講孟余話 / 公孫丑上 第九章
此篇首章王タルノ易キヲ云、管晏ヲ黜ル者ハ、意実ニ孔子ヲ学フニアルナリ、二章ハ上ヲ承テ不動心ヲ言フ、知言養氣ヲ以テ其工夫トス、遂ニ孔子ヲ学フノ意ニ落着ス、三章王覇ヲ弁シ、四章栄辱ヲ論ス、皆首章ノ餘意ヲ発明ス、五章詳ニ仁政ヲ論ス、首章行仁政ノ句ヲ実ニス、六章仁心ノ固有ヲ明ニシ、七章仁ヲ擇ムヲ論シ、並ニ仁政ノ根本トス、八章子路禹大舜ヲ擧テ遙ニ第二章ノ末、群賢聖ヲ列スルノ意ニ照應シ、九章伯夷柳下惠ヲ言テ、君子不由也ニ帰シ、孔子ヲ学フノ意ヲ重ヌ、管晏ノ黜ヘキハ復タ言ヲ待タズ、是上篇ノ文脉也
新字:此篇首章王タルノ易キヲ云、管晏ヲ黜ル者ハ、意実ニ孔子ヲ学フニアルナリ、二章ハ上ヲ承テ不動心ヲ言フ、知言養気ヲ以テ其工夫トス、遂ニ孔子ヲ学フノ意ニ落着ス、三章王覇ヲ弁シ、四章栄辱ヲ論ス、皆首章ノ余意ヲ発明ス、五章詳ニ仁政ヲ論ス、首章行仁政ノ句ヲ実ニス、六章仁心ノ固有ヲ明ニシ、七章仁ヲ択ムヲ論シ、並ニ仁政ノ根本トス、八章子路禹大舜ヲ挙テ遥ニ第二章ノ末、群賢聖ヲ列スルノ意ニ照応シ、九章伯夷柳下恵ヲ言テ、君子不由也ニ帰シ、孔子ヲ学フノ意ヲ重ヌ、管晏ノ黜ヘキハ復タ言ヲ待タズ、是上篇ノ文脉也
書き下し
此の篇、首章王たるの易きを云ふ、管晏を黜くる者は、意実に孔子を学ぶにあるなり。二章は上を承けて不動心を言ふ、知言・養気を以て其の工夫とす、遂に孔子を学ぶの意に落着す。三章王覇を弁じ、四章栄辱を論ず、皆首章の余意を発明す。五章詳かに仁政を論ず、首章「仁政を行ふ」の句を実にす。六章仁心の固有を明かにし、七章仁を択ぶを論じ、並びに仁政の根本とす。八章子路・禹・大舜を挙げて遥かに第二章の末、群賢聖を列するの意に照応し、九章伯夷・柳下恵を言ひて、「君子は由らざるなり」に帰し、孔子を学ぶの意を重ぬ。管晏の黜くべきは復た言を待たず。是れ上篇の文脈なり。
現代語訳
この篇は、首章で王者となることの易しさを言い、管仲・晏子を退けているが、その本意は実は孔子を学ぶことにある。第二章は前を受けて不動心を言い、言葉を知ることと気を養うことをその工夫とし、ついに孔子を学ぶという意に落ち着く。第三章は王道と覇道を区別し、第四章は栄誉と恥辱を論じるが、どれも首章の言い残した意を明らかにしている。第五章は仁政を詳しく論じ、首章の「仁政を行う」の句に中身を与えている。第六章は仁の心がもとから備わっていることを明らかにし、第七章は仁を選ぶことを論じて、ともに仁政の根本としている。第八章は子路・禹・大舜を挙げて、はるかに第二章の終わりで多くの賢人聖人を並べた意に呼応し、第九章は伯夷・柳下恵を言って「君子はどちらにも由らない」に帰着させ、孔子を学ぶという意を重ねている。管仲・晏子を退けるべきことは、もはや言うまでもない。これが公孫丑上篇の文の筋道である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『講孟余話』公孫丑下 末章暗に第十二章「王の以て湯武たるべからざるを識らずんば則ち明らかならざるなり」の意を照らし、孟子固より已に王の湯武たるべからざるを知ると雖も、亦悻々然たる小人の行をなすに忍びずして、心ならず斉に久しかりしとなり。是れ此の篇の大条理なり。但し疑ふべきは、首章天時・地利・人和の論、他の章に於て曾て関係なきを覚ゆ、或は錯簡あらんも未だ知るべからず。
-
