了凡四訓 / 改過之法・皆な作孽の相なり
然人之過惡深重者,亦有效驗:或心神昏塞,轉頭即忘;或無事而常煩惱;或見君子而赧然消沮;或聞正論而不樂;或施惠而人反怨;或夜夢顛倒;甚則妄言失志;皆作孽之相也,苟一類此,即須奮發,捨舊圖新,幸勿自誤。
新字:然人之過悪深重者,亦有効験:或心神昏塞,転頭即忘;或無事而常煩悩;或見君子而赧然消沮;或聞正論而不楽;或施恵而人反怨;或夜夢顛倒;甚則妄言失志;皆作孽之相也,苟一類此,即須奮発,捨旧図新,幸勿自誤。
書き下し
然れども人の過惡深重なる者も、亦た效驗有り。或いは心神昏塞して、頭を轉ずれば即ち忘れ、或いは事無くして常に煩惱し、或いは君子を見て赧然として消沮し、或いは正論を聞きて樂しまず、或いは惠を施して人反って怨み、或いは夜夢顛倒し、甚だしきは則ち妄言して志を失ふ。皆な作孽の相なり。苟くも一も此に類すれば、即ち須く奮發し、舊を捨てて新を圖るべし。幸はくは自ら誤ること勿かれ。
現代語訳
一方、過ちや悪が深く重い人にも、やはりしるしが現れます。心がぼんやりとふさがって、振り向いたとたんに忘れてしまったり、何事もないのにいつも思い悩んだり、立派な人に会うと顔を赤らめて気がしぼんだり、正しい議論を聞いても楽しくなかったり、恩恵を施しても人にかえって恨まれたり、夜の夢が乱れたり、ひどい場合にはでたらめなことを口走って正気を失ったりします。これらはみな、災いをつくっている相です。もし一つでもこれに当てはまるなら、すぐに奮い立ち、古いものを捨てて新しくなることを図らなければなりません。どうか自分で自分を誤らないでください。
解説
第二篇「改過之法」の結びで、前の段の改過の効き目と対になる、過ちが深い人に現れるしるしを並べています。すぐ物を忘れる、理由もなく思い悩む、立派な人の前で気後れする、正しい議論を聞いても楽しくない、施しをしても恨まれる。了凡はこれらを、自ら災いをつくっている相だと言います。因果の見方として書かれていますが、自分の状態を点検する目安として読むこともできます。特に、正論を聞いて不快になるという項目は鋭い指摘です。耳の痛い話を避けたくなるときは、自分の中に改めるべきものがある合図かもしれません。当てはまるものがあれば、責めるより先に、今日から新しく始めよと了凡は励ましています。
この章句が説くこと
改過因果自省正論再出発
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