講孟余話 / 萬章上 第二章
孟子ノ謬妄未タ此章ヨリ甚シキハナシ、舜之不告而娶ノ非、已ニ離婁上篇第二十六章ニ於テ是ヲ論ス、此章如告則廢人之大倫、以懟父母ト云、最モ非ナリ、不告而娶ハ父子ノ大倫ヲ廃スルナリ、何ソ唯男女居室ノ大倫ヲ廃スルノミナランヤ、且男女居室ノ大倫ヲ廃シタルトテ、父母ヲ讎怨スル豈孝子ノ心ナランヤ、其謬妄論ヲ待タス、帝亦知告焉則不得妻也ノ非ハ、程子ノ辨スルカ如ク、上ヨリ下ヲ治ムルコトナレハ、何ソ告ルヲ用ヒン、」
新字:孟子ノ謬妄未タ此章ヨリ甚シキハナシ、舜之不告而娶ノ非、已ニ離婁上篇第二十六章ニ於テ是ヲ論ス、此章如告則廃人之大倫、以懟父母ト云、最モ非ナリ、不告而娶ハ父子ノ大倫ヲ廃スルナリ、何ソ唯男女居室ノ大倫ヲ廃スルノミナランヤ、且男女居室ノ大倫ヲ廃シタルトテ、父母ヲ讎怨スル豈孝子ノ心ナランヤ、其謬妄論ヲ待タス、帝亦知告焉則不得妻也ノ非ハ、程子ノ弁スルカ如ク、上ヨリ下ヲ治ムルコトナレハ、何ソ告ルヲ用ヒン、」
書き下し
孟子の謬妄、未だ此の章より甚だしきはなし。舜の告げずして娶るの非、已に離婁上篇第二十六章に於て是れを論ず。此の章「如し告ぐれば則ち人の大倫を廃して、以て父母を懟みん」と云ふ、最も非なり。告げずして娶るは父子の大倫を廃するなり、何ぞ唯だ男女居室の大倫を廃するのみならんや。且つ男女居室の大倫を廃したるとて、父母を讎怨する、豈に孝子の心ならんや。其の謬妄論を待たず。「帝も亦告ぐれば則ち妻するを得ざるを知る」の非は、程子の弁ずるが如く、上より下を治むることなれば、何ぞ告ぐるを用ひん。
現代語訳
孟子の誤りとでたらめで、この章よりひどいものはない。舜が親に告げずに妻を娶ったことの非は、すでに離婁上篇第二十六章で論じた。この章で「もし告げれば人の大きな人倫を廃して、父母を恨むことになる」と言うのは、最も誤っている。告げずに娶ることこそ父子の大きな人倫を廃するのであって、どうして夫婦の大きな人倫を廃することだけを言えようか。しかも夫婦の人倫を廃されたからといって父母を恨むのが、どうして孝子の心であろうか。その誤りは論じるまでもない。「帝堯もまた、告げれば娶らせてもらえないと知っていた」という説の誤りは、程子が論じたとおりで、上の者が下の者を治めるのだから、どうして(瞽瞍に)告げる必要があろうか。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』離婁上 第二十六章且つ娶らずんば舜は誠に後なかるべし。然れども弟象にして後あらば、瞽瞍の血統を絶つに至らず。喩へば大伯・仲雍周を去ると雖も、弟季歴あるを以て大王の血統は絶えざるが如し。故に余謂へらく、舜実に此の事なくして孟子此の論を発せば聖人を誣ゆると云ふべし。舜実に此の事ありて孟子此の論を発せば聖人に阿ると云ふべし。
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