講孟余話 / 萬章下 末章
此篇首章、伯夷伊尹柳下惠孔子ヲ論スルハ、上篇舜禹啓益伊尹周公孔子百里奚ヲ論スルヲ承ルナリ、第三章友ヲ論ス、第四章交際ヲ論ス、第五章仕ヲ論ス、第六章賢ヲ尊フヲ論ス、第七章諸矦ニ見ヘサルヲ論ス、意皆相承ク、第八章一轉シテ、遂ニ尙友ヲ論ス、末章又一轉シテ、卿ヲ論シ結局トス、條理窺フヘシ、但第二章周制ヲ論スル者、何ノ意タルヲ詳ニセス、然トモ窃カニ考フルニ、是制度ノ大畧、王政ノ大要、上章群聖賢ノ事ヲ論シ終リ、下章孟子自ラ處ル所ヲ論スルノ中間ニ、此章ヲ置クコト、孟子經綸ノ志茲ニ存スルコト知ルヘシ、且暗ニ末章卿ヲ論スル章ト呼應ス
新字:此篇首章、伯夷伊尹柳下恵孔子ヲ論スルハ、上篇舜禹啓益伊尹周公孔子百里奚ヲ論スルヲ承ルナリ、第三章友ヲ論ス、第四章交際ヲ論ス、第五章仕ヲ論ス、第六章賢ヲ尊フヲ論ス、第七章諸矦ニ見ヘサルヲ論ス、意皆相承ク、第八章一転シテ、遂ニ尚友ヲ論ス、末章又一転シテ、卿ヲ論シ結局トス、条理窺フヘシ、但第二章周制ヲ論スル者、何ノ意タルヲ詳ニセス、然トモ窃カニ考フルニ、是制度ノ大略、王政ノ大要、上章群聖賢ノ事ヲ論シ終リ、下章孟子自ラ処ル所ヲ論スルノ中間ニ、此章ヲ置クコト、孟子経綸ノ志茲ニ存スルコト知ルヘシ、且暗ニ末章卿ヲ論スル章ト呼応ス
書き下し
此の篇首章、伯夷・伊尹・柳下恵・孔子を論ずるは、上篇の舜・禹・啓・益・伊尹・周公・孔子・百里奚を論ずるを承くるなり。第三章友を論ず、第四章交際を論ず、第五章仕を論ず、第六章賢を尊ぶを論ず、第七章諸侯に見えざるを論ず、意皆相承く。第八章一転して、遂に尚友を論ず。末章又一転して、卿を論じ結局とす。条理窺ふべし。但し第二章周制を論ずる者、何の意たるを詳らかにせず。然れども窃かに考ふるに、是れ制度の大略、王政の大要、上章群聖賢の事を論じ終はり、下章孟子自ら処る所を論ずるの中間に、此の章を置くこと、孟子経綸の志茲に存すること知るべし。且つ暗に末章卿を論ずる章と呼応す。
現代語訳
この篇の首章で伯夷・伊尹・柳下恵・孔子を論じるのは、上篇で舜・禹・啓・益・伊尹・周公・孔子・百里奚を論じたのを受けている。第三章は友を論じ、第四章は交際を論じ、第五章は仕えることを論じ、第六章は賢者を尊ぶことを論じ、第七章は諸侯に会いに行かないことを論じて、意味がみな互いに受け継がれている。第八章で一転してついに尚友を論じ、末章でまた一転して卿を論じて結びとしている。筋道がうかがえる。ただ、第二章で周の制度を論じているのは、どういう意図なのかはっきりしない。しかしひそかに考えると、これは制度のあらまし、王道政治の要であって、前の章で多くの聖賢のことを論じ終え、後の章で孟子自身の身の処し方を論じる、その中間にこの章を置いたのは、孟子の天下を治める志がここにあることを知るべきである。そのうえ、ひそかに末章の卿を論じる章と呼応している。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』公孫丑上 第九章此の篇、首章王たるの易きを云ふ、管晏を黜くる者は、意実に孔子を学ぶにあるなり。二章は上を承けて不動心を言ふ、知言・養気を以て其の工夫とす、遂に孔子を学ぶの意に落着す。三章王覇を弁じ、四章栄辱を論ず、皆首章の余意を発明す。五章詳かに仁政を論ず、首章「仁政を行ふ」の句を実にす。六章仁心の固有を明かにし、七章仁を択ぶを論じ、並びに仁政の根本とす。八章子路・禹・大舜を挙げて遥かに第二章の末、群賢聖を列するの意に照応し、九章伯夷・柳下恵を言ひて、「君子は由らざるなり」に帰し、孔子を学ぶの意を重ぬ。管晏の黜くべきは復た言を待たず。是れ上篇の文脈なり。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章此の二章、是れ孟子道行はれずして天下後世に伝ふるの志なり。孟子七篇、梁恵王を以て首篇とす、是れ王政の要、孟子の天下に行はんと欲する所なり。尽心を以て末篇とす、是れ聖道の精、孟子の後世に伝へんと欲する所なり。中間の告子一篇は、性善の論、学者手を下すの初頭なり。他の諸篇は三義を雑記するなり。故に孟子を観んと欲せば、性善より工夫を下し、王政を行ひ、大道を万世に伝へば、用捨行蔵遺憾なきに足れり。抑々割記の開巻第一義は国体人倫にあり、故に首として君臣の大義を論ず。結末に至りて、明らかに此の道を以て自ら任とするの意を著す。同志の諸君子、始末を合はせ考へて、余が志の孔孟に謬るや否や、国体人倫に戻るや否やを論究し、教へを賜ふを惜しむことなくんば幸甚幸甚。此の篇上下を分かつことなし。「心を尽くし性を知り天を知る」に起り、「有ること無くんば、則ち亦有ること無からん」に終る。言尽きて意尽きず。其の間章々或は続き、或は断ゆ。之れを要するに皆聖道の精微、身心に緊切なる者にして、孟子の以て天下後世に伝ふる所以なり。丙辰六月十八日具稿。
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