導師導古典を学びたいすべての人に

講孟余話 / 萬章下 末章

而シテ易位ト去トハ皆權ナリ、若シ其常經ヲ論セハ、諫メテ死スルアルノミ、然トモ易ト去ト死ト此三臣アラハ、國家亦恃ムヘシ、如何セン、世ノ暗君庸主、此臣ノ恃ムヘキヲ知ラスシテ、特ニ是ヲ忌憚スルヲ知ルノミ、明主ハ然ラス、此樣ノ臣ヲ培養シテ後世ニ遺シ、永ク國家ノ鎭トスルナリ、或問フ、前輩或ハ此章ヲ疑テ、簒弑ノ端ヲ開ク、聖賢ノ言ニ非ス、宜シク削去ルヘシト云、如何、且君如何ニシテ臣如何ナラハ、位ヲ易ヘテ可ナリヤ、曰ク、孟子曾テ言アリ、伊尹ノ志アレハ可ナリト、一語已ニ盡セリ、伊尹ノ志ハ國家ヲ憂ヒ生民ヲ憂フルノミニテ、一點ノ私心アルニ非ス、此志已ニ自ラ信シ、天地宗廟ヘ對越シテ、毫モ懼ル所ナシ、天下後世ヘ揭示シテ、毫モ愧ル所ナシ、天地宗廟天下後世皆伊尹ノ私心ナキヲ信シテ、敢テ一ノ間然スル者アラス、是伊尹ノ志ナリ、霍光趙如愚ノ如キト云トモ、其廃立ノ際ニ當テ、豈一點ノ私心アランヤ、是亦自ラ信シ人是ヲ信ス、即亦伊尹ノ志ナリ、曹操司馬懿智術ヲ揮テ一時ヲ籠絡スト云トモ、天下後世誰カ其心ヲ信スル者アラン、名ケテ姦雄ト称シ、永ク亂臣賊子ノ龜鑑トス、噫畏ルヘキカナ、抑操懿ノ如キ臣アルハ、皆人君ノ罪ナリ、最モ人君ノ耻ナリ、况ヤ君ニ告ルノ体、君ヲシテ戒懼ノ心ヲ起サシムルヲ要トス、何ソ必シモ此章ヲ削リ去ルコトヲ用ンヤ、

新字:而シテ易位ト去トハ皆権ナリ、若シ其常経ヲ論セハ、諫メテ死スルアルノミ、然トモ易ト去ト死ト此三臣アラハ、国家亦恃ムヘシ、如何セン、世ノ暗君庸主、此臣ノ恃ムヘキヲ知ラスシテ、特ニ是ヲ忌憚スルヲ知ルノミ、明主ハ然ラス、此様ノ臣ヲ培養シテ後世ニ遺シ、永ク国家ノ鎮トスルナリ、或問フ、前輩或ハ此章ヲ疑テ、簒弑ノ端ヲ開ク、聖賢ノ言ニ非ス、宜シク削去ルヘシト云、如何、且君如何ニシテ臣如何ナラハ、位ヲ易ヘテ可ナリヤ、曰ク、孟子曽テ言アリ、伊尹ノ志アレハ可ナリト、一語已ニ尽セリ、伊尹ノ志ハ国家ヲ憂ヒ生民ヲ憂フルノミニテ、一点ノ私心アルニ非ス、此志已ニ自ラ信シ、天地宗廟ヘ対越シテ、毫モ懼ル所ナシ、天下後世ヘ掲示シテ、毫モ愧ル所ナシ、天地宗廟天下後世皆伊尹ノ私心ナキヲ信シテ、敢テ一ノ間然スル者アラス、是伊尹ノ志ナリ、霍光趙如愚ノ如キト云トモ、其廃立ノ際ニ当テ、豈一点ノ私心アランヤ、是亦自ラ信シ人是ヲ信ス、即亦伊尹ノ志ナリ、曹操司馬懿智術ヲ揮テ一時ヲ籠絡スト云トモ、天下後世誰カ其心ヲ信スル者アラン、名ケテ姦雄ト称シ、永ク乱臣賊子ノ亀鑑トス、噫畏ルヘキカナ、抑操懿ノ如キ臣アルハ、皆人君ノ罪ナリ、最モ人君ノ耻ナリ、況ヤ君ニ告ルノ体、君ヲシテ戒懼ノ心ヲ起サシムルヲ要トス、何ソ必シモ此章ヲ削リ去ルコトヲ用ンヤ、

