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講孟余話 / 告子上 首章

性猶杞柳性猶湍水生之謂性、首章二章意同シ、卽下章性可以爲善可以爲不善ノ意ナリ、杞柳ヲ戕賊スルノ論、孟子辨ヲ以テ是ヲ折クノミ、告子杞柳ノ喩実ニ戕賊ノ意アルニ非ス、朱註荀子性惡ノ說ト云モ、孟子ノ語ニ就テ云ノミ、恐クハ告子ノ本意ニ非ス、告子ノ意杞柳ノ喩、湍水ト少モ異ルコトナシ、朱子生之謂性ヲ以テ告子カ誤ノ根本トス、甚妙ナリ、告子始終形氣ノ上ニ就テ云、故ニ善悪混シ可爲善悪一ノ処知ルノミ、是空論ニ非ス、皆実事ヲ論スルナリ、但其指ス所異ナルノミ、而シテ後人告子ノ餘緒ヲ継テ、孟子ヲ辨駁スル者アリ、又孟ハ粗鄙ニシテ精察ヲ闕ク、又孟子ヲ說ヲ主張シテ更ニ虚空ノ高論ヲナスアリ、皆深ク論スルニ足ラズ、

新字:性猶杞柳性猶湍水生之謂性、首章二章意同シ、即下章性可以為善可以為不善ノ意ナリ、杞柳ヲ戕賊スルノ論、孟子弁ヲ以テ是ヲ折クノミ、告子杞柳ノ喩実ニ戕賊ノ意アルニ非ス、朱註荀子性悪ノ説ト云モ、孟子ノ語ニ就テ云ノミ、恐クハ告子ノ本意ニ非ス、告子ノ意杞柳ノ喩、湍水ト少モ異ルコトナシ、朱子生之謂性ヲ以テ告子カ誤ノ根本トス、甚妙ナリ、告子始終形気ノ上ニ就テ云、故ニ善悪混シ可為善悪一ノ処知ルノミ、是空論ニ非ス、皆実事ヲ論スルナリ、但其指ス所異ナルノミ、而シテ後人告子ノ余緒ヲ継テ、孟子ヲ弁駁スル者アリ、又孟ハ粗鄙ニシテ精察ヲ闕ク、又孟子ヲ説ヲ主張シテ更ニ虚空ノ高論ヲナスアリ、皆深ク論スルニ足ラズ、

書き下し

「性は猶ほ杞柳のごとし」(首章)。「性は猶ほ湍水のごとし」(第二章)。「生之を性と謂ふ」(第三章)。首章・二章意同じ、即ち下章の「性は以て善を為すべく、以て不善を為すべし」の意なり。杞柳を戕賊するの論、孟子弁を以て是を折くのみ。告子の杞柳の喩、実に戕賊の意あるに非ず。朱註に荀子性悪の説と云ふも、孟子の語に就きて云ふのみ、恐らくは告子の本意に非ず。告子の意、杞柳の喩、湍水と少しも異なることなし。朱子生之を性と謂ふを以て告子が誤りの根本とす、甚だ妙なり。告子始終形気の上に就きて云ふ、故に善悪混じ、善悪を為すべき一処を知るのみ。是れ空論に非ず、皆実事を論ずるなり、但だ其の指す所異なるのみ。而して後人告子の余緒を継ぎて、孟子を弁駁する者あり。又孟は粗鄙にして精察を闕くとし、又孟子の説を主張して更に虚空の高論をなすあり。皆深く論ずるに足らず。

現代語訳

「人の性は杞柳(こりやなぎ)のようなものだ」(首章)。「人の性は渦巻く水のようなものだ」(第二章)。「生まれつきのもの、それを性という」(第三章)。首章と第二章の意味は同じで、つまり次の章の「性は善をなすこともでき、不善をなすこともできる」という意味である。杞柳を損なって器を作るという論は、孟子が弁舌によってこれを挫いただけである。告子の杞柳のたとえに、本当に性を損なうという意味があるわけではない。朱子の注が荀子の性悪説と同じだと言うのも、孟子の言葉に即して言っただけで、おそらく告子の本意ではない。告子の意味は、杞柳のたとえも渦巻く水のたとえも少しも違わない。朱子が「生まれつきのもの、それを性という」を告子の誤りの根本としたのは、たいへん巧みである。告子は終始、体と気質の上で言っている。だから善悪がまじり、善も悪もなしうるという一面だけを知っているのである。これは空論ではなく、みな実際のことを論じている。ただ指しているところが違うだけである。そして後の人で、告子の論の続きを受け継いで孟子を論駁する者がいる。また、孟子は粗雑で精密な考察に欠けると言う者や、孟子の説を押し立ててさらに空虚な高論をする者もいる。いずれも深く論じるには足りない。

解説

告子上篇の冒頭三章で、告子は性を杞柳や渦巻く水にたとえ、生まれつきのものが性だと主張し、孟子はそれを論破します。松陰はここで告子を一方的に退けず、告子の議論は体と欲という現実の面を見たもので空論ではない、ただ見ている所が違うのだ、と公平に読みます。朱子が告子を荀子の性悪説と同一視したのも行き過ぎだと言います。論敵の主張をまず正確に理解してから違いを見極める態度は、議論の場で相手の説をねじ曲げて叩かないための基本として、今も学ぶところがあります。

この章句が説くこと

性善告子論争公平形気

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