講孟余話 / 萬章下 末章
貴戚ノ卿、異姓ノ卿、皆國ノ大臣ナリ、大臣ニ貴フ所ハ、才ニ非ス学ニ非ス、但大識見大果断大度量アリテ、シカモ國家ノ得失ヲ憂フルコト、我家ヲ憂ル如クナルニアリ、則易位ト則去ト皆大權ニテ、殊ニ我國今日ニ在テ論スヘキコトニハ非レトモ、國家ノ得失ヲ以テ度外ニ措キ、秦人ノ越人ノ肥瘠ヲ見ル如キノ大臣ニ比セハ、何ソ其霄壤雲泥ナルヤ、註ニ云ク、三仁貴戚、不能行之於紂、而霍光異姓、乃能行之於昌邑、此又委任權力之不同、不可以執一論也、此說甚タ當レリ、伊尹異姓ニメ太甲ヲ放チ、劉向同姓ニシテ權臣サヘ制スルコト能ハス、是皆委任權力之不同ナリ、宋ノ壽皇孝宗崩シテ、光宗疾病、喪ヲ執ルコト能ハス、趙汝愚同姓ノ臣ニシテ、嘉王ヲ引キ位ニ即ク卽チ寧宗ナリ是同姓ノ臣ニシテ同姓ノ事ヲ行フナリ、要之大臣タル者ハ、貴戚異姓ニ限ラズ、國家ヲ憂フルコト如此ナルヘシ、
新字:貴戚ノ卿、異姓ノ卿、皆国ノ大臣ナリ、大臣ニ貴フ所ハ、才ニ非ス学ニ非ス、但大識見大果断大度量アリテ、シカモ国家ノ得失ヲ憂フルコト、我家ヲ憂ル如クナルニアリ、則易位ト則去ト皆大権ニテ、殊ニ我国今日ニ在テ論スヘキコトニハ非レトモ、国家ノ得失ヲ以テ度外ニ措キ、秦人ノ越人ノ肥瘠ヲ見ル如キノ大臣ニ比セハ、何ソ其霄壤雲泥ナルヤ、註ニ云ク、三仁貴戚、不能行之於紂、而霍光異姓、乃能行之於昌邑、此又委任権力之不同、不可以執一論也、此説甚タ当レリ、伊尹異姓ニメ太甲ヲ放チ、劉向同姓ニシテ権臣サヘ制スルコト能ハス、是皆委任権力之不同ナリ、宋ノ寿皇孝宗崩シテ、光宗疾病、喪ヲ執ルコト能ハス、趙汝愚同姓ノ臣ニシテ、嘉王ヲ引キ位ニ即ク即チ寧宗ナリ是同姓ノ臣ニシテ同姓ノ事ヲ行フナリ、要之大臣タル者ハ、貴戚異姓ニ限ラズ、国家ヲ憂フルコト如此ナルヘシ、
書き下し
貴戚の卿、異姓の卿、皆国の大臣なり。大臣に貴ぶ所は、才に非ず学に非ず、但だ大識見・大果断・大度量ありて、しかも国家の得失を憂ふること、我が家を憂ふる如くなるにあり。「則ち位を易ふ」と「則ち去る」と皆大権にて、殊に我が国今日に在りて論ずべきことには非ざれども、国家の得失を以て度外に措き、秦人の越人の肥瘠を見る如きの大臣に比せば、何ぞ其の霄壌雲泥なるや。註に云く、「三仁は貴戚なれども、之を紂に行ふこと能はず、而して霍光は異姓なれども、乃ち能く之を昌邑に行ふ。此れ又委任権力の同じからざるにして、一を執りて論ずべからざるなり」と。此の説甚だ当たれり。伊尹異姓にして太甲を放ち、劉向同姓にして権臣さへ制すること能はず、是れ皆委任権力の同じからざるなり。宋の寿皇(孝宗)崩じて、光宗疾病、喪を執ること能はず、趙汝愚同姓の臣にして、嘉王を引きて位に即く(即ち寧宗なり)、是れ同姓の臣にして同姓の事を行ふなり。之を要するに大臣たる者は、貴戚異姓に限らず、国家を憂ふること此くの如くなるべし。
現代語訳
君主の一族である卿も、異姓の卿も、みな国の大臣である。大臣に尊ばれるのは才能でも学問でもない。ただ大きな見識、大きな決断力、大きな度量があって、しかも国家の得失を、自分の家のことを憂えるように憂えることにある。(君主に大過があって諫めても聞かれないとき、一族の卿は)「君主の位を替える」、(異姓の卿は)「去る」というのは、どちらも非常の大権であって、とくにわが国の今日に論じるべきことではないが、国家の得失を度外視して、秦の人が遠い越の人の肥え痩せを眺めるように無関心な大臣と比べれば、なんと天と地、雲と泥ほどの違いであろう。朱子の注に「殷の三人の仁者は王族でありながら紂王に対してこれを行えず、霍光は異姓でありながら昌邑王に対してこれを行えた。これは委ねられた権力が違うからで、一つの原則に固執して論じてはならない」とある。この説はたいへん当たっている。伊尹は異姓でありながら太甲を追放し、劉向は同姓でありながら権臣さえ抑えられなかった。これはみな委ねられた権力が違うからである。宋の寿皇(孝宗)が亡くなったとき、光宗が病で喪を執り行うことができず、同姓の臣である趙汝愚が嘉王を擁して即位させた(これが寧宗である)。これは同姓の臣が同姓の事を行った例である。要するに大臣たる者は、王族か異姓かを問わず、このように国家を憂えるべきである。
解説
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