講孟余話 / 萬章上 第二章
萬章問フ所完廩浚井ノ二事、盖シ當時ノ俗說、所謂齊東野人ノ語ナル者ニシテ、甚タ人情ニ近カラス、朱註ニ云フ其有無不可知ト、余ハ則チ断シテ其無ヲ知ル、註引ク所史記ノ云云、本文ヲ証スルニ足ラス、恐クハ史遷本文ニ因テ妄作シテ、敷衍スルノミ、詩ニ天命鳦鳥、降而生商ヲ、毛傳ニハ鳦鳥降ヲ以テ郊禖ヲ祀ルノ候トス、而シテ史遷簡狄行浴、見燕墮其卵取呑之因生契ノ說ヲ造リ、履帝武敏ヲ、毛傳ニハ高辛ノ行ニ從フトス、而シテ史遷姜原出野、見巨人跡、忻然踐之、因生稷ノ說ヲ造タルノ類、以上蘇老泉嚳妃論ニ見ユ繆妄斯ノ如キ者遷カ常談、何ソ史記ヲ引テ本文ヲ証スルヲ得ンヤ、」
新字:万章問フ所完廩浚井ノ二事、盖シ当時ノ俗説、所謂斉東野人ノ語ナル者ニシテ、甚タ人情ニ近カラス、朱註ニ云フ其有無不可知ト、余ハ則チ断シテ其無ヲ知ル、註引ク所史記ノ云云、本文ヲ証スルニ足ラス、恐クハ史遷本文ニ因テ妄作シテ、敷衍スルノミ、詩ニ天命鳦鳥、降而生商ヲ、毛伝ニハ鳦鳥降ヲ以テ郊禖ヲ祀ルノ候トス、而シテ史遷簡狄行浴、見燕堕其卵取呑之因生契ノ説ヲ造リ、履帝武敏ヲ、毛伝ニハ高辛ノ行ニ従フトス、而シテ史遷姜原出野、見巨人跡、忻然践之、因生稷ノ説ヲ造タルノ類、以上蘇老泉嚳妃論ニ見ユ繆妄斯ノ如キ者遷カ常談、何ソ史記ヲ引テ本文ヲ証スルヲ得ンヤ、」
書き下し
万章の問ふ所、廩を完くし井を浚ふの二事、蓋し当時の俗説、所謂斉東野人の語なる者にして、甚だ人情に近からず。朱註に云ふ、「其の有無知るべからず」と。余は則ち断じて其の無きを知る。註に引く所の史記の云云、本文を証するに足らず。恐らくは史遷本文に因りて妄作して敷衍するのみ。詩に「天玄鳥に命じ、降りて商を生ましむ」を、毛伝には玄鳥の降るを以て郊禖を祀るの候とす。而して史遷は「簡狄行きて浴し、燕の其の卵を堕すを見、取りて之れを呑み、因りて契を生む」の説を造り、「帝の武の敏を履む」を、毛伝には高辛の行に従ふとす。而して史遷は「姜原野に出で、巨人の跡を見、忻然として之れを践み、因りて稷を生む」の説を造りたるの類、以上蘇老泉の嚳妃論に見ゆ。繆妄斯くの如き者、遷が常談なり、何ぞ史記を引きて本文を証するを得んや。
現代語訳
万章が尋ねた、(舜の父母が)倉の屋根を直させ(火を放ち)、井戸をさらわせ(土で埋め)た、という二つの事は、思うに当時の俗説で、いわゆる斉の東の田舎者の話のたぐいであり、人情に程遠い。朱子の注は「その有無は分からない」と言うが、私は断じてなかったと知っている。注が引く『史記』の記事は、本文を証明するに足りない。おそらく司馬遷が本文をもとにでたらめを作って膨らませただけであろう。『詩経』の「天は玄鳥に命じ、降りて商を生ませた」を、毛伝は玄鳥が来るのを郊禖の祭りの時節としている。ところが司馬遷は「簡狄が水浴びに行き、燕が卵を落とすのを見て、拾って呑み、それで契を生んだ」という話を作った。「帝の足跡の親指を踏んだ」を、毛伝は高辛氏の行いに従ったとしている。ところが司馬遷は「姜原が野に出て巨人の足跡を見、喜んでそれを踏み、それで稷を生んだ」という話を作った。こうした類は、以上蘇老泉の嚳妃論に見える。このようなでたらめは司馬遷のいつもの話であり、どうして『史記』を引いて本文を証明できようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』萬章上 第二章孟子の謬妄、未だ此の章より甚だしきはなし。舜の告げずして娶るの非、已に離婁上篇第二十六章に於て是れを論ず。此の章「如し告ぐれば則ち人の大倫を廃して、以て父母を懟みん」と云ふ、最も非なり。告げずして娶るは父子の大倫を廃するなり、何ぞ唯だ男女居室の大倫を廃するのみならんや。且つ男女居室の大倫を廃したるとて、父母を讎怨する、豈に孝子の心ならんや。其の謬妄論を待たず。「帝も亦告ぐれば則ち妻するを得ざるを知る」の非は、程子の弁ずるが如く、上より下を治むることなれば、何ぞ告ぐるを用ひん。
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『講孟余話』離婁上 第二十六章且つ娶らずんば舜は誠に後なかるべし。然れども弟象にして後あらば、瞽瞍の血統を絶つに至らず。喩へば大伯・仲雍周を去ると雖も、弟季歴あるを以て大王の血統は絶えざるが如し。故に余謂へらく、舜実に此の事なくして孟子此の論を発せば聖人を誣ゆると云ふべし。舜実に此の事ありて孟子此の論を発せば聖人に阿ると云ふべし。
