講孟余話 / 告子上 第三章
余謂ラク性善ノ氣ヲ知ルハ、精思ト切思トヲ要トス、今一義ヲ行ハント欲ス、此初念即チ性善ナリ、已ニシテ名利便安ノ念、是ニ継テ紛生ス、是皆形氣ノ欲ナリ、形氣ノ欲ヲ破シ去リテ、性善ノ本根ヲ涵養セハ、何ノ義カ行フヘカラサラン、是ヲ精切ノ思ト云、今如何ナル田夫野老ト雖トモ、夷狄ノ輕侮ヲ見テ憤懣切歯セサルハナシ、是性善ナリ、然トモ堂々征夷大將軍ヨリ、列国ノ諸大名ヨリ、幕府ノ老中諸奉行ヨリ、諸家ノ家老用人ヨリ、皆身ヲ以テ国ニ殉シ、夷狄ヲ掃蕩スルノ處置ナキハ何ソヤ、其智田夫野老ニ及ハサルニ非ス、唯田夫野老ハ傍觀ノ者ニテ性善ノ儘ナリ、將軍大名老中奉行抔ハ、形氣ノ欲ニテ性善ヲ蔽ハルヽナリ、初念素ヨリ憂国疾夷ノ心ナキニ非ス、但戰爭ニ及ハヽ、姫妾数百千人何ノ地ニ置カンカ、珍玩奇噐何ノ地ニ藏センカ、甲冑ノ窮屈ハ絹蒲團ノ安穩ニ如カス、兵粮ノ粗糲ハ膏梁ノ軟美ニ如カズ、扨又今十年セハ吾モ亦秩祿幾許ヲ進ムヘシ、今五年セハ吾モ亦金帛幾許ヲ畜フヘシ、家宅ヲ改造セン、園池ヲ修築セント云類、一々其意匠ヲ筆記セハ、醜怪言フニ堪ヘズ、而シテ皆形氣ノ欲ナリ、唯形氣ノ欲アリ、故ニ堂々タル高貴ニシテ、田夫野老ニ及フコト能ハズ、憂国疾夷ムコト能ハズ、是ヲ以テ性善ノ味ヲ知ルヘシ、
新字:余謂ラク性善ノ気ヲ知ルハ、精思ト切思トヲ要トス、今一義ヲ行ハント欲ス、此初念即チ性善ナリ、已ニシテ名利便安ノ念、是ニ継テ紛生ス、是皆形気ノ欲ナリ、形気ノ欲ヲ破シ去リテ、性善ノ本根ヲ涵養セハ、何ノ義カ行フヘカラサラン、是ヲ精切ノ思ト云、今如何ナル田夫野老ト雖トモ、夷狄ノ軽侮ヲ見テ憤懣切歯セサルハナシ、是性善ナリ、然トモ堂々征夷大将軍ヨリ、列国ノ諸大名ヨリ、幕府ノ老中諸奉行ヨリ、諸家ノ家老用人ヨリ、皆身ヲ以テ国ニ殉シ、夷狄ヲ掃蕩スルノ処置ナキハ何ソヤ、其智田夫野老ニ及ハサルニ非ス、唯田夫野老ハ傍観ノ者ニテ性善ノ儘ナリ、将軍大名老中奉行抔ハ、形気ノ欲ニテ性善ヲ蔽ハルヽナリ、初念素ヨリ憂国疾夷ノ心ナキニ非ス、但戦争ニ及ハヽ、姫妾数百千人何ノ地ニ置カンカ、珍玩奇噐何ノ地ニ蔵センカ、甲冑ノ窮屈ハ絹蒲団ノ安穏ニ如カス、兵粮ノ粗糲ハ膏梁ノ軟美ニ如カズ、扨又今十年セハ吾モ亦秩禄幾許ヲ進ムヘシ、今五年セハ吾モ亦金帛幾許ヲ畜フヘシ、家宅ヲ改造セン、園池ヲ修築セント云類、一々其意匠ヲ筆記セハ、醜怪言フニ堪ヘズ、而シテ皆形気ノ欲ナリ、唯形気ノ欲アリ、故ニ堂々タル高貴ニシテ、田夫野老ニ及フコト能ハズ、憂国疾夷ムコト能ハズ、是ヲ以テ性善ノ味ヲ知ルヘシ、
書き下し
余謂へらく、性善の気を知るは、精思と切思とを要とす。今一義を行はんと欲す、此の初念即ち性善なり。已にして名利便安の念、是に継ぎて紛生す、是れ皆形気の欲なり。形気の欲を破し去りて、性善の本根を涵養せば、何の義か行ふべからざらん。是を精切の思と云ふ。今如何なる田夫野老と雖も、夷狄の軽侮を見て憤懣切歯せざるはなし、是れ性善なり。然れども堂々たる征夷大将軍より、列国の諸大名より、幕府の老中諸奉行より、諸家の家老用人より、皆身を以て国に殉じ、夷狄を掃蕩するの処置なきは何ぞや。其の智田夫野老に及ばざるに非ず、唯田夫野老は傍観の者にて性善の儘なり、将軍大名老中奉行抔は、形気の欲にて性善を蔽はるるなり。初念素より憂国疾夷の心なきに非ず、但し戦争に及ばば、姫妾数百千人何の地に置かんか、珍玩奇器何の地に蔵せんか、甲冑の窮屈は絹蒲団の安穏に如かず、兵粮の粗糲は膏粱の軟美に如かず。扨て又今十年せば吾も亦秩禄幾許を進むべし、今五年せば吾も亦金帛幾許を畜ふべし、家宅を改造せん、園池を修築せんと云ふ類、一々其の意匠を筆記せば、醜怪言ふに堪へず。而して皆形気の欲なり。唯形気の欲あり、故に堂々たる高貴にして、田夫野老に及ぶこと能はず、憂国疾夷すること能はず。是を以て性善の味を知るべし。
現代語訳
