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講孟余話 / 萬章下 第三章

吾亦曾テ竊カニ人ニ聞クコトアリ、一侍御吾君公ノ爲メニ某侯其儒臣ヲ親愛シ、是ヲ待ツニ礼節ニ拘ラサルヲ以テスルヨシヲ語ル、其意盖シ君公ノ溫言和顏ニシテ、臣下ヲ親ムコト股肱心腹ノ如クシ給フヲ願フテ云云スルナリ、而シテ君公乃チ色ヲ正フシテ曰ク、彼輩某々二侯ヲ指シ給フ、禮儀ノ何物タルヲ知ラス、侮慢自ラ賢トス、殆ント吾徒ニ非ス、人君ノ臣下ヲ待ツ自ラ礼節アリ豈狎褻ヲ以テ親愛トセンヤト、是ニ於テ侍御慚服シテ退ソク、吾常ニ謂ラク、人君ノ臣下ヲ待ツヤ、礼節ヲ棄ル固ヨリ非ナリ、然レトモ礼節ニ拘ルモ亦非ナリ、已ニ王公ノ賢ヲ尊フヲ知リ、又貴ヲ貴ヒ賢ヲ尊フ其義一ナルヲ知ラハ、思ヒ半ニ過キン、君公固ヨリ賢明、又学ヲ好ミ道ヲ信ス、何ソ此章ヲ以テ君公ノ爲ニ誦セサル、吾已ニ侍御ノ忠思アルヲ感シ、更ニ其聖学ナキヲ惜ム、又吾師平象山常ニ云ク、昔者樂翁公白川侍從松平定信執政タル時ハ、常ニ布衣韋帶ノ士ヲ引見スト聞ク、今天下如何ナル時ソヤ、而シテ執政高シテ驕リ、貴シテ矜リ、敢テ天下ノ賢ニ下ルコトヲセス、天下ノ事知ルヘキノミト、眞ニ知言ナルカナ、余講シテ此章ニ至リ盖シ三復流涕ス

新字:吾亦曽テ窃カニ人ニ聞クコトアリ、一侍御吾君公ノ為メニ某侯其儒臣ヲ親愛シ、是ヲ待ツニ礼節ニ拘ラサルヲ以テスルヨシヲ語ル、其意盖シ君公ノ温言和顔ニシテ、臣下ヲ親ムコト股肱心腹ノ如クシ給フヲ願フテ云云スルナリ、而シテ君公乃チ色ヲ正フシテ曰ク、彼輩某々二侯ヲ指シ給フ、礼儀ノ何物タルヲ知ラス、侮慢自ラ賢トス、殆ント吾徒ニ非ス、人君ノ臣下ヲ待ツ自ラ礼節アリ豈狎褻ヲ以テ親愛トセンヤト、是ニ於テ侍御慚服シテ退ソク、吾常ニ謂ラク、人君ノ臣下ヲ待ツヤ、礼節ヲ棄ル固ヨリ非ナリ、然レトモ礼節ニ拘ルモ亦非ナリ、已ニ王公ノ賢ヲ尊フヲ知リ、又貴ヲ貴ヒ賢ヲ尊フ其義一ナルヲ知ラハ、思ヒ半ニ過キン、君公固ヨリ賢明、又学ヲ好ミ道ヲ信ス、何ソ此章ヲ以テ君公ノ為ニ誦セサル、吾已ニ侍御ノ忠思アルヲ感シ、更ニ其聖学ナキヲ惜ム、又吾師平象山常ニ云ク、昔者楽翁公白川侍従松平定信執政タル時ハ、常ニ布衣韋帯ノ士ヲ引見スト聞ク、今天下如何ナル時ソヤ、而シテ執政高シテ驕リ、貴シテ矜リ、敢テ天下ノ賢ニ下ルコトヲセス、天下ノ事知ルヘキノミト、真ニ知言ナルカナ、余講シテ此章ニ至リ盖シ三復流涕ス

