講孟余話 / 離婁下 第二十九章
禹稷當平世、顏子當乱世、孔顏ノ時ノ乱世タルハ、春秋諸書ヲ観テ知ルヘシ、獨リ禹稷ノ時、洪水天ニ滔シ、黎民食ニ艱ム、何ソ平世ト云フコトヲ得ンヤ、而シテ孟子是ヲ平世ト云者ハ、堯舜ノ君アリ禹稷ノ臣アリ、是其平世タル所以ナリ、春秋ノ時ハ天子職ヲ上ニ失ヒ、孔顏ノ聖賢タモ草野ニ伏匿ス、是其乱世タル所以ナリ、故ニ君子上ニアリ小人下ニアレハ、天災時変夷狄禽獸アリト云トモ平世ノ道ナリ、小人上ニアリ君子下ニアレハ、天災時変夷狄禽獸ナシト云トモ乱世ノ道ナリ、乱ハ兵戰ニモ非ス、平ハ豊饒ニモ非ス、君々タリ臣々タリ、父々タリ子々タリ、天下平ナリ、且今時ノ如キ平トセンカ乱トセンカ、當サニ思テ得ヘシ
新字:禹稷当平世、顔子当乱世、孔顔ノ時ノ乱世タルハ、春秋諸書ヲ観テ知ルヘシ、独リ禹稷ノ時、洪水天ニ滔シ、黎民食ニ艱ム、何ソ平世ト云フコトヲ得ンヤ、而シテ孟子是ヲ平世ト云者ハ、堯舜ノ君アリ禹稷ノ臣アリ、是其平世タル所以ナリ、春秋ノ時ハ天子職ヲ上ニ失ヒ、孔顔ノ聖賢タモ草野ニ伏匿ス、是其乱世タル所以ナリ、故ニ君子上ニアリ小人下ニアレハ、天災時変夷狄禽獣アリト云トモ平世ノ道ナリ、小人上ニアリ君子下ニアレハ、天災時変夷狄禽獣ナシト云トモ乱世ノ道ナリ、乱ハ兵戦ニモ非ス、平ハ豊饒ニモ非ス、君々タリ臣々タリ、父々タリ子々タリ、天下平ナリ、且今時ノ如キ平トセンカ乱トセンカ、当サニ思テ得ヘシ
書き下し
「禹稷は平世に当り、顔子は乱世に当る」。孔顔の時の乱世たるは、春秋諸書を観て知るべし。独り禹稷の時、洪水天に滔り、黎民食に艱む、何ぞ平世と云ふことを得んや。而して孟子是れを平世と云ふ者は、堯舜の君あり禹稷の臣あり、是れ其の平世たる所以なり。春秋の時は天子職を上に失ひ、孔顔の聖賢たるも草野に伏匿す、是れ其の乱世たる所以なり。故に君子上にあり小人下にあれば、天災時変夷狄禽獣ありと雖も平世の道なり。小人上にあり君子下にあれば、天災時変夷狄禽獣なしと雖も乱世の道なり。乱は兵戦にも非ず、平は豊饒にも非ず。君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり、天下平らかなり。且つ今時の如き、平とせんか乱とせんか、当に思ひて得べし。
現代語訳
「禹と后稷は平和な世に当たり、顔回は乱世に当たった」。孔子と顔回の時代が乱世であったことは、『春秋』などの書を見ればわかる。ただ禹と后稷の時代は、洪水が天にまで溢れ、民は食べ物に苦しんでいた。どうして平和な世と言えようか。それでも孟子がこれを平世と言うのは、堯・舜という君主がいて、禹・后稷という臣下がいたからで、これが平世である理由である。春秋の時代は天子が上で職務を失い、孔子や顔回のような聖賢でさえ民間に埋もれていた。これが乱世である理由である。だから君子が上にいて小人が下にいれば、天災や異変、夷狄や禽獣の害があっても平世の道である。小人が上にいて君子が下にいれば、天災や異変、夷狄や禽獣の害がなくても乱世の道である。乱とは戦争のことではなく、平とは豊かさのことではない。君が君らしく、臣が臣らしく、父が父らしく、子が子らしくあれば、天下は平らかである。さて今の時代は、平世とするか乱世とするか。よく考えて答えを得るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。
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