私が思うに、性善の趣を知るには、精密に思うことと切実に思うことが要である。今、一つの義を行おうとする。この最初の思いがすなわち性善である。やがて名声や利益、便利や安楽の思いが、これに続いて乱れ生じる。これはみな体と気質の欲である。体と気質の欲を打ち破って、性善の根本を養うなら、どんな義でも行えないことがあろうか。これを精密で切実な思いという。今、どんな田舎の農夫や老人でも、外国人が侮るのを見て、憤って歯ぎしりしない者はない。これが性善である。それなのに、堂々たる征夷大将軍から、諸国の大名、幕府の老中や奉行、諸藩の家老や用人に至るまで、誰一人として身をもって国に殉じ、外夷を一掃する手立てを講じないのはなぜか。その知恵が農夫や老人に及ばないのではない。ただ農夫や老人は傍観者だから性善のままでいられるが、将軍・大名・老中・奉行などは体と気質の欲によって性善が覆われているのである。最初の思いに国を憂え外夷を憎む心がないわけではない。ただ、戦争になったら数百数千の側室をどこに置こうか、珍しい道具をどこにしまおうか、甲冑の窮屈さは絹の布団の安らかさに及ばない、兵糧の粗末な飯はごちそうの柔らかさに及ばない、と思う。さらに、あと十年たてば俸禄がいくら増える、あと五年たてば金銀がいくら貯まる、家を建て替えよう、庭の池を造り直そう、といった類で、一つ一つその胸算用を書き記せば、醜くて言うに堪えない。そしてそれはみな体と気質の欲である。ただ体と気質の欲があるために、堂々たる高貴な身でありながら、農夫や老人に及ぶことができず、国を憂え外夷を憎むことができない。これによって性善の味わいを知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 李斯列伝彼の賢人の天下を有つや、専ら天下を用ひて己に適するのみ。此れ天下を有つを貴ぶ所なり。夫れ所謂賢人なる者は、必ず能く天下を安んじて万民を治む。今身すら且つ利する能はず、将た悪くんぞ能く天下を治めんや。故に吾志を賜にし欲を広くし、長く天下を享けて害無からんと願ふ。之を為すこと奈何」と。李斯の子由は三川の守為り。群盗呉広等西のかた地を略し、過ぎ去るも禁ずる能はず。章邯以て広等の兵を破逐す。使者三川を覆案すること相属ぎ、斯の三公の位に居りて、如何ぞ盗をして此の如くならしむると誚譲す。李斯恐懼し、爵禄を重んじ、出だす所を知らず、乃ち二世の意に阿り、容れられんことを求めんと欲し、書を以て対へて曰く、夫れ賢主なる者は、必ず且に能く道を全うして督責の術を行ふ者なり。之を督責すれば、則ち臣敢て能を竭くして以て其の主に徇はずんばあらず。此れ臣主の分定まり、上下の義明らかなれば、則ち天下の賢不肖、敢て力を尽くし任を竭くして以て其の君に徇はざる莫し。是の故に主は独り天下を制して制せらるる所無きなり。能く楽しみの極みを窮む。賢明の主なり。察せざるべけんや。故に申子曰く「天下を有ちて恣睢せざる、之を命けて天下を以て桎梏と為すと曰ふ」とは、他無し、督責する能はずして、顧って其の身を以て天下の民に労すること、堯・禹の然るが若し。故に之を「桎梏」と謂ふなり。夫れ申・韓の明術を修め、督責の道を行ひ、専ら天下を以て自ら適する能はずして、徒らに形を苦しめ神を労するを務め、身を以て百姓に徇ふは、則ち是れ黔首の役にして、天下を畜ふ者に非ざるなり。何ぞ貴ぶに足らんや。夫れ人を以て己に徇はしむれば、則ち己は貴くして人は賤し。己を以て人に徇へば、則ち己は賤しくして人は貴し。故に人に徇ふ者は賤しく、而して人の徇ふ所の者は貴し。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。凡そ古の賢を尊ぶ所為の者は、其の貴きが為なり。而して不肖を悪む所為の者は、其の賤しきが為なり。
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、
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『呻吟語』外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
