講孟余話 / 萬章下 第四章
然トモ是賢人以下ノ及ヒ易キ所ニ非ス、柳宗元ノ王伾王叔文ニ身ヲ失フ如キ、古今多キコトナレハ、賢人以下ニテハ、此等ノ処尤モ愼ヲ致スヘシ、已ニ其贈餽ヲ受ケ、又其汲引ヲ受クレハ、他日其人傲縱ノ事アリテモ、直論面折スルコト難ク、或ハ曲從シテ早晩トナク其黨類ニ陷ルコトアル者ナリ、是庸俗ノ論ナリ、然トモ人情相遠カラス、善ク此境域ヲ脫離スル人ハ、正直剛明ノ人ニ非サレハ難トス、反省シテ知ルヘシ、涅シテ緇セス、磨シテ磷セサルノ操、我ニ存スルニ非レハ、必ス和光同塵、誹ヲ清議ニ受ルナリ、聖人ハ徒ニ緇セス磷セサルノミナラス、過ル所ノ者ハ化スルトテ、權勢ノ人モ聖人ニ對シテハ、自ラ羞愧シテ良心ヲ發シ、敢テ不義ノ事ヲ以テ汙染セス、故ニ己レ聖人ナレハ、決シテ身ヲ失フノ恐レナシ、若シ未タ是ニ及ハスシテ、妄ニ是ヲ学ハントスレハ、所謂鵜ノ眞似ヲスル烏ニテ危キコトナリ、
新字:然トモ是賢人以下ノ及ヒ易キ所ニ非ス、柳宗元ノ王伾王叔文ニ身ヲ失フ如キ、古今多キコトナレハ、賢人以下ニテハ、此等ノ処尤モ慎ヲ致スヘシ、已ニ其贈餽ヲ受ケ、又其汲引ヲ受クレハ、他日其人傲縦ノ事アリテモ、直論面折スルコト難ク、或ハ曲従シテ早晩トナク其党類ニ陥ルコトアル者ナリ、是庸俗ノ論ナリ、然トモ人情相遠カラス、善ク此境域ヲ脱離スル人ハ、正直剛明ノ人ニ非サレハ難トス、反省シテ知ルヘシ、涅シテ緇セス、磨シテ磷セサルノ操、我ニ存スルニ非レハ、必ス和光同塵、誹ヲ清議ニ受ルナリ、聖人ハ徒ニ緇セス磷セサルノミナラス、過ル所ノ者ハ化スルトテ、権勢ノ人モ聖人ニ対シテハ、自ラ羞愧シテ良心ヲ発シ、敢テ不義ノ事ヲ以テ汚染セス、故ニ己レ聖人ナレハ、決シテ身ヲ失フノ恐レナシ、若シ未タ是ニ及ハスシテ、妄ニ是ヲ学ハントスレハ、所謂鵜ノ真似ヲスル烏ニテ危キコトナリ、
書き下し
然れども是れ賢人以下の及び易き所に非ず。柳宗元の王伾・王叔文に身を失ふ如き、古今多きことなれば、賢人以下にては、此等の処尤も慎みを致すべし。已に其の贈餽を受け、又其の汲引を受くれば、他日其の人傲縦の事ありても、直論面折すること難く、或は曲従して早晩となく其の党類に陥ることある者なり。是れ庸俗の論なり。然れども人情相遠からず、善く此の境域を脱離する人は、正直剛明の人に非ざれば難しとす。反省して知るべし。涅して緇せず、磨して磷せざるの操、我に存するに非ざれば、必ず和光同塵、誹りを清議に受くるなり。聖人は徒らに緇せず磷せざるのみならず、過ぐる所の者は化するとて、権勢の人も聖人に対しては、自ら羞愧して良心を発し、敢へて不義の事を以て汚染せず。故に己れ聖人なれば、決して身を失ふの恐れなし。若し未だ是に及ばずして、妄りに是を学ばんとすれば、所謂鵜の真似をする烏にて危きことなり。
現代語訳
しかし、これは賢人以下の者が容易に及べるところではない。柳宗元が王伾・王叔文の一派に加わって身を誤ったようなことは、昔から今まで多いのだから、賢人以下の者は、こうしたところにとりわけ慎重であるべきだ。いったん贈り物を受け、引き立てを受ければ、後日その人が傲慢で勝手なふるまいをしても、面と向かってまっすぐ諫めることは難しく、あるいは言いなりになって、いつのまにかその一派に落ちてしまうものである。これは世俗の平凡な議論である。しかし人情はそれほど違わないもので、この境地からうまく抜け出せるのは、正直で剛く明らかな人でなければ難しい。自分を省みれば分かるだろう。黒く染めても黒くならず、磨いても薄くならない操が自分の内になければ、必ず世俗に交じって光を和らげ、清い議論から非難を受けることになる。聖人はただ染まらず薄くならないだけでなく、通り過ぎるところの人はみな感化されるといわれるように、権勢のある人も聖人の前ではおのずから恥じて良心を起こし、あえて不義によって汚そうとはしない。だから自分が聖人であれば、決して身を誤る恐れはない。もしまだそこに及ばないのに、むやみにこれを真似しようとすれば、いわゆる鵜の真似をする烏で、危ないことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・公冶長篇子曰く、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十但しさやうの人は我心よきまゝに大略の人をあさくみて自慢の意地ある者なり、とてもの儀に慢気なくして、年增をばうやまい、年おとりを引きたて、同年をばたがひにうちとけ、其中によく近づく人のたらぬ事ある共よく異見を仕り、惣別人も我もよきやうにと存知、少しもへつらふたる儀いでば、心に心を耻る人は何に付けても大きにほめたる事なりといふて、
-
葉隠・聞書第一若き時分、残念記と名づけて、その日その日の誤りを書き付けて見たるに、二十・三十なき日はなし。果てもなく候。今にも一日の事を寝てから案じて見れば、言ひそこなひ、仕そこなひのなき日はなし。さても成らぬものなり。利発任せにする人は、了簡(りょうけん)に及ばざることなり。
-
説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
-
人物志・釋爭若し彼賢にして我が前に処らば、則ち我が徳の未だ至らざるなり。
-
『呻吟語』序・予は乃ち九たび臂を折れり予小子、生まれながらにして昏弱にして病を善くす。病む時に呻吟し、輒ち苦しむ所を志して以て自ら恨みて曰く、「疾を慎み、復た病むこと無かれ」と。已にして慎まず、又復た病めば、輒ち又之を志す。蓋し世の病、備さに經たれば、勝げて志す可からず。一病數〻經るも、竟に懲るる能はず。語に曰く、「三たび肱を折りて良醫と成る」と。予は乃ち九たび臂を折れり。㽸痼年年、呻吟猶ほ昨のごとし。嗟嗟、多病なれば完き身無く、久病なれば完き氣無し。予奄奄として視息す、而るに人ならんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る