講孟余話 / 離婁下 第二十五章
西子蒙不潔ハ俊才博学ニシテ美德善行ナキ者ノ譬トスヘシ、惡人齊戒沐浴スルハ劣才陋学ニシテ美德善行アル者ノ譬トスヘシ、然ラハ則士ニ貴フ所ハ、德ナリ才ニ非ス、行ナリ学ニ非ス、此章ヲ讀テ以テ士ノ先務ヲ知ルヘシ
新字:西子蒙不潔ハ俊才博学ニシテ美徳善行ナキ者ノ譬トスヘシ、悪人斉戒沐浴スルハ劣才陋学ニシテ美徳善行アル者ノ譬トスヘシ、然ラハ則士ニ貴フ所ハ、徳ナリ才ニ非ス、行ナリ学ニ非ス、此章ヲ読テ以テ士ノ先務ヲ知ルヘシ
書き下し
「西子不潔を蒙る」は、俊才博学にして美徳善行なき者の譬へとすべし。「悪人斉戒沐浴する」は、劣才陋学にして美徳善行ある者の譬へとすべし。然らば則ち士に貴ぶ所は、徳なり才に非ず、行ひなり学に非ず。此の章を読みて以て士の先務を知るべし。
現代語訳
「美女の西施でも汚れをかぶれば(人は鼻を覆って通り過ぎる)」とは、才能に優れ博学でありながら、美徳も善行もない者のたとえとすべきである。「醜い人でも身を清めれば(上帝を祭ることができる)」とは、才能に劣り学問が浅くても、美徳と善行のある者のたとえとすべきである。そうであれば、士に尊ぶべきものは徳であって才ではなく、行いであって学ではない。この章を読んで、士がまず務めるべきことを知るべきである。
解説
離婁下第二十五章は、絶世の美女西施も汚れをかぶれば人は鼻を覆い、醜い人でも身を清めれば天帝を祀れる、と説きます。松陰はこれを才と徳の比喩として読みます。どれほど才知と学問があっても徳と行いがなければ人は離れ、才に乏しくても徳と行いがあれば尊ばれる。だから士が尊ぶのは才より徳、学より行いだ、と。学問を勧める講義の中で、学問より行いを先に置くところに、実践を重んじた松陰の教えの軸が見えます。
この章句が説くこと
徳才能行い人物先務
関連する章句
-
呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
-
論語・衛霊公篇子曰く、由、徳を知る者は鮮なし。
-
論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
-
論語・憲問篇南宮适、孔子に問いて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死を得ざりき。禹・稷は躬ら稼して天下を有てり。」夫子答えず。南宮适出づ。子曰く、「君子なるかな若き人。徳を尚ぶかな若き人。」
-
論語・為政篇子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰其の所に居て衆星之に共(むか)うが如し。
-
『墨子』親士是の故に天地は昭昭たらず、大水は潦潦たらず、大火は燎燎たらず、王徳は堯堯たらず。者は乃ち千人の長なり。其の直きこと矢の如く、其の平らかなること砥の如きは、萬物を覆うに足らず。是の故に谿の狹き者は速やかに涸れ、逝の淺き者は速やかに竭き、墝埆なる者は其の地育まず。王者の淳き澤も、宫中を出でざれば、則ち國に流るる能わず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る