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史記 呂不韋列伝始皇帝益々壮なり。太后の淫止まず。呂不韋、覚られて禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち私かに大陰人嫪毐を求めて以て舎人と為す。時に倡楽を縦にし、毐をして其の陰を以て桐輪を闕けて行かしめ、太后をして之を聞かしめ、以て太后を啗はしむ。太后聞き、果して私かに之を得んと欲す。呂不韋乃ち嫪毐を進め、詐りて人をして腐罪を以て之を告げしむ。不韋又陰かに太后に謂ひて曰く、「詐りて腐を事とせしむべし。則ち給事中を得ん」と。太后乃ち陰かに厚く主腐者の吏に賜ひ、詐りて之を論じ、其の須眉を抜きて宦者と為し、遂に太后に侍するを得たり。太后私かに与に通じ、絶だ之を愛す。身有り。太后人の之を知らんことを恐れ、詐りて卜ふに時を避くべしとし、宮を徙して雍に居る。嫪毐常に従ひ、賞賜甚だ厚く、事皆嫪毐に決す。嫪毐の家僮数千人、諸客の宦を求めて嫪毐の舎人と為る者千余人。始皇の七年、荘襄王の母夏太后薨ず。孝文王の后を華陽太后と曰ひ、孝文王と寿陵に会葬す。夏太后の子荘襄王は芷陽に葬らる。故に夏太后独り別に杜の東に葬られ、曰く「東のかた吾が子を望み、西のかた吾が夫を望む。後百年、旁らに当に万家の邑有るべし」と。
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史記 李斯列伝高乃ち丞相斯に謂ひて曰く、「上崩じ、長子に書を賜ひ、喪と咸陽に会して立ちて嗣と為らしむ。書未だ行らず。今上崩じ、未だ知る者有らざるなり。長子に賜ふ所の書及び符璽は皆胡亥の所に在り。太子を定むるは君侯と高との口に在るのみ。事将に何如せん」と。斯曰く、「安くんぞ亡国の言を得たる。此れ人臣の当に議すべき所に非ざるなり」と。高曰く、「君侯自ら料るに、能は蒙恬と孰れぞ。功の高きは蒙恬と孰れぞ。謀遠くして失はざるは蒙恬と孰れぞ。怨み天下に無きは蒙恬と孰れぞ。長子の旧くして之を信ずるは蒙恬と孰れぞ」と。斯曰く、「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く、「高は固より内官の廝役なり。幸ひに刀筆の文を以て秦宮に進み入るを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の丞相功臣を免罷して封の二世に及ぶ者有るを見ざるなり。卒に皆誅を以て亡ぶ。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて士を奮はす。即位せば必ず蒙恬を用ひて丞相と為さん。君侯終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、
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『春秋左氏伝』成公十七年 葵すら足を衛る秋、七月、壬寅、鮑牽を刖りて高無咎を逐ふ。無咎莒に奔る。高弱盧を以って叛く。齊人來りて鮑國を召して之を立つ。初め、鮑國鮑氏を去りて來り、施孝叔の臣と為る。施氏宰を卜す。匡句須吉なり。施氏の宰は、百室の邑有り。匡句須に邑を與へて、宰と為さしむ。以って鮑國に讓りて邑を致す。施孝叔曰く、「子實に吉なり」と。對へて曰く、「能く忠良に與ふ、吉孰れか大ならん」と。鮑國施氏に相として忠なり。故に齊人取りて以って鮑氏の後と為す。仲尼曰く、「鮑莊子の知は葵に如かず。葵すら猶ほ能く其の足を衞る」と。冬、諸侯鄭を伐つ。十月、庚午、鄭を圍む。楚の公子申鄭を救ひ、汝上に師す。十一月、諸侯還る。初め、聲伯洹を涉り、或ひと己に瓊瑰を與へて之を食はしめ、泣きて瓊瑰と為り、其の懷に盈つるを夢む。從ひて之を歌ひて曰く、「洹の水を濟れば、我に贈るに瓊瑰を以ってす。歸らんか歸らんか、瓊瑰吾が懷に盈てり」と。懼れて敢へて占はず。鄭より還り、壬申、貍脤に至りて之を占ひて曰く、「余死を恐る、故に敢へて占はざりき。今眾繁くして余に從ふこと三年なり。傷む無からん」と。之を言ひて、莫に之きて卒す。齊侯崔杼をして大夫為らしめ、慶克をして之に佐たらしめ、師を帥ゐて盧を圍む。國佐諸侯に從ひて鄭を圍み、難を以って請ひて歸る。遂に盧の師に如き、慶克を殺し、穀を以って叛く。齊侯之と徐關に盟ひて之を復す。
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