講孟余話 / 離婁下 第二十一章
孔子ノ春秋、天下ノ邪正ヲ定メ百王ノ大法タルコトハ、論ヲ待タサルコトナリ、其他列國皆史官アリテ、時事ヲ記スルコトヲ掌トル、皆世教ニ於テ大ニ裨益アリ、其後歴代皆史ヲ廃セス、特ニ宋ノ制度ノ如キ、宰相ニテ史館ヲ兼、時政記ト云テ、榻前ニテ議論スル所ノ詞ヲ書シ、起居注ト云テ、柱下ニテ見聞スル所ノ実ヲ書ス、是ヲ日曆ト云、本邦ニテモ古ヨリ史官アリ、近世幕府列藩皆記錄アリ、然トモ本邦古ヨリノ通習トシテ事ヲ秘密スル故、外人妄ニ其記ヲ見ルコトヲ得ス、是レ大ニ惜ムヘキコトナリ、凡ソ史ニ二益アリ、一ツハ時事ヲ直書シテ少シモ忌諱スルコトナケレハ、官吏畏避スル所アリテ惡ヲナサズ、勸勵スル所アリテ善ヲ勤ム、二ツハ學者記錄ヲ見ルコトヲ得レハ、時事ノ得失、措置ノ善惡ヲ熟知シ、他日官ニ當ルノ資トナルコト多シ、願クハ史局ヲ開キ良史ヲ撰ヒ、春秋ノ遺意ヲ尋ネ一書ヲ編輯シ、遍ク官吏學者ニ見セ度事ナリ
新字:孔子ノ春秋、天下ノ邪正ヲ定メ百王ノ大法タルコトハ、論ヲ待タサルコトナリ、其他列国皆史官アリテ、時事ヲ記スルコトヲ掌トル、皆世教ニ於テ大ニ裨益アリ、其後歴代皆史ヲ廃セス、特ニ宋ノ制度ノ如キ、宰相ニテ史館ヲ兼、時政記ト云テ、榻前ニテ議論スル所ノ詞ヲ書シ、起居注ト云テ、柱下ニテ見聞スル所ノ実ヲ書ス、是ヲ日暦ト云、本邦ニテモ古ヨリ史官アリ、近世幕府列藩皆記録アリ、然トモ本邦古ヨリノ通習トシテ事ヲ秘密スル故、外人妄ニ其記ヲ見ルコトヲ得ス、是レ大ニ惜ムヘキコトナリ、凡ソ史ニ二益アリ、一ツハ時事ヲ直書シテ少シモ忌諱スルコトナケレハ、官吏畏避スル所アリテ悪ヲナサズ、勧励スル所アリテ善ヲ勤ム、二ツハ学者記録ヲ見ルコトヲ得レハ、時事ノ得失、措置ノ善悪ヲ熟知シ、他日官ニ当ルノ資トナルコト多シ、願クハ史局ヲ開キ良史ヲ撰ヒ、春秋ノ遺意ヲ尋ネ一書ヲ編輯シ、遍ク官吏学者ニ見セ度事ナリ
書き下し
孔子の春秋、天下の邪正を定め百王の大法たることは、論を待たざることなり。其の他列国皆史官ありて、時事を記することを掌る、皆世教に於て大いに裨益あり。其の後歴代皆史を廃せず。特に宋の制度の如き、宰相にて史館を兼ね、時政記と云ひて榻前にて議論する所の詞を書し、起居注と云ひて柱下にて見聞する所の実を書す、是れを日暦と云ふ。本邦にても古より史官あり、近世幕府列藩皆記録あり。然れども本邦古よりの通習として事を秘密にする故、外人妄りに其の記を見ることを得ず、是れ大いに惜しむべきことなり。凡そ史に二益あり。一つは時事を直書して少しも忌諱することなければ、官吏畏避する所ありて悪をなさず、勧励する所ありて善を勤む。二つは学者記録を見ることを得れば、時事の得失、措置の善悪を熟知し、他日官に当るの資となること多し。願はくは史局を開き良史を撰び、春秋の遺意を尋ね一書を編輯し、遍く官吏学者に見せ度き事なり。
現代語訳
孔子の『春秋』が天下の正邪を定め、歴代の王の大法となったことは論じるまでもない。そのほか諸国にはみな史官がいて、時事を記録することをつかさどり、どれも世の教化に大いに役立った。その後の歴代王朝もみな歴史の記録をやめなかった。とりわけ宋の制度では、宰相が史館を兼ね、「時政記」として天子の前で議論した言葉を書き、「起居注」として宮中で見聞した事実を書いた。これを日暦という。我が国でも古くから史官があり、近世でも幕府や諸藩はみな記録を持っている。けれども我が国では昔からの習慣として物事を秘密にするので、外の者はみだりにその記録を見ることができない。