講孟余話 / 公孫丑下 末章
暗ニ第十二章不識王之不可以爲湯武則不明也、ノ意ヲ照シ、孟子固ヨリ已ニ王ノ湯武タルヘカラサルヲ知ルト雖トモ、亦倖々然タル小人ノ行ヲ爲スニ忍ヒスシテ、心ナラズ斉ニ久カリシト也、是此篇ノ大條理ナリ、但疑ヘキハ、首章天時地利人和ノ論、他ノ章ニ於テ曾テ關係ナキヲ覚フ、或ハ錯簡アランモ未タ知ベカラズ
新字:暗ニ第十二章不識王之不可以為湯武則不明也、ノ意ヲ照シ、孟子固ヨリ已ニ王ノ湯武タルヘカラサルヲ知ルト雖トモ、亦倖々然タル小人ノ行ヲ為スニ忍ヒスシテ、心ナラズ斉ニ久カリシト也、是此篇ノ大条理ナリ、但疑ヘキハ、首章天時地利人和ノ論、他ノ章ニ於テ曽テ関係ナキヲ覚フ、或ハ錯簡アランモ未タ知ベカラズ
書き下し
暗に第十二章「王の以て湯武たるべからざるを識らずんば則ち明らかならざるなり」の意を照らし、孟子固より已に王の湯武たるべからざるを知ると雖も、亦悻々然たる小人の行をなすに忍びずして、心ならず斉に久しかりしとなり。是れ此の篇の大条理なり。但し疑ふべきは、首章天時・地利・人和の論、他の章に於て曾て関係なきを覚ゆ、或は錯簡あらんも未だ知るべからず。
現代語訳
(末章は)ひそかに第十二章の「王が湯王や武王のようにはなれないことを見抜けなかったのなら、それは明察を欠く」という意に照らし合わせている。孟子はもとより、王が湯王や武王にはなれないことをすでに知っていたけれども、むっとして立ち去るような小人の振る舞いをするに忍びず、不本意ながら斉に長くとどまったのである。これがこの篇の大きな筋道である。ただ疑わしいのは、首章の天の時・地の利・人の和の論が、ほかの章とまったく関わりがないように思えることである。あるいは竹簡の順序の乱れがあるのかもしれないが、まだ分からない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』公孫丑上 第九章此の篇、首章王たるの易きを云ふ、管晏を黜くる者は、意実に孔子を学ぶにあるなり。二章は上を承けて不動心を言ふ、知言・養気を以て其の工夫とす、遂に孔子を学ぶの意に落着す。三章王覇を弁じ、四章栄辱を論ず、皆首章の余意を発明す。五章詳かに仁政を論ず、首章「仁政を行ふ」の句を実にす。六章仁心の固有を明かにし、七章仁を択ぶを論じ、並びに仁政の根本とす。八章子路・禹・大舜を挙げて遥かに第二章の末、群賢聖を列するの意に照応し、九章伯夷・柳下恵を言ひて、「君子は由らざるなり」に帰し、孔子を学ぶの意を重ぬ。管晏の黜くべきは復た言を待たず。是れ上篇の文脈なり。
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『講孟余話』萬章下 末章此の篇首章、伯夷・伊尹・柳下恵・孔子を論ずるは、上篇の舜・禹・啓・益・伊尹・周公・孔子・百里奚を論ずるを承くるなり。第三章友を論ず、第四章交際を論ず、第五章仕を論ず、第六章賢を尊ぶを論ず、第七章諸侯に見えざるを論ず、意皆相承く。第八章一転して、遂に尚友を論ず。末章又一転して、卿を論じ結局とす。条理窺ふべし。但し第二章周制を論ずる者、何の意たるを詳らかにせず。然れども窃かに考ふるに、是れ制度の大略、王政の大要、上章群聖賢の事を論じ終はり、下章孟子自ら処る所を論ずるの中間に、此の章を置くこと、孟子経綸の志茲に存すること知るべし。且つ暗に末章卿を論ずる章と呼応す。
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『講孟余話』告子下 第六章「孔子魯の司寇と為る」云々。孟子自ら斉を去るを以て、孔子の魯を去るに比す。此の意を味ふに必ず由あらん。公孫丑下篇末章に、「崇に於て、吾王を見ることを得、退きて去る志有り。斉に久しきは、我が志に非ざるなり」とあり。其の第十一章に、「子長者の為に慮りて、子思に及ばず」とあり。其の第十二章に、「王庶幾はくは之を改めん」とあり。此の類を合せ見ば、大略伺ふべし。蓋し孟子初めて宣王に見えてより既に去る志あり。然れども故なくして去ることを欲せず。故に必ず時を待ちて後去るなり。或は一事に託して去るならん。待つことあり託することありと云へども、其の本意は宣王賢を尊ぶの誠心なく、王政を行ふの実心なきの故を以てなり。豈に他あらんや。
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