『講孟余話』萬章下 末章此の篇首章、伯夷・伊尹・柳下恵・孔子を論ずるは、上篇の舜・禹・啓・益・伊尹・周公・孔子・百里奚を論ずるを承くるなり。第三章友を論ず、第四章交際を論ず、第五章仕を論ず、第六章賢を尊ぶを論ず、第七章諸侯に見えざるを論ず、意皆相承く。第八章一転して、遂に尚友を論ず。末章又一転して、卿を論じ結局とす。条理窺ふべし。但し第二章周制を論ずる者、何の意たるを詳らかにせず。然れども窃かに考ふるに、是れ制度の大略、王政の大要、上章群聖賢の事を論じ終はり、下章孟子自ら処る所を論ずるの中間に、此の章を置くこと、孟子経綸の志茲に存すること知るべし。且つ暗に末章卿を論ずる章と呼応す。
-
『講孟余話』滕文公上 第五章上篇凡そ五章、此の篇王政を論ずること最も詳らかなり。就中第三章は王政の正面なり。第四章は許行の異説を破るなり。而して王政は親に孝するを以て本とす。因りて第二章先づ三年の喪を論じて起こしとし、第五章墨者の異説を破りて結びとす。其の首章に於ては、学問政事皆聖人を以て師とすべきことを論じ、全篇の発端とす。是れ上篇五章の脈絡なり。
-
『講孟余話』公孫丑上 首章功烈彼の如く、其れ卑し。管仲の桓公を助くる、王道を知らずして覇術を行ふと云へり。王覇の弁、孟子以下古今名賢の論備はれり。然れども予も亦一説あり。王道は大学に云ふ如く、格物・致知・誠意・正心・修身・斉家より、治国・平天下に至るの次序を失はぬことなり。覇術は是れに反す。桓公の君たる、内嬖の夫人の如き者数人、又外嬖の豎刁・易牙・開方三子の如き者あり。是れを以て一旦桓公の没する、五公子立つことを争ひ、公の骸骨葬るを得ず、尸腐爛して虫を生ず。数年の間斉国禍乱相継ぎ、寧歳なきに至る。管仲の臣たる、樹して門を塞ぎ、三帰・反坫、皆僭して邦君の為す所を為す。是れを以て言ふに、斉の君臣、九合一匡の功ありと云へども、修身斉家の道に於て一も得る所なし。故に桓公・管仲一たび目を瞑すれば、国事潰敗して復た収むべからず。是れ曾西が管仲の功烈を卑しとする所以なり。
-
『講孟余話』公孫丑下 第十四章孟子初めて王に見えてより、已に去る志あり、故に禄を受けず。是れを以て古人苟も禄を受けざることを知るべし。韓信言へることあり、「人の車に乗る者は人の患を載せ、人の衣を衣る者は人の憂を懐き、人の食を食む者は人の事に死す」と。故に仕へて禄を受くれば、此の身を挙げて君に献ず、君の為に用に供することなかるべけんや。是れ古人禄を受くるの苟もせざる所以なり。今世清平の深沢と、祖先の余恩とに因り、許多の俸禄を賜ひ、其の初めを知らず、其の受くるの苟もすべからざるを知る者少なし。此等の章に於て、宜しく感悟する所あるべし。右下篇凡そ十四章、朱子曰く、「第二章より以下、孟子の出処行実を記すこと詳かなりと為す」。今案ずるに、第二章孟子自ら処する所と時君に望む所見るべし。第三章自ら処するなり。四章時君に望むなり。五章・六章・七章並びに自ら居るなり。八章・九章の間、梁恵王下篇の十章・十一章を加へ、共に四章叙事相承け、燕を伐つの始末甚だ備はる、亦時君に望むなり。以下五章又叙事相承け、斉を去るの始末甚だ備はる、亦自ら処するなり。就中第十三章、尽心下篇の末章と大意同じうして文少しく省くのみ。是れ孟子深慨の在る所にして、此の篇記す所の出処行実を結ぶなり。
-
『講孟余話』公孫丑上 第五章此の章仁政を論ずること甚だ詳かなり。大意、天下の士・商旅・農民皆我が国を慕ひ来る如くする事なり。五者の中尤も要とする所は、又士の其の朝に立つことを願ふ如くするに在り、故に此の条を以て第一に置くなり。政に任ずる者、胸に手を措きて思惟すべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る