講孟余話 / 離婁上 第二十六章
後ナキハ大不孝トハ雖トモ父母ノ意ニ違フ者亦孝ト云ヘカラス、且舜ノ此事ヲナス時父母ヲ是トシ給フヤ己ヲ是トシ給フヤ、父母ヲ是トシ己ヲ非トセハ己ノ非ヲ以テ父母ノ是ニ違フ不孝亦甚シ、父母ヲ非トシテ己ヲ是トセハ又孝子ノ心ニ非ス、天下無不是底父母、羅仲素ノ語下第二十八章圈外ノ註ニ見ユト云如ク、人子ノ心ニテハ毫末モ父母ヲ不是ト思ワヌコソ孝ト云ヘシ、然レハ舜孝子ナラバ决シテ此事ヲナサズ、若果シテ此事ヲナサハ舜孝子ニ非ス、註范氏曰、若父非瞽瞍、子非大舜、而欲不告而娶、則天下之罪人也、ト然ラハ聖人ノ行ハ凡人ノ模範トナラサルカ、且自ラ舜トシ父ヲ瞽瞍トスルハ天下ノ妄人ナリ、范氏ノ說徒ニ必無ノ事ヲ設テ後人ヲ惑ハシム、其誣罔甚シ、且後ナキヲ大不孝トスルニヨリ告スシテ娶ヲナホ告ルカ如シト云ハヽ、父母ノ命媒妁ノ言ヲ待ズシテ、穴隙ヲ鑚テ相窺ヒ、墻ヲ越テ相從ヒ、父母國人皆是ヲ賤ムルトモ、後アラハ亦孝ト云ヘキカ、東家ノ墻ヲ踰テ其處女ヲ捜テ後アラハ亦孝ト云ヘキカ、是亦不通ノ論ナリ、
新字:後ナキハ大不孝トハ雖トモ父母ノ意ニ違フ者亦孝ト云ヘカラス、且舜ノ此事ヲナス時父母ヲ是トシ給フヤ己ヲ是トシ給フヤ、父母ヲ是トシ己ヲ非トセハ己ノ非ヲ以テ父母ノ是ニ違フ不孝亦甚シ、父母ヲ非トシテ己ヲ是トセハ又孝子ノ心ニ非ス、天下無不是底父母、羅仲素ノ語下第二十八章圏外ノ註ニ見ユト云如ク、人子ノ心ニテハ毫末モ父母ヲ不是ト思ワヌコソ孝ト云ヘシ、然レハ舜孝子ナラバ決シテ此事ヲナサズ、若果シテ此事ヲナサハ舜孝子ニ非ス、註范氏曰、若父非瞽瞍、子非大舜、而欲不告而娶、則天下之罪人也、ト然ラハ聖人ノ行ハ凡人ノ模範トナラサルカ、且自ラ舜トシ父ヲ瞽瞍トスルハ天下ノ妄人ナリ、范氏ノ説徒ニ必無ノ事ヲ設テ後人ヲ惑ハシム、其誣罔甚シ、且後ナキヲ大不孝トスルニヨリ告スシテ娶ヲナホ告ルカ如シト云ハヽ、父母ノ命媒妁ノ言ヲ待ズシテ、穴隙ヲ鑚テ相窺ヒ、墻ヲ越テ相従ヒ、父母国人皆是ヲ賤ムルトモ、後アラハ亦孝ト云ヘキカ、東家ノ墻ヲ踰テ其処女ヲ捜テ後アラハ亦孝ト云ヘキカ、是亦不通ノ論ナリ、
書き下し
後無きは大不孝とは雖も、父母の意に違ふ者亦孝と云ふべからず。且つ舜の此の事をなす時、父母を是とし給ふや、己を是とし給ふや。父母を是とし己を非とせば、己の非を以て父母の是に違ふ、不孝亦甚し。父母を非として己を是とせば、又孝子の心に非ず。「天下に是ならざる底の父母無し」、羅仲素の語、下第二十八章圏外の註に見ゆ、と云ふ如く、人子の心にては毫末も父母を是ならずと思はぬこそ孝と云ふべし。然れば舜孝子ならば決して此の事をなさず。若し果して此の事をなさば舜孝子に非ず。註に范氏曰く、「若し父瞽瞍に非ず、子大舜に非ずして、告げずして娶らんと欲せば、則ち天下の罪人なり」と。然らば聖人の行ひは凡人の模範とならざるか。且つ自ら舜とし、父を瞽瞍とするは天下の妄人なり。范氏の説、徒らに必無の事を設けて後人を惑はしむ、其の誣罔甚し。且つ後無きを大不孝とするにより、告げずして娶るをなほ告ぐるが如しと云はば、父母の命、媒妁の言を待たずして、穴隙を鑽りて相窺ひ、墻を踰えて相従ひ、父母国人皆是れを賤しむるとも、後あらば亦孝と云ふべきか。東家の墻を踰えて其の処女を摟きて後あらば亦孝と云ふべきか。是れ亦不通の論なり。
現代語訳
