尚書 / 太甲中
天作孽,猶可違;自作孽,不可逭
書き下し
天の作せる孽(わざわい)は猶お違(さ)くべきも、自ら作せる孽は逭(のが)るべからず。
現代語訳
天が下す災いは避けることもできるが、自分自身が招いた災いからは逃れることができない。
解説
天災や不運は時に運や備えによって避けられることがあるが、自分の判断や行いが招いた失敗や不和は、言い訳をしても消えず、いずれ自分自身に返ってくる。仕事でのミスも人間関係のもつれも、突き詰めれば外の事情より自分の選択に起因することが多い。この言葉は、他人や状況のせいにする前に、自らの行いを振り返る姿勢の大切さを教えている。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自業自得因果自省
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