これはまことに惜しむべきことである。およそ歴史の記録には二つの益がある。一つは、時事をありのままに書いて少しも遠慮しなければ、役人は恐れて悪をなさず、励まされて善に努める。二つは、学ぶ者が記録を見ることができれば、時事の得失や処置の善し悪しをよく知り、後に役職に就いたときの糧となることが多い。願わくは史局を開いて良い史官を選び、『春秋』の遺した意を尋ねて一書を編み、広く役人や学ぶ者に見せたいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』號令國を安んずるの道は、道、地に任ずるより始まる。地、其の任を得れば則ち功成り、地、其の任を得ざれば則ち勞して功無し。人も亦た此を為す。備え、先に具えざる者は以て主を安んずる無し。吏卒民、多く心の一ならざる者は、皆な其の将長に在り。諸そ賞罰を行い及び治むること有る者は、必ず公より出づ。王、數しば人をして行き勞わしめ、邉城關塞を守り、蠻夷に備うるの勞苦なる者に賜い、其の守率の財用の餘り有ると足らざるとを舉げ、地形の當に邉を守るべき者、其の器備の常に多き者を舉ぐ。邉の縣邑は、其の樹木の惡しきを視れば、則ち用を少なくす。田、辟けざれば、食を少なくす。大屋・草盖無ければ、乗を用うるを少なくす。財多ければ、民、食を好む。内堞を為り、内に行棧し、器備を其の上に置く。城上の吏・卒・養は、皆な舍を道の内に為り、各おの其の隔部に當たる。養は十二人。符を為る者を養吏一人と曰い、諸門を辦護す。門者及び守禁有る者は、皆な事無き者をして其の旁らに稽留するを得しむる無かれ。令に従わざる者は戮す。敵人、但だ至らば、千丈の城は、必ず郭、之に近づき、主人、利し。千丈を盡くさざる者は迎うる勿かれ。敵の居曲、衆少を視て之に應ず。此れ守城の大體なり。其の此の中に在らざる者は、皆な心術と人事と之を參う。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
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尉繚子・兵教下其の利を喪うこと無く、其の時を奪うこと無く、其の政を寛にし、其の業を夷らかにし、其の弊を救わば、則ち以て天下に施すに足る。
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説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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『驢鞍橋』卷上一日去る国の太守、師を請して法要を問ふ。師示して曰く、一国を呑込んて治め給ふ事肝要也。心くどついて叶ふべからず。如何にも心をはつしと用ひ、慈悲を以て仕置等成さるべし。扨亦づんと打上り、人々の性をよく見分けて御下知あるべし。大略は主人の心せまくして、人の性を見分け得すして、我機に合はさる事多し。然るときんば我機往いて彼が機と戦ふ者也。是れかつたいと棒打ちしたるに非ずや。亦国下の公事沙汰を聞き玉ふにも、物上と成りて聞き玉ふべし。必ず物の下と成り、渠か云分に追付つてさばく時は、政道正からさる物也。然る間心を能く用ゐ、一国を引布いて御下知あるべしと也。
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