講孟余話 / 萬章下 第二章
扨周室ノ制、其詳ヲ知リ難シト云トモ、吾常ニ周制ニ就テ深ク感スル所アリ、其天子公侯伯子男ヲ五等トシ、君卿大夫上士中士下士ヲ六等トス、周制每事斯ノ如シ、籍田ノ禮葬月ノ數ノ類、惣テ皆然リ、其意盖シ謂ラク、天子ト云ハ公侯ヨリ一等ヲ尊スルノミ、君ト云ハ卿大夫ヨリ一等ヲ高フスルノミ、故ニ三代ノ時ハ人君敢テ高崇ヲ以テ人ニ矜伐セス、恭謙ニシテ下ヲ待ツ禮アリ、是ヲ以テ國家和睦ナリ、春秋戰國ノ間、人君ノ威德日ニ薄ク、臣下日ニ驕リ、終ニ田氏齊ヲ簒ヒ、韓魏趙晋ヲ奪フ如キニ至リ、其終リ君臣ノ禮全ク廃ス、故ニ秦興テ天子トナリ、君臣ノ大分ヲ定ム、積弊ヲ一時ニ改メ、愉快ヲ目前ニ取ルト云トモ、是ヨリシテ三代ノ美意絶テ存セス、以テ今ニ至ル、惜ムヘキノ甚シキナリ、
新字:扨周室ノ制、其詳ヲ知リ難シト云トモ、吾常ニ周制ニ就テ深ク感スル所アリ、其天子公侯伯子男ヲ五等トシ、君卿大夫上士中士下士ヲ六等トス、周制毎事斯ノ如シ、籍田ノ礼葬月ノ数ノ類、惣テ皆然リ、其意盖シ謂ラク、天子ト云ハ公侯ヨリ一等ヲ尊スルノミ、君ト云ハ卿大夫ヨリ一等ヲ高フスルノミ、故ニ三代ノ時ハ人君敢テ高崇ヲ以テ人ニ矜伐セス、恭謙ニシテ下ヲ待ツ礼アリ、是ヲ以テ国家和睦ナリ、春秋戦国ノ間、人君ノ威徳日ニ薄ク、臣下日ニ驕リ、終ニ田氏斉ヲ簒ヒ、韓魏趙晋ヲ奪フ如キニ至リ、其終リ君臣ノ礼全ク廃ス、故ニ秦興テ天子トナリ、君臣ノ大分ヲ定ム、積弊ヲ一時ニ改メ、愉快ヲ目前ニ取ルト云トモ、是ヨリシテ三代ノ美意絶テ存セス、以テ今ニ至ル、惜ムヘキノ甚シキナリ、
書き下し
扨て周室の制、其の詳を知り難しと云へども、吾常に周制に就きて深く感ずる所あり。其の天子・公・侯・伯・子・男を五等とし、君・卿・大夫・上士・中士・下士を六等とす。周制毎事斯くの如し。籍田の礼、葬月の数の類、総て皆然り。其の意蓋し謂へらく、天子と云ふは公侯より一等を尊くするのみ、君と云ふは卿大夫より一等を高くするのみ。故に三代の時は人君敢へて高崇を以て人に矜伐せず、恭謙にして下を待つ礼あり。是を以て国家和睦なり。春秋戦国の間、人君の威徳日に薄く、臣下日に驕り、終に田氏斉を簒ひ、韓魏趙晋を奪ふ如きに至り、其の終り君臣の礼全く廃す。故に秦興りて天子となり、君臣の大分を定む。積弊を一時に改め、愉快を目前に取ると云へども、是よりして三代の美意絶えて存せず、以て今に至る。惜しむべきの甚しきなり。
現代語訳
さて周王室の制度は、その詳細を知ることは難しいが、私はいつも周の制度について深く感じるところがある。天子・公・侯・伯・子・男を五つの等級とし、君・卿・大夫・上士・中士・下士を六つの等級とした。周の制度はすべてこのようで、天子が自ら耕す籍田の礼や、葬儀までの月数なども、すべてそうである。その意図はおそらく、天子といっても公や侯より一段尊いだけ、君といっても卿や大夫より一段高いだけ、ということだろう。だから夏・殷・周の三代には、君主があえて高い地位を誇って人に威張ることはなく、謙虚に下の者を待遇する礼があった。そのため国家は和やかであった。春秋戦国の時代になると、君主の威徳は日ごとに薄れ、臣下は日ごとに驕り、ついには田氏が斉を奪い、韓・魏・趙が晋を分け取るようなことになって、最後には君臣の礼がまったく廃れた。そこで秦が興って天子となり、君臣の上下の区別を厳しく定めた。積もった弊害を一度に改め、目先の快さは得たが、これ以後、三代の美しい意図は絶えて残らず、今に至っている。まことに惜しいことである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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論語・雍也篇子曰く、孟之反は伐らず。奔りて殿たり。将に門に入らんとして、其の馬に策うちて曰く、『敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり』と。
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