書き下し

而して位を易ふると去るとは皆権なり。若し其の常経を論ぜば、諫めて死するあるのみ。然れども易ふると去ると死すると此の三臣あらば、国家亦恃むべし。如何せん、世の暗君庸主、此の臣の恃むべきを知らずして、特に是を忌憚するを知るのみ。明主は然らず、此の様の臣を培養して後世に遺し、永く国家の鎮とするなり。或ひと問ふ、前輩或いは此の章を疑ひて、簒弑の端を開く、聖賢の言に非ず、宜しく削り去るべしと云ふ、如何。且つ君如何にして臣如何ならば、位を易へて可なりや。曰く、孟子曾て言あり、伊尹の志あれば可なりと。一語已に尽くせり。伊尹の志は国家を憂ひ生民を憂ふるのみにて、一点の私心あるに非ず。此の志已に自ら信じ、天地宗廟へ対越して、毫も懼るる所なし。天下後世へ掲示して、毫も愧づる所なし。天地宗廟天下後世皆伊尹の私心なきを信じて、敢へて一の間然する者あらず。是れ伊尹の志なり。霍光・趙汝愚の如きと云へども、其の廃立の際に当たりて、豈に一点の私心あらんや。是れ亦自ら信じ人是を信ず、即ち亦伊尹の志なり。曹操・司馬懿、智術を揮ひて一時を籠絡すと云へども、天下後世誰か其の心を信ずる者あらん。名づけて姦雄と称し、永く乱臣賊子の亀鑑とす。噫畏るべきかな。抑々操・懿の如き臣あるは、皆人君の罪なり、最も人君の恥なり。況や君に告ぐるの体、君をして戒懼の心を起こさしむるを要とす、何ぞ必ずしも此の章を削り去ることを用ひんや。

現代語訳

そして位を替えることと去ることは、どちらも非常の権道である。もし常の道を論じるなら、諫めて死ぬことがあるのみである。しかし、位を替える臣、去る臣、死ぬ臣、この三種の臣がいれば、国家も頼りにできる。どうしたことか、世の暗愚な君主や凡庸な君主は、こうした臣が頼りになることを知らず、ただこれを忌み恐れることだけを知っている。明君はそうではなく、このような臣を育てて後世に残し、長く国家の重しとするのである。ある人が問うた。先輩の中にはこの章を疑い、主君を奪い殺す糸口を開くもので聖賢の言葉ではないから削るべきだと言う者がいるが、どうか。また、君主がどうであり臣下がどうであれば、位を替えてよいのか。答えて言う。孟子はかつて「伊尹の志があればよい」と言っている。この一語ですでに尽きている。伊尹の志は国家を憂え民を憂えることだけで、一点の私心もなかった。この志を自ら信じ、天地や祖先の霊に向き合って少しも恐れるところがなく、天下後世に示して少しも恥じるところがない。天地も祖先の霊も天下後世も、みな伊尹に私心がないことを信じて、とやかく言う者は一人もいない。これが伊尹の志である。霍光や趙汝愚のような人でも、君主を廃し立てるに当たって、どうして一点の私心があっただろうか。これもまた自ら信じ、人もこれを信じる。すなわちこれも伊尹の志である。曹操や司馬懿は知恵と術策を振るって一時は人々を丸め込んだが、天下後世で誰がその心を信じるだろうか。奸雄と呼ばれ、長く乱臣賊子の戒めの手本とされている。ああ、恐ろしいことだ。そもそも曹操や司馬懿のような臣がいるのは、すべて君主の罪であり、何より君主の恥である。まして君主に申し上げる体裁としては、君主に戒め恐れる心を起こさせることが要なのだから、どうしてこの章をわざわざ削り去る必要があろうか。

解説

この章は昔から、臣下が君主を廃する口実になるとして危険視され、削るべきだという議論もありました。松陰はこれに答えて、孟子の「伊尹の志あれば可なり」の一語で尽きていると言います。私心が一点もなく、天地にも後世にも恥じない志があって初めて許されることで、曹操や司馬懿のように私欲で事を行えば奸雄として永く汚名を残す。そして、そういう臣が出るのは君主の罪であり恥だと、矛先を君主に向けます。大きな権限は私心のなさと引き換えだという考えは、今の経営者や幹部にも通じます。

この章句が説くこと

私心伊尹権道志諫言

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る