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講孟余話 / 萬章下 第五章

位卑而言高罪也、立乎人之本朝、而道不行耻也、或問フ、罪ト耻ト執レカ重キ、曰ク、罪ハ身ニアリ、耻ハ心ニアリ、身ニアルノ罪ハ輕ク、心ニアルノ耻ハ重シ、今草茅韋布ノ士、妄ニ朝政ヲ論議シ官吏ヲ誹謗スルハ、分ヲ越ヘ職ヲ踰ユルノ罪、固ヨリ恕スヘカラス、然トモ其心ヲ尋ル時ハ、或ハ國家ヲ憂ヒ、或ハ道義ヲ明ニスル如キ、深ク咎ムヘキニ非ス、唯其己ノ田ヲ去テ人ノ田ヲ芸リ、己ノ短ヲ措テ人ノ短ヲ刺ル如キ罪トスルノミ、耻ハ吾心ニアルコトニテ、尊位ヲ汙シ富祿ヲ糜シテ、道ヲ行フコト能ハスンハ、何ノ面目カアラン、類ヲ充テ義ノ盡ルニ至レハ、即盜ト云ヘシ、且罪ト云者ハ、外ニ顯ル如シト云トモ其一身ニ止ル、耻ト云ニ至テハ、心ニ在ト云トモ、其害君民ニ及フ、然レハ罪耻ノ輕重云ハスシテ知ルヘシ

新字:位卑而言高罪也、立乎人之本朝、而道不行耻也、或問フ、罪ト耻ト執レカ重キ、曰ク、罪ハ身ニアリ、耻ハ心ニアリ、身ニアルノ罪ハ軽ク、心ニアルノ耻ハ重シ、今草茅韋布ノ士、妄ニ朝政ヲ論議シ官吏ヲ誹謗スルハ、分ヲ越ヘ職ヲ踰ユルノ罪、固ヨリ恕スヘカラス、然トモ其心ヲ尋ル時ハ、或ハ国家ヲ憂ヒ、或ハ道義ヲ明ニスル如キ、深ク咎ムヘキニ非ス、唯其己ノ田ヲ去テ人ノ田ヲ芸リ、己ノ短ヲ措テ人ノ短ヲ刺ル如キ罪トスルノミ、耻ハ吾心ニアルコトニテ、尊位ヲ汚シ富禄ヲ糜シテ、道ヲ行フコト能ハスンハ、何ノ面目カアラン、類ヲ充テ義ノ尽ルニ至レハ、即盗ト云ヘシ、且罪ト云者ハ、外ニ顕ル如シト云トモ其一身ニ止ル、耻ト云ニ至テハ、心ニ在ト云トモ、其害君民ニ及フ、然レハ罪耻ノ軽重云ハスシテ知ルヘシ

書き下し

「位卑しくして言高きは罪なり。人の本朝に立ちて道行はれざるは恥なり」。或ひと問ふ、罪と恥と孰れか重き。曰く、罪は身にあり、恥は心にあり。身にあるの罪は軽く、心にあるの恥は重し。今草茅韋布の士、妄りに朝政を論議し官吏を誹謗するは、分を越え職を踰ゆるの罪、固より恕すべからず。然れども其の心を尋ぬる時は、或は国家を憂ひ、或は道義を明らかにする如き、深く咎むべきに非ず。唯其の己の田を去りて人の田を芸り、己の短を措きて人の短を刺る如き罪とするのみ。恥は吾が心にあることにて、尊位を汚し富禄を糜して、道を行ふこと能はずんば、何の面目かあらん。類を充てて義の尽くるに至れば、即ち盗と云ふべし。且つ罪と云ふ者は、外に顕るる如しと云へども其の一身に止まる。恥と云ふに至りては、心に在りと云へども、其の害君民に及ぶ。然れば罪恥の軽重云はずして知るべし。

現代語訳

「低い地位にいて高い政治を論じるのは罪である。人の朝廷に立ちながら道が行われないのは恥である」。ある人が問うた。罪と恥とはどちらが重いのか。答えて言う。罪は身にあり、恥は心にある。身にある罪は軽く、心にある恥は重い。今、野にある無位無官の士がみだりに朝廷の政治を論じ役人を誹謗するのは、分を越え職分を踏み越える罪で、もとより許されない。しかしその心を尋ねれば、国家を憂えていたり、道義を明らかにしようとしていたりで、深く咎めるべきものではない。ただ、自分の田を放って人の田の草を取り、自分の短所をさておいて人の短所を責めるような罪とするだけである。恥は自分の心にあることで、高い位を汚し、多くの俸禄を浪費しながら道を行うことができなければ、何の面目があろうか。その理屈を推し広めて義の尽きるところまで行けば、それはすなわち盗人と言うべきである。また罪というものは、外に現れるようではあっても、その害はその人一身にとどまる。恥となると、心の中にあるようではあっても、その害は君主と民に及ぶ。そうであれば、罪と恥の軽重は言わなくても分かるだろう。

解説

萬章下第五章は、貧しさのために仕えるなら低い職にとどまるべきで、低い位で高い議論をするのは罪、朝廷に立って道を行えないのは恥だと説きます。囚われの身で政治を論じ続けた松陰は、この「罪」を自分に引き受けたうえで、恥のほうがずっと重いと言います。分を越えた発言の罪は身一つにとどまるが、高い地位にいて何もしない恥は君主と民を損なうからです。高禄を食んで道を行わない者は盗人だとまで言い切ります。地位や報酬に見合う働きをしているかを、立場ある人に鋭く問いかける一節です。

この章句が説くこと

罪恥職責分限責任

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