呻吟語 / 内篇・修身・食功に浮かぶを君子は恥づ
古之居民上者,治一邑則任一邑之重,治一郡則任一郡之重,治天下則任天下之重。朝夕思慮其事,日夜經紀其務。一物失所,不遑安席;一事失理,不遑安食。限於才者求盡吾心,限於勢者求滿吾分,不愧於君之付托、民之仰望,然後食君之祿,享民之奉,泰然無所歉,反焉無所傀。否則是食浮於功也,君子恥之。
新字:古之居民上者,治一邑則任一邑之重,治一郡則任一郡之重,治天下則任天下之重。朝夕思慮其事,日夜経紀其務。一物失所,不遑安席;一事失理,不遑安食。限於才者求尽吾心,限於勢者求満吾分,不愧於君之付托、民之仰望,然後食君之禄,享民之奉,泰然無所歉,反焉無所傀。否則是食浮於功也,君子恥之。
書き下し
古の民の上に居る者は、一邑を治むれば則ち一邑の重きに任じ、一郡を治むれば則ち一郡の重きに任じ、天下を治むれば則ち天下の重きに任ず。朝夕其の事を思慮し、日夜其の務めを經紀す。一物所を失へば、席に安んずるに遑あらず。一事理を失へば、食に安んずるに遑あらず。才に限らるる者は吾が心を盡くさんことを求め、勢に限らるる者は吾が分を滿たさんことを求む。否らざれば是れ食功に浮かぶなり、君子之を恥づ。
現代語訳
昔の民の上に立つ者は、一つの邑を治めればその重さを引き受け、一つの郡を治めればその重さを引き受け、天下を治めれば天下の重さを引き受けました。朝も夕もその事を思い、昼も夜もその務めを整えました。一つの物が場所を失えば席に落ち着けず、一つの事が筋を失えば食事も喉を通りません。才に限りがある者は心を尽くそうとし、勢いに限りがある者は自分の分を満たそうとします。そうでなければ、受け取るものが働きを上回っているのであって、君子はそれを恥じます。
解説

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