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講孟余話 / 萬章下 第三章

友也者、友其德也、此一句是全章ノ骨子ニシテ、遂ニ百乘之家小國之君大國之君ヨリ天子ニ至ル迄、匹夫ヲ友トスルヲ論スルナリ、今ノ王公貴人誰カ此章ヲ讀サラン、而シテ其能ク匹夫ヲ友トスル、吾未タ是ヲ聞カス、享保正德ノ際、諸侯駕ヲ枉ケ陋巷ノ賢者ヲ顧ミラレタルコト、猶或ハコレアルヨシ、今ハ則其風断々乎トシテ地ヲ掃ヘリ、近頃安中侯賢ニシテ文学ヲ好ム、曾テ幕府ノ小普請羽倉某ヲ訪ハント欲ス、已ニシテ其事果サスト聞ク、假令其事果ストモ、吾恐クハ晋ノ平公ノ亥唐ニ於ケルニ過サルヘシ、然ラハ則果スト果サヽルト、素ヨリ大關係ナキノミ、

新字:友也者、友其徳也、此一句是全章ノ骨子ニシテ、遂ニ百乗之家小国之君大国之君ヨリ天子ニ至ル迄、匹夫ヲ友トスルヲ論スルナリ、今ノ王公貴人誰カ此章ヲ読サラン、而シテ其能ク匹夫ヲ友トスル、吾未タ是ヲ聞カス、享保正徳ノ際、諸侯駕ヲ枉ケ陋巷ノ賢者ヲ顧ミラレタルコト、猶或ハコレアルヨシ、今ハ則其風断々乎トシテ地ヲ掃ヘリ、近頃安中侯賢ニシテ文学ヲ好ム、曽テ幕府ノ小普請羽倉某ヲ訪ハント欲ス、已ニシテ其事果サスト聞ク、仮令其事果ストモ、吾恐クハ晋ノ平公ノ亥唐ニ於ケルニ過サルヘシ、然ラハ則果スト果サヽルト、素ヨリ大関係ナキノミ、

書き下し

「友とは其の徳を友とするなり」。此の一句是れ全章の骨子にして、遂に百乗の家・小国の君・大国の君より天子に至るまで、匹夫を友とするを論ずるなり。今の王公貴人誰か此の章を読まざらん、而して其の能く匹夫を友とする、吾未だ是を聞かず。享保・正徳の際、諸侯駕を枉げ陋巷の賢者を顧みられたること、猶或いはこれあるよし。今は則ち其の風断々乎として地を掃へり。近頃安中侯賢にして文学を好む、曾て幕府の小普請羽倉某を訪はんと欲す。已にして其の事果たさずと聞く。仮令其の事果たすとも、吾恐らくは晋の平公の亥唐に於けるに過ぎざるべし。然らば則ち果たすと果たさざると、素より大関係なきのみ。

現代語訳

「友とは、その人の徳を友とすることである」。この一句がこの章全体の骨子で、百乗の兵車を持つ家、小国の君、大国の君から天子に至るまで、身分の低い者を友とすることを論じている。今の王侯貴人で誰がこの章を読まないだろうか。しかし実際に身分の低い者を友としているという話は、私はまだ聞いたことがない。享保・正徳のころには、諸侯が駕籠を回して裏町の賢者を訪ねることも、まだいくらかはあったという。今ではその風はきっぱりと地を払ったように消えた。近ごろ安中侯は賢明で学問を好み、幕府の小普請の羽倉某を訪ねようとしたが、結局果たさなかったと聞く。たとえ果たしたとしても、私の思うに、晋の平公が賢者の亥唐に対した程度にすぎないだろう。それなら果たそうが果たすまいが、もともと大した違いはない。

解説

萬章下第三章は「友とは其の徳を友とするなり」と言い、王侯が身分を忘れて賢者と交わるべきことを説きます。孟子は、晋の平公が賢者亥唐を訪ねても、ともに位や職を分かち合わなかったから、それは王公が賢者を尊ぶやり方ではないと言いました。松陰はこれを当時の大名に重ね、学問好きの安中藩主が幕臣を訪ねようとして果たさなかった話を引いて、訪ねたとしても形だけなら意味がないと言います。地位のある人が誰と本気で交わっているかを問う、厳しい目です。

この章句が説くこと

友道徳身分賢者交際

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