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『講孟余話』離婁上 第二十六章此の論又万章上篇にも見ゆ。舜の告げずして娶り、湯武の桀紂を放伐し、箕子の武王の為めに洪範を陳ぶる如き、箕子は殷の宗室なり、武王は殷の仇敵なり、国亡びて仇敵の為めに法を伝ふるは人臣の義に非ず。先輩浅見絅斎の説に云く、「道の亡びんことを憂へて仇敵に伝ふるは、譬へば書を読み学問がしたしとて人の書籍を盗むに同じ」と云へり。実に正論と云ふべし。其の詳は靖献遺言講義に見ゆ。皆聖人の事にもせよ、後人の法となすべからず。
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孟子・萬章章句上万章問ひて曰く、「詩に云ふ、『妻を娶るは之を如何せん。必ず父母に告ぐ。』と。信に斯の言のごとくならば、宜しく舜に如くは莫かるべし。舜の告げずして娶るは、何ぞや。」孟子曰く、「告ぐれば則ち娶るを得ず。男女室に居るは、人の大倫なり。如し告ぐれば則ち人の大倫を廃して以て父母に懟(うら)みられん、是を以て告げざるなり。」万章曰く、「舜の告げずして娶るは、則ち吾既に命を聞くを得たり。帝の舜に妻(めあは)せて告げざるは、何ぞや。」曰く、「帝も亦た告ぐれば則ち妻すを得ざるを知ればなり。」万章曰く、「父母舜をして廩を完めしめ、階を捐て、瞽瞍廩を焚く。井を浚へしめ、出づれば、従ひて之を掩ふ。象曰く、『都君を蓋ふを謨りしは咸な我が績なり。牛羊は父母、倉廩は父母、干戈は朕、琴は朕、弤は朕、二嫂は朕が棲を治めしめん。』と。象往きて舜の宮に入れば、舜床に在りて琴ひく。象曰く、『鬱陶として君を思ふのみ。』と。忸怩たり。舜曰く、『惟れ茲の臣庶、汝其れ予に于いて治めよ。』と。識らず、舜は象の将に己を殺さんとするを知らざりしか。」曰く、「奚ぞ而ち知らざらんや。象憂ふれば亦た憂へ、象喜べば亦た喜ぶ。」曰く、「然らば則ち舜は偽りて喜ぶ者か。」曰く、「否。昔者生魚を鄭の子産に饋る有り、子産校人をして之を池に畜はしむ。校人之を烹て、反命して曰く、『始め之を舎せば圉圉焉たり、少くして則ち洋洋焉たり、攸然として逝けり。』と。子産曰く、『其の所を得たるかな、其の所を得たるかな。』と。校人出でて、曰く、『孰か子産を智なりと謂ふ。予既に烹て之を食らふに、曰く、「其の所を得たるかな、其の所を得たるかな。」と。』と。故に君子は欺くに其の方を以てすべきも、罔ふるに其の道に非ざるを以てし難し。彼は兄を愛するの道を以て来る、故に誠に信じて之を喜ぶ。奚ぞ偽らんや。」
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『講孟余話』萬章下 末章此の篇首章、伯夷・伊尹・柳下恵・孔子を論ずるは、上篇の舜・禹・啓・益・伊尹・周公・孔子・百里奚を論ずるを承くるなり。第三章友を論ず、第四章交際を論ず、第五章仕を論ず、第六章賢を尊ぶを論ず、第七章諸侯に見えざるを論ず、意皆相承く。第八章一転して、遂に尚友を論ず。末章又一転して、卿を論じ結局とす。条理窺ふべし。但し第二章周制を論ずる者、何の意たるを詳らかにせず。然れども窃かに考ふるに、是れ制度の大略、王政の大要、上章群聖賢の事を論じ終はり、下章孟子自ら処る所を論ずるの中間に、此の章を置くこと、孟子経綸の志茲に存すること知るべし。且つ暗に末章卿を論ずる章と呼応す。
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『講孟余話』盡心下 第三章然れども斯く云ふ時は意義甚だ浅し。且つ詩書周易春秋の如き、未だ疑ふべき者あるを見ず。偶々ありと云へども、字句の末にて大義の関はる所に非ず、雲漢の詩の類なり。或いは読者の拘泥にて本義の謬妄に非ず、武成の如き是れなり。秦漢以来楽書欠亡し、礼書純ならず、故に尽く信ずべからず。然れども孟子の時未だ必ずしも然らず。孟子中弁ずる所の斉東野人の語、好事者の為す所の如き多しと云へども、孟子豈に是等の為めに事々しく此の言を発せんや。又専ら武成の為に発すとせば、「吾武成に於て」の句是れ主意にして、「尽く書を信ず」云々も泛く天下の書を云ふに非ず。然れども余武成を按ずるに、今文の無き所にして古文のみ存すれば強ち信じ難けれども、今文は伏生の口授する所二十篇、後儒の信を取る所なり。古文は孔子壁中の書と云ふ、東晋の時初めて出づ、故に或いは疑ひを容る。姑く古文に就きて之れを論ずるに、信ずべからざるの事殊に少なし。只「馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す」と云ふ者、語気の間頗る虚誇に過ぐるを恨むるのみ。然れども是れ亦形容の常語にて、力を極めて偃武修文の盛を模写せんと欲して、覚えず是に至るのみ、深く怪しむに足らず。
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