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講孟余話 / 離婁下 第三十章

世俗所謂不孝者五、此五條簡明的實特ニ民庶ニ於テ最モ切ナリ、能此五條ヲ眞心ニ教諭セハ、民俗ヲ淳ニスルニ於テ良益アルヘシ、世教ニ志アル者、淺近ヲ以テ是ヲ忽ニスルコト勿レ、孟子章子ヲ愛敬スルハ、章子ヲ罪ナシト云フニ非ス、其自ラ罪ヲ知リ自ラ咎悔スルノ誠ナルヲ以テナリ、是朱注ニ所謂至公至仁ナリ、公ナル故ニ罪ナシト云ハズ、仁ナル故ニ自ラ咎悔スルヲ愛ス、知ルヘシ古ノ君子ノ人ヲ待ツ、寬恕ニシテ仁ナル故ナリ私スル所ナキコトヲ、公ナル故ナリ今ノ君子ハ然ラス、前日一過罪アレハ、悔ユト云トモ悛ムト云トモ、曾テ是ヲ恕セス、行譏ルヘキナキ者ハ、其心ノ必シモ然ラサル所ヲ探テ是ヲ罪ス、其行偶然中正ヲ失スル者アレハ、更ニ其心ヲ併セテ是ヲ罪ス、殆ント古ノ君子ニ異ナリ

新字:世俗所謂不孝者五、此五条簡明的実特ニ民庶ニ於テ最モ切ナリ、能此五条ヲ真心ニ教諭セハ、民俗ヲ淳ニスルニ於テ良益アルヘシ、世教ニ志アル者、浅近ヲ以テ是ヲ忽ニスルコト勿レ、孟子章子ヲ愛敬スルハ、章子ヲ罪ナシト云フニ非ス、其自ラ罪ヲ知リ自ラ咎悔スルノ誠ナルヲ以テナリ、是朱注ニ所謂至公至仁ナリ、公ナル故ニ罪ナシト云ハズ、仁ナル故ニ自ラ咎悔スルヲ愛ス、知ルヘシ古ノ君子ノ人ヲ待ツ、寛恕ニシテ仁ナル故ナリ私スル所ナキコトヲ、公ナル故ナリ今ノ君子ハ然ラス、前日一過罪アレハ、悔ユト云トモ悛ムト云トモ、曽テ是ヲ恕セス、行譏ルヘキナキ者ハ、其心ノ必シモ然ラサル所ヲ探テ是ヲ罪ス、其行偶然中正ヲ失スル者アレハ、更ニ其心ヲ併セテ是ヲ罪ス、殆ント古ノ君子ニ異ナリ

書き下し

「世俗の所謂不孝なる者五つ」。此の五条簡明的実、特に民庶に於て最も切なり。能く此の五条を真心に教諭せば、民俗を淳にするに於て良益あるべし。世教に志ある者、浅近を以て是れを忽せにすること勿れ。孟子の章子を愛敬するは、章子を罪なしと云ふに非ず、其の自ら罪を知り自ら咎悔するの誠なるを以てなり。是れ朱註に所謂「至公至仁」なり。公なる故に罪なしと云はず、仁なる故に自ら咎悔するを愛す。知るべし、古の君子の人を待つ、寛恕にして仁なる故なり、私する所なきこと、公なる故なり。今の君子は然らず。前日一過罪あれば、悔ゆと雖も悛むと雖も曾て是れを恕せず。行ひ譏るべきなき者は、其の心の必ずしも然らざる所を探りて是れを罪す。其の行ひ偶然中正を失する者あれば、更に其の心を併せて是れを罪す。殆んど古の君子に異なり。

現代語訳

「世間でいう不孝が五つある」。この五か条は簡明で的確であり、とくに庶民にとって最も切実である。この五か条を真心をもって教え諭せば、民の風俗を厚くするのに大いに役立つだろう。世の教化に志ある者は、身近で浅いからといってこれをおろそかにしてはならない。孟子が匡章を愛し敬ったのは、匡章に罪がないと言ったのではなく、彼が自分の罪を知り、自ら咎めて悔いる心が誠実だったからである。これが朱子の注にいう「至公至仁(この上なく公正で、この上なく仁)」である。公正だから罪がないとは言わず、仁だから自ら咎め悔いることを愛する。古の君子が人を遇するのは、寛大で仁だからであり、私心がないのは公正だからだと知るべきである。今の君子はそうではない。以前に一度過ちがあれば、悔いても改めても決して許さない。行いに非難すべきところがない者は、その心が必ずしもそうではないところを探って罪とする。行いがたまたま中正を外れた者があれば、さらにその心まで併せて罪とする。古の君子とはまるで違っている。

解説

離婁下第三十章は、世に不孝と言われる匡章と孟子が交わり続けた理由を説く章です。松陰はまず、怠惰・博打・財貨への執着・欲・喧嘩という世俗の五つの不孝を、民を教えるのに最適な簡明な条目だと評価します。そして孟子が匡章を愛したのは罪を認めたからではなく、自ら悔いる誠を見たからだと読みます。過去の一度の過ちを許さず、心の奥まで探って人を罰する今の君子を、古の君子と比べて批判しています。人の過ちにどう向き合うかを問う一節です。

この章句が説くこと

寛恕公正仁過ち人の扱い

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