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講孟余話 / 離婁下 第二十四章

十一月十七日此章尹公之他ノ友ヲ取ルノ端シキヲ以テ、羿ノ罪其友ヲ取端シカラサルニアルヲ明ス、而シテ二人ノ事固ヨリ論スルニ足ルコトナキハ、註已ニ辨ス、扨友ヲ取ルノ端シキト否ラサルトハ、実ニ一身禍福ノ根元タルコト斯ノ如シ、但シ羿ノ罪アルハ徒ニ友ヲ取ルノ端シカラサルノミニ非ス、彼固ヨリ逆戾ノ人、他人ノ殺ストナル固ヨリ其所ナリ、凡ソ人ノ殺害疾惡スルトナル大氏自ラ致ス所以ノ罪アリ、譬ハ吾人ヲ罵レハ、人亦吾ヲ罵ル、吾レ人ヲ辱ムレハ、人モ亦吾ヲ辱ムルカ如シ、徒ニ他人ヲ咎ムヘキノミニ非ス、是則本文言外ノ意、察セスンハアルヘカラス

新字:十一月十七日此章尹公之他ノ友ヲ取ルノ端シキヲ以テ、羿ノ罪其友ヲ取端シカラサルニアルヲ明ス、而シテ二人ノ事固ヨリ論スルニ足ルコトナキハ、註已ニ弁ス、扨友ヲ取ルノ端シキト否ラサルトハ、実ニ一身禍福ノ根元タルコト斯ノ如シ、但シ羿ノ罪アルハ徒ニ友ヲ取ルノ端シカラサルノミニ非ス、彼固ヨリ逆戻ノ人、他人ノ殺ストナル固ヨリ其所ナリ、凡ソ人ノ殺害疾悪スルトナル大氏自ラ致ス所以ノ罪アリ、譬ハ吾人ヲ罵レハ、人亦吾ヲ罵ル、吾レ人ヲ辱ムレハ、人モ亦吾ヲ辱ムルカ如シ、徒ニ他人ヲ咎ムヘキノミニ非ス、是則本文言外ノ意、察セスンハアルヘカラス

書き下し

十一月十七日。此の章、尹公之他の友を取ることの端しきを以て、羿の罪は其の友を取ること端しからざるにあるを明かす。而して二人の事、固より論ずるに足ることなきは、註已に弁ず。扨て友を取ることの端しきと否らざるとは、実に一身禍福の根元たること斯くの如し。但し羿の罪あるは徒らに友を取ることの端しからざるのみに非ず、彼固より逆戻の人、他人の殺す所となる固より其の所なり。凡そ人の殺害疾悪する所となる、大氏自ら致す所以の罪あり。譬へば吾人を罵れば人亦吾を罵り、吾人を辱むれば人も亦吾を辱むるが如し。徒らに他人を咎むべきのみに非ず、是れ則ち本文言外の意、察せずんばあるべからず。

現代語訳

十一月十七日。この章は、尹公之他が友を選ぶのに正しかったことによって、羿の罪が友を選ぶのに正しくなかったことにあると明らかにしている。そして二人のことは、もとより論じるに足りないことは、注がすでに弁じている。さて、友を選ぶのが正しいかどうかが、まことに一身の禍福の根本であることはこのとおりである。ただし羿に罪があるのは、友の選び方が正しくなかったことだけではない。彼はもともと道に背く人であり、他人に殺されたのも当然である。およそ人に殺されたり憎まれたりするのは、たいてい自分が招いた罪がある。たとえば自分が人を罵れば人もまた自分を罵り、自分が人を辱めれば人もまた自分を辱めるようなものである。むやみに他人を咎めるべきではない。これが本文の言外の意味であり、察しなければならない。

解説

離婁下第二十四章は、弓の名人羿が弟子の逢蒙に殺された話と、敵である弟子筋の庾公之斯が、師の師である尹公之他の友を選ぶ目の正しさゆえに子濯孺子を見逃した話を対比します。松陰は、友を選ぶ目が一身の禍福を決めると受けたうえで、羿の死には自ら招いた罪もあると付け加えます。人を罵れば罵られ、辱めれば辱められる。他人を責める前に自分の振る舞いを省みよ、というのが言外の意だと読むのです。交わる相手の選び方と、自分の在り方の両方を問う講説です。

この章句が説くこと

交友禍福自省因果師弟

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