ義ニ勝ント思フハ辟ナリ、汝ハ賢德アル親方ノ仁愛ヲ知ラズシテ、辟云者ニ徒黨シ、親方ヲ誹ル、然レ共、愚痴ヨリナス所ナレバ、親方ハ心寬コレヲモ免シ置ルヽナリ、其心ヲ會得シ、コレマデノ誤ヲ改、忠義ヲ盡サルベキコトナリ、數多家來ノ其中ニ、左程德アル親方ニ與シ、相クル者ナキハ惜哉哀哉、
新字:背奢レルノ不義ニ争フ、然レ共、親類ヨリ手代ノ末々ニ至ルマデ、一人トシテ肯フ気色モ見ヘズ、見ヘザレ共、我宗領家ノコトナレバ、本ヲ正シ奢ヲ退ケ約ヲ守テ、礼義ノ本ヲ知ラシメント思ヒ、末々マデヲステズ、世話ニセラルヽハ神妙ノ至リナリ、其正キ人、惣領家ニアルコトハ、一家中ノ宝ナリ、此味ヲ知ラザルハ、実宝ノ山ニ入、手ヲ空フシテ帰トハ、箇様ノコトナルベシ、ソレ程ノ徳アル者、世ニ露見セザルハ如何ナルコトゾヤ、親類家内ノ人々ハ、ソレヲ知ラザル而已ナラズ、不義ヲ以テ義ニ勝ント思フハ辟ナリ、汝ハ賢徳アル親方ノ仁愛ヲ知ラズシテ、辟云者ニ徒党シ、親方ヲ誹ル、然レ共、愚痴ヨリナス所ナレバ、親方ハ心寛コレヲモ免シ置ルヽナリ、其心ヲ会得シ、コレマデノ誤ヲ改、忠義ヲ尽サルベキコトナリ、数多家来ノ其中ニ、左程徳アル親方ニ与シ、相クル者ナキハ惜哉哀哉、
書き下し
背き奢れるの不義に争ふ。然れ共、親類より手代の末々に至るまで、一人として肯ふ気色も見えず。見えざれ共、我が宗領家のことなれば、本を正し奢を退け約を守りて、礼義の本を知らしめんと思ひ、末々までをすてず、世話にせらるゝは神妙の至りなり。其の正しき人、惣領家にあることは、一家中の宝なり。此の味はひを知らざるは、実に宝の山に入り、手を空しうして帰るとは、箇様のことなるべし。それ程の徳ある者、世に露見せざるは如何なることぞや。親類家内の人々は、それを知らざるのみならず、不義を以て義に勝たんと思ふは辟なり。汝は賢徳ある親方の仁愛を知らずして、辟云ふ者に徒党し、親方を誹る。然れ共、愚痴よりなす所なれば、親方は心寛くこれをも免し置かるゝなり。其の心を会得し、これまでの誤りを改め、忠義を尽さるべきことなり。数多家来の其の中に、左程徳ある親方に与し、相くる者なきは惜しいかな哀しいかな。
現代語訳
法に背きぜいたくをするという不義と争っているのです。けれども親類から手代の末々に至るまで、一人としてうなずく様子も見えません。見えなくても、自分は本家の当主なのだからと、根本を正し、ぜいたくを退け、倹約を守って、礼儀の根本を知らせようと思い、末々の者まで見捨てずに世話をしておられるのは、実に感心の至りです。その正しい人が本家にいることは、一族全体の宝です。この値打ちを知らないのは、『宝の山に入りながら手ぶらで帰る』とは、まさにこういうことでしょう。それほどの徳のある人が世に知られないのはどうしたことでしょう。親類や家の人々はそれを知らないばかりか、不義で義に勝とうと思うのはひがみです。あなたは賢く徳のある主人の仁愛を知らずに、ひがんだことを言う者たちの仲間になって主人を悪く言っています。けれども愚かさからしていることなので、主人は心広く、それをも許しておられるのです。その心を会得して、これまでの誤りを改め、忠義を尽くすべきです。大勢の家来の中に、それほど徳のある主人に味方して助ける者がいないのは、惜しいことです、哀れなことです。」
解説

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