書き下し

吾亦曾て窃かに人に聞くことあり。一侍御、吾が君公の為めに、某侯其の儒臣を親愛し、是を待つに礼節に拘らざるを以てするよしを語る。其の意蓋し君公の温言和顔にして、臣下を親しむこと股肱心腹の如くし給ふを願ふて云云するなり。而して君公乃ち色を正しうして曰く、「彼の輩(某々二侯を指し給ふ)、礼儀の何物たるを知らず、侮慢自ら賢とす、殆んど吾が徒に非ず。人君の臣下を待つ自ら礼節あり、豈に狎褻を以て親愛とせんや」と。是に於て侍御慚服して退く。吾常に謂へらく、人君の臣下を待つや、礼節を棄つる固より非なり。然れども礼節に拘はるも亦非なり。已に王公の賢を尊ぶを知り、又貴を貴び賢を尊ぶ其の義一なるを知らば、思ひ半ばに過ぎん。君公固より賢明、又学を好み道を信ず、何ぞ此の章を以て君公の為めに誦せざる。吾已に侍御の忠思あるを感じ、更に其の聖学なきを惜しむ。又吾が師平象山常に云く、「昔者楽翁公(白川侍従松平定信)執政たる時は、常に布衣韋帯の士を引見すと聞く。今天下如何なる時ぞや、而して執政高くして驕り、貴くして矜り、敢へて天下の賢に下ることをせず。天下の事知るべきのみ」と。真に知言なるかな。余講じて此の章に至り、蓋し三復流涕す。

現代語訳

私はまた以前、ひそかに人から聞いたことがある。ある側近が、わが藩主のために、某藩主が儒臣を親しく愛し、礼節にこだわらずに遇していると話した。その意図は、殿にも穏やかな言葉と和やかな顔で、家臣を手足や腹心のように親しんでいただきたいと願って申し上げたのだろう。すると殿は顔色を正して言われた。「あの者たち(某々の二人の藩主を指された)は、礼儀がどういうものかを知らず、人を侮って自分を賢いと思っている。ほとんど私の仲間ではない。君主が臣下を遇するにはおのずから礼節がある。どうしてなれなれしさを親愛とするだろうか」。そこで側近は恥じ入って退いた。私は常々こう思う。君主が臣下を遇するのに礼節を捨てるのはもとより誤りだ。しかし礼節にこだわるのもまた誤りである。王公が賢者を尊ぶべきことを知り、また身分ある者を尊ぶことと賢者を尊ぶことがその意味で一つであると知るなら、思い半ばに過ぎるだろう。殿はもとより賢明で、学問を好み道を信じておられる。どうしてこの章を殿のために誦んじてさしあげなかったのか。私は側近の忠義の思いに感じ入ると同時に、その人に聖人の学問がないことを惜しむ。また、わが師佐久間象山はいつも言っていた。「昔、楽翁公(白河侍従松平定信)が政務を執っていたときは、いつも無位無官の士を引見したと聞く。今、天下はどのような時か。それなのに執政たちは高い地位におごり、身分を誇り、あえて天下の賢者にへりくだろうとしない。天下のことは先が知れている」。まことに道理を知った言葉である。私はこの章を講じるに至り、三たび繰り返して涙を流した。

解説

後半は長州藩の内輪の話です。側近が藩主に、他藩の藩主のように儒臣と親しく交わってほしいと勧めたところ、藩主はなれなれしさは親愛ではないと退けました。松陰は、礼節を捨てるのも礼節に縛られるのも誤りだと言い、側近の忠心を認めつつ、孟子の学がないためにうまく伝えられなかったことを惜しみます。師の佐久間象山が嘆いた、松平定信は無位の士にも会ったのに今の執政は賢者にへりくだらない、という言葉も添えられています。上に立つ人が下の知恵を聞く回路を持てるかどうかは、今も組織の盛衰を左右します。

この章句が説くこと

礼節君臣佐久間象山松平定信謙虚

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