跡継ぎがないのは大きな不孝だとはいえ、父母の意に背く者もまた孝とはいえない。しかも舜がこれをしたとき、父母を正しいとしたのか、自分を正しいとしたのか。父母を正しいとして自分を誤りとしたなら、自分の誤りで父母の正しさに背くことになり、不孝ははなはだしい。父母を誤りとして自分を正しいとしたなら、それは孝子の心ではない。「天下に正しくない父母はいない」という羅仲素の言葉(下篇第二十八章の圏外の注に見える)のとおり、子の心では少しも父母を正しくないと思わないことこそ孝というべきである。だから舜が孝子であるなら、決してこのことはしない。もし本当にしたのなら、舜は孝子ではない。注に范氏が「もし父が瞽瞍でなく、子が大舜でないのに、告げずに娶ろうとするなら、天下の罪人だ」と言う。それなら聖人の行いは凡人の手本にならないのか。しかも自分を舜とし、父を瞽瞍だとするのは、天下の愚か者である。范氏の説はむやみにありえない場合を設けて後人を惑わせ、そのでたらめはひどい。さらに、跡継ぎがないことを大不孝とするから、告げずに娶っても告げたのと同じだと言うなら、父母の命も仲人の言葉も待たずに、壁の穴をあけてのぞき合い、垣根を越えて駆け落ちし、父母や国中の人に卑しまれても、跡継ぎができれば孝と言うのか。東隣の垣根を越えてその家の娘を連れ出し、跡継ぎができればそれも孝と言うのか。これもまた筋の通らない議論である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』萬章上 第二章孟子の謬妄、未だ此の章より甚だしきはなし。舜の告げずして娶るの非、已に離婁上篇第二十六章に於て是れを論ず。此の章「如し告ぐれば則ち人の大倫を廃して、以て父母を懟みん」と云ふ、最も非なり。告げずして娶るは父子の大倫を廃するなり、何ぞ唯だ男女居室の大倫を廃するのみならんや。且つ男女居室の大倫を廃したるとて、父母を讎怨する、豈に孝子の心ならんや。其の謬妄論を待たず。「帝も亦告ぐれば則ち妻するを得ざるを知る」の非は、程子の弁ずるが如く、上より下を治むることなれば、何ぞ告ぐるを用ひん。
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『講孟余話』離婁上 第二十六章且つ娶らずんば舜は誠に後なかるべし。然れども弟象にして後あらば、瞽瞍の血統を絶つに至らず。喩へば大伯・仲雍周を去ると雖も、弟季歴あるを以て大王の血統は絶えざるが如し。故に余謂へらく、舜実に此の事なくして孟子此の論を発せば聖人を誣ゆると云ふべし。舜実に此の事ありて孟子此の論を発せば聖人に阿ると云ふべし。
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『呻吟語』内篇・應務・事手に到らざれば人を責むること盡く易し今人前輩先達の事を作すに自ら振拔せざるを見て、輒ち歎恨を生ず。知らず、渠我に當たる時にも也た人を歎恨するを會すや否や。我渠に當たる時に能く後人の歎恨を免るや否や。事手に到らざれば、人を責むること盡く易し。君が手に到る時を待ちて、事事努力して輕く放過せざれば便ち好し。只だ嘵嘵として人を責むるに任せば、他日縱ひ歎恨す可き無きも、今日亦た浮薄子なり。
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